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サッカーキング『CALCiO 2020』番外編 俺はフィレンツェに行くんだ〜人生トーク〜

f:id:nayo422:20230506023424j:image毎週、金曜日に更新されるサッカーキングカルチョ2020』を観るのが楽しみでして、その番外編『俺はフィレンツェに行くんだ』が例に漏れず面白かったので感想を残しておきたい。この番組はイタリアのサッカーリーグであるセリエAを取り上げる番組であり、毎週さまざまな趣向を凝らした特集に楽しませてもらっているのだけれど、しかし、実のところ番組における本当の魅力は脱線に次ぐ脱線による雑談が醍醐味なのであって、加齢による身体的なコンディションの変化や家族の話、人生の話など軽快なトークがこの番組を豊かなものにしているのである。素晴らしく魅力的な人柄とコンビネーションによる、この雑談を楽しみにしている視聴者も大勢いるだろうと思われる。

今回の『俺はフィレンツェに行くんだ』は、ありがとうミハイロヴィッチ。22/23後半戦プレビュー! - YouTube の回において、「親友と1年に1回会ったとして、この先50年生きるとしても50回しか会えない。だから会う頻度を高めるための構造を作り出さないといけない」という細江さんの啓発に触発された伊東さんが「フィオレンティーナを見るためにフィレンツェに行くしかない…」と思い至る回である。

年に一度、親友と会うとして、これからの人生で何回会えるんだという話を細江さんはしたわけですね。それで僕も思ったんですね。2026年に(フィオレンティーナが)100周年だからフィレンツェに行くことは決まっているんですよ。それいいとして、本当に2026年に行けるのか。もしかしたら俺が病気になってるかもしれない。両親の介護をしないといけないかもしれない。お金が全然ないかもしれない。戦争が起きているかもしれない。で、行けるときに行くべきじゃないかと思ったわけですよ。じゃあ、フィオレンティーナが4年後に決勝に行っているのか。俺が生きている間に決勝に行くことはないのかもしれない。タイトルに絡まないのかもしれない。といったときに、行けるチャンスがあるときに行くべきだ、と。死ぬときに、ああ…あのときに行っておけばよかった…とか、80歳になったときに時間とお金が余ったから行こうと思ったときに、パワーやエネルギーがあるのかどうかとかを感じたんですよ。

4年前に行って、コロナ期間中もずっと行きたくて仕方がなかった。4年ごとにフィレンツェに行くとしたら、俺が生きている間に何回行けるんだ…と思って、行こうと思っているわけですよ。

伊東さんの堰を切ったように溢れ出す冒頭トークが示すところがすべてでありますが、本当にそうだよね…としみじみ首肯してしまう。私も細江さんの持論に啓発された人間であるし、最近よく思うことでもある。あんなに毎日いっしょにいたのに、月に1回あって、季節ごとに会うようになって、終いには年に1回会うようになってという、それで本当に良いのだろうか、と思うわけである。細江さんの言う通り、もはや「これからの会う回数が数えられる」ほどである。残念すぎないだろうか。

サッカーに関してもそうなのだ。おそらく、サッカーをやってきた人間というのは、小学生からスタートするか、中学生からスタートするかだと思うのだけれど、そうして高校までやっていって(無論、途中で情熱が薄れることもあるだろうし、私の高校サッカー時代なんて目も当てられないけれど)、多くの人が大学に進学するあたりでピタッと終わりを迎えるのである。サッカーサークルやフットサルサークルに入って、ボールに触れる機会はあるとしても、しっかりとサッカーをやるということは終わりを迎えるのであって、あんなに楽しかったサッカーというものから離れなければならない期間のほうが人生の割合の中で多くを占めるのである。であるからこそ、サッカーというスポーツを(いつかは終わるとしても)ずっと続けることができている存在であるプロ選手を応援し、私たちの想いを託すわけなのだ。なので、『カルチョ2020』のように熱情を絶やさないためのこういう番組は本当に助かるのである。

友達と会う回数を増やしていく努力をするとともに、サッカーをする機会というものを増やしていくこともまたどうにかしていかなければ…と思う次第なのである。しかしながら、ここで問題になってくるのは、あんなに一緒にいた友達と話が合わなくなってくる問題である。話が合わないのだ。会う頻度が減っているのだから共通の話題が減っているということは当然あるし、サッカーの情報や試合を追うことも難しくなってくるし、仕事の内容が違うということもあるだろうけれど、なんだかフィーリングとして合わなくなってくるのは悩ましいものである。それもまた人生なのである…などという酷くつまらない結論でまとめてしまっても良いのかもしれないのだけれど、そんな残念なことはないだろう。道端で寝っ転がっていれば楽しかった。物質的な豊かさは無くとも、ただそれだけでよかったじゃないかと思ってしまうのだ(南米のおじちゃんみたいでありたい)。どうせ死ぬのだから、なるだけ後悔しないように生きたいですね。いつか戻ってくるかもしれない友のためにもフィレンツェに行こう!

俺はフィレンツェに行くんだ 〜人生トーク〜 - YouTube