ひとり絶望し、世界へ背を向ける。もしくは、中指を立てる。そんな誰かのように絶望しているひとが遠いどこかにいるかもしれない、そのことは誰かの世界を肯定し、不安を和らげる。羊文学は重厚な轟音で包み込み、耳をそっと塞いでやる。そして「この世界は生きるに値しないね」と囁き、音を歪ませ、抱きしめるのだ。「見なくていい」と。それが『BiRTH.ep』『トンネルを抜けたら』『若者たちへ』
であったりすると思うのだけれども、その中にも希望や優しさを求めてしまう弱さ(強さ)もしっかりとアルバム内に入れられているのは、それが人間が人間たるゆえんであるということなのだろう。
きっともう二度と
会うこともないけど
仕方ないよねと
笑ってゆけるようになるだろう『step』
いつの日も
あなたを守るよ
痛みなど掻き消すくらいに
途方もない愛で
僕ら、夜を越えよう優しくなれるように
『若者たちへ』
僕らが憧れた未来予想のその先は
ドキドキするような未来を運ぶかい?
いつか来る時代に憧れた彼らの火を
ワクワクするような未来で繋ぐかい?『天気予報』
どれだけ絶望しようとも、微かな光を求めてその方向を眼差してしまう人間の弱さ、そして強さをひっそりと忍ばせている。『きらめき』や『ざわめき』
になると、少しずつ人間の心の暗部ではなく、「日の当たる場所も思っているよりかはいいものかもしれないよ」と囁き、
あなたでいることいいのよ
本当の自分は誰にもあげない
ほら今、深呼吸して、輝きだした
チャンス チャンスよ!
『あたらしいわたし』
何もないような明日を待ってるだけの
あなたがいるような今がとても幸せ
とても、幸せ『夕凪』
この部屋でまだこない光の降る朝をじっと待ち
それでも忘れないで最後にはまた静かな夜が戻ること『祈り』
優しくそっと肩を抱き寄せる。カーテンの隙間から差し込んでくるかもしれない光を見ようとすること、その光を見てしまっても決して何も変わらないから安心して良いことを教えてやり、自らにも言い聞かせる。何か良くなっていくかもしれない不確実な未来へと淡い期待を抱きながらゆっくりと立ち上がる。サウンドのテクスチャーや歌声も柔らかく、そして、幾分、軽やかになっていく。2020年にリリースされた羊文学のメジャーデビューアルバムである『POWERS』になると、その淡く揺らめいていた何かへの期待は、声を出し続けること、人間の想像する力を信じてみようという決意に似たものへと変化して、それは『ghost』という一見、不気味なものへと仮託される。視えるのか、視えないのか、存在するのか、存在しないのか、といった幽霊を信じること、想像すること、そこに何か人間としての光を求めて。
聴こえるかい エル?
