昨日の今日

昨日の今日

お笑いとテレビと映画と本と音楽とサッカーと…

コスタリカ戦が終わった

ランニングをして、コスタリカ戦の40分前に帰ってきた。2〜3週間前は結構寒い日もあったのだけれど、最近はそんなに寒くないので良い。快適だ。19時から試合が始まる。ドイツ戦の時は2時間前くらいからソワソワしていたのだけれど、今日はとても落ち着いていたので、まあ普通にやれば勝てるだろうと無意識に考えていた、油断していたのだと思う。でも、そうはならなかった。そう、そうはならなかったのである。キックオフ20分前、舞城王太郎ディスコ探偵水曜日

を少しだけ読み進める。なかなか難しいのだけど、心地よく読めてしまう文体が舞城王太郎であるなあと思う。カッコいい文体ですよね。並行世界というキーワードで東浩紀クォンタム・ファミリーズ』を想起してしまうし、主人公の語り口には『STEINS;GATE』的なものがある。あとは舞城王太郎が脚本を務めた『ID: INVADED』にももちろん似ている。相対性理論量子力学。難しいですね。ふんふんと読んで、キックオフ5分前、日本代表グループリーグ2戦目、コスタリカ戦が始まる。

開始早々に相馬が左サイドを縦に抜いて、クロスをあげる。おっ、いい感じかなあと思ったけれど、その後はのらりくらりと微妙な雰囲気になってくる。ある程度ボールは持てているけれど、何か明確なコンセプトを持たない森保JAPANの“らしい”試合になってくる。始まって20分くらいの印象としては、キャンベルを筆頭にコスタリカのフィジカルめちゃ強い…と唸ってしまった。1対1で身体をぶつけても厳しそうだなあ、と。けど、コスタリカの攻撃に脅威はない。日本の攻撃にも脅威はない。まあ、でも前半はこれでいいんだろう。

21分、カメラに鎌田大地の姿が撮らえられる。ダメだ…というように頭をふり、天を仰ぐような仕草を見せる。その1分後、相手のロングボールを山根がヘディングで返し、そのセカンドボールを拾いに行った鎌田がうまく胸で収めることができずタッチが大きくなり、相手のサイド攻撃へと繋がってしまう。鎌田はそのまま相手についていきプレスをかけ、大事にはならなかったのだけれど、フィジカル的についていくのがキツそうに見えなくもなかった。そして、そのプレーを見た本田圭佑が「鎌田さんのパフォーマンスめちゃ気になりますね。感覚的に良くないかもしれないですね、本人的にも。明らかに調子良くないです」と指摘した。38分くらいには、相馬からの縦パスを空トラップして流してしまっていた。鎌田の調子が攻撃に多分に影響を及ぼしてしまうこともあったろうけれど、全体としてゆったりしすぎていた。コンセプトの欠如が問題であった。あっという間に前半が終わる。45分。

長友に代えて伊藤洋輝を出して、後半頭から3バックへの可変も意識したような4バックを森保監督は選択する。両サイドの山根と相馬を高い位置に。ドイツ戦で冨安を出してからボールの循環が良くなった形を採用したのだろう。しかし、伊藤洋輝は冨安ではないし、前半から多少の改善は見られたものの、少しだけ外に開きすぎていてウイングにつけるボールに角度が足りていないこともしばしばあったし、左足で上手いこと身体を開いてトラップできていないこともあった。コンセプトを設定しそのための「原則」を付与してこず、「人」で解決していた森保JAPANの弱点がここで露呈する。しかし、これはギュンドアンミュラーが下がったドイツもそうであったように、代表チームで構造を作って、スタイルを確立していくのは難しいことなのだろうと思う。

そうであるから、日本は「人」で解決するしかない。幸い、日本には三笘がいるし、伊東もいる。2人にシンプルに預ける。そのための環境づくりをする。けれど、「人」が活躍するためにも「環境づくり」、つまり、「コンセプトの設定と原則」が求められるのであった。大変である。

