サッカー日本代表W杯本戦メンバーが発表されましたね。26人選べるのでまあ順当かなぁと思うのだけれど、原口が選出されなかったのはサプライズ落選だっただろうか。「選手枠が多くなり、スペシャリストを重用したのですか」という会場質問もあったけれど、確かにそれが大きいのだろうと思う。あとは怪我人がたくさんいるので本番前にどうなるのかわかりませんね。まあ、日本はW杯に出れるだけ幸福なのだ。イタリア代表なんて……残念です。ドンナルンマなんて順調に長期的なキャリアを積むことができれば(今も順調だしW杯がすべてではないですが)、19歳、23歳、27歳、31歳、35歳、39歳、43歳とかで7大会出れた可能性もあったわけで、8年で2大会を失うのはなかなか虚しいことである。『カルチョ2020』で【もしも】イタリア代表がカタールW杯に出場していたら・・・。という企画をやっていて、これがむちゃんこ面白かった。【もしも】イタリア代表がカタールW杯に出場していたら・・・。 - YouTube 特にこのふたつの箇所でめちゃ笑った。どの立場…という感じで面白い。素敵です。
13:00「イタリア全体を考えるとですね…(細江)」「細江さんがイタリア全体を考えるんですね(伊東)
16:25「この大会はイタリア代表にとってほんとに大きな時代を変える、とっても大切な大会なんですよ(細江)」「・・・(伊東)」
オタクの語り口で真剣すぎて最高なのだ。しかし、ボヌッチ外すのはなかなかの勝負では…?と思う。ミレッティ、ファジョーリ、ラスパドーリ、フラッテージ、ポベガなどなど未来は明るいので嬉しい反面、そのために尚更今回のW杯には出なくちゃいけなかったよね…と溜息がでてしまう。残念です。『カルチョ2020』のトークライブなどあったりしたら絶対駆けつけるのになあ。細江さんはW杯DAZNの解説も担当されるようで、朝8時から出演するそうです。大変だ。
W杯とても楽しみだけれど、ラームが一貫してカタールW杯を批判しているようにさまざまな問題を抱えていることも事実だ。Netflixでは『FIFAを暴く』というリミテッドシリーズが配信開始されている。
世界がどのようにしてこの大会について認識しているのか、そして日本があまりに見えていないかについてはこの集英社プラスの記事が詳しい。東京オリンピックのときもそうだったけれど、個人の強い意志によって完全にボイコットすることは難しいのかもしれない。けれど、なあ……情けないことです。わたしはこういうところでとても弱いなと思う。ロシアのウクライナへの侵攻があったときにも、サッカーというものに如何わしい資本がどれだけ投入されているか、それに目を背けサッカーのゲームにだけ視線を注いでしまっているかなどの話もあったわけで……まずはちゃんと知ることから始めないととは思う。情けないことです。最近本当に気になることなのだけれど、こういった事象とのバランスをみんなはどうとっているのだろうと考えてしまう。実際に友人などと話すと、「今更って感じじゃない?遠い国でたくさんの人が死にながらもこれまで俺たちは生きてきたわけだしさ」みたいな感じになることもある。プレミアリーグでも差別に関する試合前の膝立がルーティン化しているなどのこともある。
『ダイアンのTOKYO STYLE』#45はW杯メンバー発表の日に録られてたっぽい。
ダイアンは良いですね。最近聴けてないので、どこかでまとめて聴こう。普段サッカー興味なさそうな人もW杯期間になるとやっぱりサッカー熱というのは沸騰し始めるのですね。
『フットボール批評issue37』
を読む。河内一馬の章は『競争闘争理論』の最後の方で言及されていた“ブランディング”についての話だった。サッカーをブランディングするには「ゲーム」「カルチャー」「チーム」「クラブ」の4項目を複合的に考え、それらを統制するためのロジックが必要であり、そのためには、「ゲーム」「ビジネス」「パブリックリレーションズ」を円環的に結び合わせたしっかりと意思のあるコンセプトが大切になるだろう、と。これは前号『フットボール批評issue36』リヴァプールの特集において、クロップやラインダースがチームとしてのゲームモデルを明確にし、そのためにフロントが選手補強やトップダウンのビジネス的な意思決定のコンセプトを整える。そして、アンフィールド、と。クラブが一体となった明確なコンセプトの提示や、マリノスのアタッキングフットボールをやり続ける姿勢としてのコンセプトの意志の強さと繋がる部分もあるだろう。
そうした河内一馬『競争闘争理論』の問題意識と繋がる部分の話が徹底討論chの前半でたくさん話されていた。徹底討論ch#001”サッカー日本代表徹底討論” - YouTube サッカー界のブランディング、長期的なコンセプトの明確さ、そのためのゲームモデルの一貫性…と、まあサッカーの話ばかりしていてもなんなので、最近のことを振り返っていきます。漫画は竹内友『ボールルームヘようこそ』12巻と冨樫義博『HUNTER×HUNTER』37巻を買った。