僕だよ マイクだ
352日目 午前7時40分
まだ待ってる
いるなら答えて
合図でもいい 黙ってるから
無事か知りたい
・・・バカだな
いなくなってしまった女の子へ向けてトランシーバーで応答を呼びかける男の子。もしかしたらそこにはいないのかもしれないのだけれど、声をかけ続ける。だって、いないと決めてしまったら、その存在を本当に消してしまうことになりかねないから。見えないものを信じる力。それは、この世に存在する/していたことを認めてあげる力だ。目に見えるものだけがすべてじゃない。目に見えないこと、本当は存在しているのに見えなくなってしまっていること、存在していないのに見ることできてしまうこと、そんな想像力を働かせることができる、それこそが私たち人間の“POWER”だ。2020年のお家にいる間にNetflix ザ・ダファー・ブラザーズ『ストレンジャー・シングス』にハマったという塩塚モエカはその世界観を基に、見えないものを信じる力に『ghost』と名付けた。そして、「みえないもの」「気配」をコンセプトにミュージックビデオも制作されている。
羊文学「ghost」Official Music Video
カメラがとらえるものには、どこかデヴィッド・ロウリー『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』をオマージュしているような質感を携えていて、何かを探すようにゆっくりとスライドしていく。ファーストカットで塩塚モエカらしき人物が映り込んでも、カメラはそのまま動きを止めない。まるで、そこにいることには気づいていないかのように。
見えないものの声が聞こえる
いつかあなたにまた会う日まで響くよ
その後も群馬県甘楽郡南牧村の風景を撮っていく。映り込んでしまったかのように風景と同系色の衣装を着た塩塚モエカ、河西ゆりか、フクダヒロアが佇む姿はまさに幽霊のようである。寂れた街並みであるのだけれども、私たちは何か“生”の痕跡を感じ取ることができるのは、羊文学の確かな祈りが村に降り注いでいるからかもしれない。最後、今度はカメラが反対向きにスライドしていく。しかし、またしてもカメラは止まるそぶりを見せずに、通り過ぎようとしてしまう。そこに重ねるように歌声が響く。
見えないものの声を信じる
たとえあなたがもういなくても
「絶対行けるよ」みたいな感じじゃなくて、「行けるんじゃないかな」みたいなフィーリングを宿らせたかったというこの羊文学のメジャーデビューアルバムである『POWERS』はどこまでも不確かなままであることを大切にしているように思うのだけども、『Girls』や『変身』などアルバムの隙間から明確な意志のようなものがときどき現れてしまうのもいい。どこか言葉のイメージはゆらゆら彷徨い、行ったり来たりしていながらも、力強いサウンドと歌声がまっすぐに貫いているのは、やはり人間としてのパワーを信じているからであろう。塩塚モエカはインタビューでこう言っている。
この自粛期間は、人のことを「人間」として思いやることの大切さに気づかされる期間だったと思って。でも、全部のことを思いやっていたらキリがないし、なにも言えなくなっちゃう・・・けど、それでも、どこかで思いやりや優しさを持っていたい。それは人間性とかの話ではなくて、もっと深い部分での「意識」みたいなところで。そうすれば世界はよくなっていくんじゃないかと思って、このタイトルにしたんです。
〈中略〉
優しさって、想像力だと思うんですよ。
孤独な魂に寄り添ったり、ペシミズムに飲み込まれそうになったり、分岐点に差し掛かっている世界の行く末を案じたり、未来の良き変化を望んだり、「おまじないちょうだいよ」という連呼からもあるように様々なものへ心を揺らして何が真実であるかを掴みきれずにいる私たちと同じようでありながらも、その迷いこそが人間としてのパワーであるというような力強い歌声にたまらなく好きだと思わされる。
『おまじない』はこのアルバムのなかで、羊文学を更新をしている楽曲でもある。
眠れない夜には
言えないことを枕に叫び
1人で笑ってるいっか、まあ、だめでも
思うよりも先は長いおまじないちょうだい
おまじないちょうだいよ
おまじないちょうだい
おまじないちょうだいよ『おまじない』
これまで、「呪い」を求めていた誰かは、このアルバムのなかでは、それを少しでも良き方向へといけるように願いを込めて、「おまじない」を欲している。ここにもアルバムのコンセプトである、見えないものへの眼差しで貫かれている。呪い/おまじない、幻想/実態、視えている/いない、存在している/いない、それらの境界線を識別できない人間であるからして、弱い、しかし、そうであるからこそ人間であるのかもしれない、と様々な感情を散らばせている。視えないのに、視ることができてしまう、それこそが希望であり、人間のパワーであるのだ。呪いもおまじないもその境界線は不確かで、私たちはその周辺を行ったり来たりしながら悩み、苦しみ、希望を見ることができてしまう。あいまいなままで悩むけれども、あいまいなままであるからこそ、想像力によってそこに希望を、光を見てしまうこともできるのだ。そうして、羊文学は音を鳴らす。信じる、と。絶えず繰り返してきたこれまでの
ぼくはどうしたらいい?
『1999』
という問いかけへ、ひとまずの答えのようなものを出したように思う。