森保監督は山根に代えて三笘、堂安に代えて伊東をピッチに送り出すのだけれど、外に張った三笘にうまく預ける原則がないし、伊東を2トップの一角に置くことを選択したことで伊藤の長所を活かせない。フォーメーションも完全に3バックになり、攻撃に行こうという意思表示もされるのだけれど、しかし、その攻撃への意思表示とは裏腹に攻撃デザインの無さも強く打ち出されることになる。結果論ではあるけれど、相手が引きスペースが無いなかで伊藤純也がボールを受けるよりも、外で縦に突破してくれる方が相手にとって脅威になっただろう。魔法が解け、ドイツ戦での名采配は偶然の産物に過ぎなかったことが眼前に突きつけられる。つまるところ、やはりコンセプトは皆無であり、どうやって点を取るのか、その共通意識は定められていなかったのだった。

ここで、河内一馬『競争闘争理論』

からいくつか引用してみることによって、試合を整理したい。まずは攻撃コンセプトの必要性。

(攻撃→攻撃へのトランジション。つまりどこでスイッチを入れるのかということには)チームあるいはグループとしての“合図の役割を果たすイベント”が求められる。例えばそれを「あるプレイヤーにボールが入った時」のように人に依存させる、「FWにボールが渡った時」のようにポジションに依存させる、「サイドレーンにボールが入った時」などと空間に依存させる、または「相手センターバックDFラインから離脱した時」のように相手の振る舞いに依存させることなどによって、故意的に、あるいは自然発生的に共通認識を持つことができるようにする必要がある。

このように考えると、「ボールの持ち主が変わる時」という合図は、最も客観的に認知ができる、“分かりやすく意思をもてる(意思統一ができる)瞬間”として機能する。p233

コスタリカ戦、日本のボール保持時に目立ったのが意思のない、なんとなくのボールの横移動であった。どこでスイッチを入れるのか、誰にボールが入った時に攻撃→攻撃へのトランジションをするのか、その共通意識がないのがあまりに残念であった。どこでスイッチを入れるのかのデザインもないのだから、これでいこう!という攻撃のコンセプトもない。ドアの前で鍵を探し、家に入れず立ち往生する人間のように、困り果ててしまう選手たち。そこに鍵を差し出すのが、監督なのであり、森保監督であった。しかし、そのアイデアを提供することは私にはできないと明言しているし、選手たちに任せていたのであれば、その環境づくりは必要不可欠である。そのための方法論的なものを実行しているのが、2018年にロシアW杯を制したフランス代表やジダン監督時代のレアル・マドリーであった。彼らが用いていたのが「エコロジカル・アプローチ」と言われている。エコロジカル・アプローチとはコーチ側からトップダウンで指標を具体化していくようなプロセスではなく、プレイヤー個々、あるいはその個々が集団となった時に発生する相互作用(関係)を環境(≒制約)によって表出させ、ボトムアップでゲームの在り方を定めていく(定まっていく)ようなプロセスであり、個人による意思とその共有によって「自己組織化」が求められるのであったp235。

ここで私が主張したいのは、そのような「自己組織化」は、プレイヤーが持つ「意思」がなければ、そもそも起こり得ないということである。サッカーは、“何もしないでも良い(成立する)ゲームであることを忘れてはならない。相手ゴールと相手ボールに対して、何がしたいのか。そういった強い「意思」に特定の制約をもたらすことで、サッカーというゲームにおけるプレイヤーの「自己組織化」が行われていくのである。

前述したチームが、仮にエコロジカルなアプローチでトレーニングを行っていたり、あるいはゲームモデルのデザインを行っていたりしたとするならば、間違いなく、各プレイヤーが培ってきた「意思」があり、それを「コミュニケーション」として機能させることができる能力や経験を持つプレイヤーが揃っていて、その上で、抽象的な指標(ゲームモデル)をチームとして(トップダウンあるいはボトムアップで、また人為的あるいは自然的に)共有していたはずである。そしてその指標(ゲームモデル)は、「どの意思を持ってプレーするか(=どの「局面」でどの「フェーズ」をつくるか)を定める最低限の役割を担っているはずだ。しかし、それでも、チームがうまくいかなくなった時や、ピッチ上でリーダーシップを発揮できるプレイヤーがいない場合、あるいはそもそも「自己組織化」を期待できるほどの時間と環境がない時などは、“極めて具体的な指標を設けていないこと”がマイナスに働くこともある。だからこそ、この手の仕事はコーチにとって、複雑で繊細なのである。p235-236