『HUNTER×HUNTER』当然のようによくわからない。『ボールルームヘようこそ』は筆力というか、ほんとに芸術の域にあって、ページをめくるごとに震えてしまう。恐ろしい。
土曜日。tvkで高校サッカーの準決勝を観てから、マリノスvsヴィッセルを観る。最終節にして仲川が決めるというのが嬉しい。水沼がめちゃ泣いていて感動してしまった。この年にこれだけの活躍をしてタイトルを獲れるってすごい。宮市も涙していたし、完全復帰はいつになるかわからないけれど、そのシーズンは怪我なしでいきましょう。 【王座奪還】5度目の栄冠!歓喜のシャーレアップ|2022 明治安田生命J1リーグ優勝セレモニー - YouTubeマリノスの優勝に歓喜し安心して、電車に乗り込む。オカモトコウキに会いに町田へ向かう。会場の入り口前に着くとご婦人がたくさんいて場所を間違えたのかと一瞬疑ってしまったのだけれど、そんなことはなかった。オカモトコウキは可愛がられているようです。まほろ座MACHIDA、初めて行ったけど良かった。「年に一回、こうしてここでライブができたりしたらいいな」と話していたので、また来年も来ることになるかもしれない。とても近くで見れて嬉しかった。オカモトコウキはかわいいのだ。オカモトコウキってOKAMOTO'Sの中にいるから余計にそう思うのかもしれないけれど、めちゃ一般人という感じが良いですよね。
『ラヴィット!』木曜日を観る。北朝鮮ミサイルのために延期になった先週放送予定のVTRが今週放送されていた。ニューヨーク、インディアンス、本田仁美による東京ドームシティ特集。後半の嶋佐&インディアンスの悪ノリが最高すぎて、腹を抱えて笑ってしまった。大好き。嶋佐の「逆さまになった米を食う〜♪」が本当に好き。『ラヴィット!』ほんと素敵な番組だし、ニューヨークがレギュラーで本当に嬉しいなあとしみじみ。ちゃんと売れていて良かった。あとはカナメストーンが『ラヴィット!』出れれば…。POPEYE Web『二十歳のとき、何をしていたか?』川島明
が公開されていた。
Base Ball Bear 20th Anniversary 『(This Is The)Base Ball Bear part.3』日本武道館公演に行った。5年ぶりくらいのベボベは感動し過ぎてしまって、南波さんがTwitterで言及していた通り、『17才』の一音目から胸がいっぱいになってしまった。ライブで、あれ、これってなんの曲だっけみたいになることがあると思うのだけれど、ベボベに関してはすべてわかることに気がついた。そして、すべての曲が強い。『changes』とかヤベーと思いながら聴いていた。特別公演だから、『Raspberry』聴けるかな?なんていう希望的観測をしていたのだけれど、それはなかったので、次回に期待しよう。幸運なことに座席が良くて銀テープがゲットできるくらいには近くで見ることができた。銀テープが空から降ってくるときに手を伸ばしてしまうのだけれど、なんだかこの瞬間、すこし恥ずかしくなってしまう感がある。頭の中でリトル自分が「焦んな、大丈夫取れるから」と言っていた。ベボベ好きな友達が欲しい。
世界的スクープ 映画界の巨匠ジャン=リュック・ゴダール最後の言葉
を読んだ。私は少し前のエントリーで、尊厳死を自分で意思決定するときの、その“意思”とはどれだけ確からしいのか、今回のような“疲れ果てていた”状態での意思に決定権を認めて良いのだろうかなどと書いたのだけれど、この記事のジャーナリストによる取材では「意思は確かであり、固かった」とされていた。この取材をした宮下洋一さんは「安楽死・尊厳死」についてたくさんのルポルタージュを執筆されている方のようだ。寡聞にして知らなかったので、読んだ。考えさせられる…というと本当に陳腐なのだけれど、文字通り考えさせられてしまった。オランダの「ポストマ医師安楽死」なんかは森鴎外『高瀬舟』なんかと繋がるんですかね。長年議論されているのだ。
医者や弁護士など他者からの視線も経て、最終手段としての安楽死の決定、死の救いであることは理解できるつもりなのだけれど、しかしまだ納得できていない感じがあります。①耐えられない痛みがある。②回復の見込みがない。③明確な意思表示ができる。④治療の代替手段がない。これら死ぬための四条件があるとしても解釈によって幅があるし、私は自己の身体と所有物の関係とかも理解不十分なのでそこら辺は勉強しなくちゃならないのだけれど、なんだかなあという感じ。消極的安楽死は許容できても積極的はなあ。でも、痛いんだもんなあ。しかし、私は死にたいという気持ちを否定するわけではないし、むしろ理解できるところである。よくわかる。よくわかる。わかっていないのだ。まあでも本当に20歳と80歳の自死では全然違うだろうし、わからない。単なる自殺とは異なることはわかるのだろうけれど、その一線を越えることに漠然とした不安があって、という感じだ。来月には新刊として、『死刑のある国で生きる』
が刊行されるようです。読みましょう。平野啓一郎のこの前の新作とあわせて読むのも良いかもしらん。