森保監督は選手の自主性を重んじて、“任せていた”監督であった。ドイツ戦の逆転劇は偶然にもそれが当たったわけだけれど、今回のコスタリカ戦においては全くといって機能しなかったわけである。それは4年間という時間を用いたにもかかわらず「自己組織化」するための努力を行わなかったからであり、つまり、「どの「局面」でどの「フェーズ」をつくるか」という意思共有を行なっていなかったからである。試合終了直後、世間では、伊藤洋輝が三笘にボールを供給しないことが議論の対象になっていたけれど、果たして彼だけの問題なのだろうか。森保監督、また、日本チームとして、強い「意思」に特定の制約をもたらすことで、「自己組織化」することの重要性を認識していただろうか。三笘は強い「意思」に基き、ボールをよこせと要求することはできなかっただろうか。それらを森保監督は伝えていただろうか。

コスタリカに先制点を決められた直後の解説・本田圭佑の言葉が印象的である。

もうちょっとこの時ね、画面に映ってないですけど選手が話し合ってないんですよね。もっとこの時、全然オッケーていうふうに顔を合わせなきゃいけないです。[・・・]全員がパッションを見せないといけないです。一個一個のプレーをちょっとずつリスク負うみたいな、良い意味で余計なことをやるみたいなのを全員が見せないといけないです。それってパッションを見せてかないとできないプレーなんですよ。もう一歩運ぶとかね。[・・・]焦っていいんですよ。焦らないとダメです。その焦りを良い方向に変えないと。

本田圭佑が言うこともまた、パッション(意思)とその共有(コンセプト)であるだろう。そして、本田は「三笘にあずけろ」と何度も言及する。しかし、伊藤洋輝は三笘に預けることなく、バックパス、中への楔、横パスへと終始してしまうのだった。それはなぜか。本田圭佑のパッションというもの、そして、その共有がなかったからであり、それによって認知の差が埋まらなかったからであるだろう。

まったく同じ場所かつ同じ条件でボールがある(相手プレイヤーが保持している)とする。プレイヤーAはそれを視覚的に「認知」した結果「危険である」と判断したが、プレイヤーバーは「危険ではない」と判断する場合がある。その場合、まったく同じものを「認知」しているはずであるのに、「実行」には違いが出てしまう。前述したように「認知」はサッカーにおいてコミュニケーションとして機能しない。そこで重要になるのが「危険な状況である」あるいは「危険な状況であった」とチームメイトに“伝える”ために「感情を表出させる」ことである。p247

この認知の差を選手間の感情によって埋めること、その「エコロジカルなアプローチ」を目指していたはずの日本、また森保監督。しかし、それは機能しなかったし、そのための準備がされていたのかも疑問が残る。W杯後の検証が求められるでしょう。まー、しかし、結果論である。

ドイツが決めきれずに日本に負けたのと同じようにして、今回の日本の敗戦を語ることはできないように思う。ドイツは枠内に良いシュートを飛ばしていたけれど、権田に塞がれてしまった。しかし、コスタリカ戦の日本は枠内に良いシュートを飛ばせていなかった。決めきれなかった、ということはないだろう。決定的なチャンスを作ることができなかった、結局のところエコロジカル・アプローチによる攻撃のデザイン、そのためのパッションがなかったのだ。「競争」ではなく、「闘争」であるサッカーというスポーツである。果たして、スペイン戦では闘うことができるのか。まだ読まれていない方は、河内一馬『競争闘争理論』をぜひ読んでみてください。おすすめ!私は森保一プロサッカー監督の仕事-非カリスマ型マネジメントの極意-』

を図書館で借りてきたので読もうと思います。「脱トップダウン」と言っていたのはもうずっと前のことからなんですね。いやー、でも勝つんだろうなあと思ってしまっていたよねー。厳しいねー。

『鎌倉殿の13人』第45回「八幡宮の階段」を観る。白い雪に染まる血液。公暁による実朝の暗殺。そして、公暁もまた殺される。三浦義村が義時に対して「お前は力にしがみつくしかなく、怯えきっている」と言うように、まさに『ゲーム・オブ・スローンズ』的な、権力を持つ者すべてが弱い展開に。強い者による玉座争いではなく、弱い者による玉座争いは悲劇にしかならない、と。玉座に座る者はどこにもいない。それでは…という最終回が近づいてくる。もうずっと悲しいのだけど、めちゃ面白い。面白すぎる。

『ニューヨークのニューラジオ』には、結婚を発表したけいちょんが乱入していた。【ゲスト:けいちょん(極楽とんぼ 山本圭壱)第189回】ニューヨークのニューラジオ 2022.11.27 - YouTube けいちょんとニューヨークの組み合わせほんとに好きだ。楽しい。

 

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日本逆転オッケーです!

f:id:nayo422:20221124022323j:imageW杯日本初戦。ニューヨークと武尊くん×サッカーという理想的な組み合わせのW杯応援番組が放送されていたのだけれど、さすがにこれを副音声にして試合を観ることはできないなあと思って、2-1という劇的逆転勝利に歓喜したあとで、ゆっくり観ました。武尊くんとまた番組やらないかなあと常々熱望していたのがまさかサッカー番組で実現するとは…Abemaショーゴの座組が復活してくれるの本当に嬉しかった。W杯全試合生放送してくれるし、Abemaショーゴメンバーも集めてくれるし、最高ですね。西澤アナもいましたね。嶋佐がハーフタイムに出した「#日本逆転オッケーです」もトレンド入りしていたし、ちゃんと現実になりましたね。すごい。

さて、W杯初戦はvsドイツ。なんとなく私の頭の整理としてまとめておこうかなあと思います。日本の4バックの中間ポジションやボランチとのライン間など嫌なところにミュラーやムシアラが顔を出してくる。5レーンを埋めてくるドイツに対して日本のマークの受け渡しや誰がついていくのかと混乱が起こってしまうのだけれど、そんな前半をなんとか0-1で凌ぎ切る。ミスマッチが起こり、どうにも相手を捕まえきれないということで、後半からは久保を冨安に変えて5バックに。しっかりと目の前の相手をまずは捕まえようとマンツー気味にして、伊東を下がらせないで前に置き、大然、鎌田と3枚でプレスをかけていく。右利きの冨安があの位置で左足で持てる!という強みを活かして、日本のボール循環も改善されていく。

しかし、ドイツが優勢であることは変わらない。日本のハイプレスを掻い潜り、ボランチ脇でボールを受け前を向くムシアラやミュラー、そして、その落とし受けるギュンドアン。森保監督は長友に代えて、左のウイングバックに三笘を、前線の大然を浅野に代える。しかし、その選手交代わずか3分後の60分にはギュンドアンがポストを直撃するシュートを放つ。ここで、このシュートが決まっていたら、この試合は終わっていたかもしれない。が、スコアはまだ0-1のまま。

だんだんと積極的に前がかりになってくる日本に対して、ドイツは疲労を考慮してかミュラーギュンドアンを交代させてホフマン、ゴレツカがピッチに入る。どうやらミュラーには腰痛があったようで、ギュンドアンもコンディションが万全というわけではなかったようだった。冬開催のW杯カタール。準備期間があまりにも短いこの大会で、チーム状況の全容が掴めていなかったのだけれど、日本が怪我人を多く抱えるなか、ドイツにもまたその苦しい台所事情があることが露呈し始める。ここでドイツはボール運びの潤滑油を、歯車を失うこととなる。

70分には18秒間で権田の4つの神セーブというスーパープレーが飛び出すことで、望みを繋いでいく。0-1というドイツが勝っている状況であるのに、何かドイツには焦りがよぎり、日本は何か確信めいたものを持ち始める。フラットに応援しに来ていたサポーターも日本の声援に加わり始め、スタジアムの空気が日本を後押しする。両チームの脳裏には、前日サウジアラビアvsアルゼンチンの2-1ジャイアントキリング逆転劇があったのかもしれない。日本は田中碧に代わって、堂安を投入。

権田の4連神セーブのおよそ3分後、73分、ズーレとリュディガーの中間ポジションで伊東がボールを受けシュートを放つが、ノイアーにセーブされる。右CBズーレは自分より内側にいる伊東をなんとなく確認しておきながらもボールウォーチャーになってしまい、マークを掴みきれないでいた。外側に三苫が幅を取っていて、それも気になった部分もあるのかもしれないのだけれど、とにかくこのワンシーンによって、ズーレがボールを見てしまう選手であり、守備の統率からは外れてしまっていることが誰の目にも明確になる。「ズーレが穴なんだよ。ここをもっとつけ」と解説・本田圭佑が言及する。

酒井宏樹に代わって、南野が投入される。ここで森保監督は5枚の交代枠を使い切る。右サイドのウイングバックには伊東が入り、日本は最も攻撃的な陣形を整えるようになる。守備のときは5-4-1でブロックを敷き、攻撃時には3-4-3のような形で、攻守の4局面をわかりやすくオーガナイズする。飛び出す名采配(果たしてこれがどれだけのコンセプトに基づいて、そのプロセスを描いていたのか)。

3バックになったこと、そして、冨安があの位置で左足で持てることで、冨安から高い位置をとった三笘への斜めのコースが生まれ、三笘が前向きでボールを受ける。彼らしい中へスルスルと入っていくドリブルからズーレの裏のスペースを抜けた南野へ縦パスを通す。その南野が強引にシュートを放ち、ノイアーは弾くのが精一杯、そのこぼれを堂安が押し込むことで見事に同点弾を決めてみせる。“もっている男”としての風格を漂わせながらのゴールパフォーマンスに思わず笑ってしまった。流石だ。やべー。持ってる男すげー。

“勝たなければいけない”ドイツはムシアラとハヴァーツに代えて、ゲッツェとフュルクンクを投入。しかし、構造を整理するわけでなく、単なるフレッシュさを求めての交代であって、後半の序盤までに勝負を決めきれなかったドイツ監督・フリックに打つ手は無いようだった。ハヴァーツはチェルシーでの調子の上がらなさを引きずってきてしまった感じだったろうか。本来の彼であれば、高さもあるし、足元の技術もあるし、裏抜けもできるし、となんでもできるマンである。

まだ始まったばかりのカタールW杯において、途中出場ばかりのドイツ中盤には新入りが多くなってくる。そこで、およそ80分をこのスタジアムで過ごした遠藤航が先輩として幅を利かせ始めるのだ。ボールを奪取し保持し、ファールをもらう。遠藤航がこの中盤の玉座に座ることになった。そして、2点目は遠藤航がもらったフリーキックから生まれる。

73分、伊東がシュートを放った時に、ボールウォッチャーとなり漠然と守備をしていたズーレの伏線がここで繋がる。83分、板倉が大きく蹴ったロングボール。中空を優雅に駆けるボールを眺めながら、ズーレがぼんやりと後退りし、デフェンスラインを下げてしまう(もしくは全体で思い切って下げるべきだったのかもしれない)。デフェンスラインよりもボールを見てしまったのだ。リュディガーが手を挙げオフサイドを要求するが、それは意味を為さない。ピッタリと良い位置にボールを収め、シュロッターベックの前に入り、ノイアーの頭の横、ここしかない!というところを打ち抜く素晴らしいゴール。

日本がドイツに、それもW杯の舞台で初めて勝利した。ボール支配率はドイツ74%で日本26%、シュートも26本:12本で倍以上打たれている。本当にいろんな奇跡が重なったのだと思う。前半の終わりに相手のオフサイドで助かったり、ミュラーギュンドアンがベンチに下がったり、権田のスーパーセーブが出たり、ギュンドアンのシュートがポストを直撃したり、ズーレのラインがずーれまくりだったり…試合後インタビューでは、三笘の冷静なコメントが印象的だった。

ー逆転したこの力、どう感じますか?

三笘「まあ、ほとんど逆転したことないですけど、ここで出るっていうのは運もあると思いますし、チームとして我慢強く闘って、オフサイドもありましたし、まあ…ついてたんじゃないかなと思います」

なんだか本当に冷静すぎて怖いくらいだ。すごいですね。「運」「ついてた」という言葉を出してしまえるのは流石ですよね。

 

ドイツは試合前の集合写真撮影で、手を口元に当てるジェスチャーを行った。「腕章を否定することは、声を否定することと同じです」と。差別と多様性に抗議するために「ワンラブ(愛は一つ)」と書かれた腕章をつけるはずだったのだけれど、FIFAが制裁を科すと警告したために断念していた。ドイツ代表は口元を隠す集合写真をTwitterに共有して、抗議する立場を示したが、そのツイートのリプライには元ドイツ代表・エジルのことが書かれていた。彼がウイグル自治区のことに言及したとき、ドイツは彼のことを守らなかったじゃないか、と。彼はトルコ系移民にルーツがあり、そのことで連盟から不当な差別を受けた、と。ダブルスタンダードだ、と。

globe.asahi.com

エジル、そして、ドイツとトルコの関係についてはこの記事を読めば少しわかるかもしれない。口元を隠す抗議運動と共に、「エジル」という名前がドイツ国内では浮かび上がっているらしい。ドイツとトルコの関係については、ハンブルクからイスタンブールを旅するロードムービーファティ・アキン太陽に恋して

を観てみてもなんとなく掴める部分もあるかもしれない。普通に楽しい映画だし、おすすめです。11月には金井真紀『聞き 書き サッカーの民-スタジアムに転がる愛と差別と移民のはなし-』

も刊行されている。W杯始まって終わる頃にはこれを読み終えているみたいなのも良さそうですよね。

『パンプキンポテトフライのたっくんラジオ』を聴く。

stand.fm

たっくんもめちゃドイツ戦を楽しんだようです。『メガネびいき』では、小木さんがこじはるやアンガールズ田中と集まって応援した話をしていた。昨年のことは『アンガールズANN PODCAST

open.spotify.com

で少しだけ話されている。おぎやはぎといっしょにW杯観たいなあ。

『VACANCES バカンス』1

f:id:nayo422:20221122175334j:image

フランス語のvacanceにもともと「空白」や「頭を空っぽにする」という意味があるように、そこには、何も特別なことをしないからこそ得られる豊かな時間があるのだろうと、僕は遠い国から勝手に想像している。

物質的には満たされているのに、何故だかストレスフルな生活を送っている現代人。あれもこれも持って行きたくて、休暇の旅に出る準備で、何が必要で何を置いていけばいいのかわからない…と鞄の前で立ち竦んでしまう。そんな一コマが表紙*1に描かれたZINE、11月20日文学フリマにて販売された『VACANCES バカンス』の創刊号を手に入れたので感想を書き記しておきたい。『鳥がぼくらは祈り、』で第64回群像新人文学賞を受賞し、2作目の『オン・ザ・プラネット』が第166回芥川賞候補作に選出された島口大樹、『BRUTUS』にて連載を持つ怪談師・深津さくら、『愛がなんだ』や『街の上で』をフィルモグラフィーに持つ映画監督・今泉力哉などなど、寄稿者がこんなにも豪華であるのに驚いてしまう。私はZINEというものをよく理解していないので、これが普通なのかどうなのかわからないのだけれど、この豪華さはすごいんですよね、たぶん。

さて、冒頭の引用が示すように、このZINEが提案するのは「空っぽ」である。モノや目的意識で溢れた生活に疲れているのなら、「空っぽ」にしてバカンスに出てみよう、と。そうすると本当に大切なものが見えてくるんじゃないだろうかというわけである。しかし、そんな大切なものなんてないよね〜という感じでもいいのだ。vacanceは自由である。

島口大樹『僕の生活』

社会人1年目と作家デビューが重なったことから、二ヶ月に一度は熱を出し、経験したことのない胃痛に襲われていたという島口大樹さんが、会社を辞めて、「生活」を取り戻す日々のエッセイがこのZINEのまず最初に置かれている。ゆったりした時間のなかに身を委ね、小説を書きぼけっとすることに生活が宿る。しかし、会社を辞めたからといって、そのぽっかり空いた空間にぼおっとする時間や小説を書く時間が収まるというわけではどうやらないらしい。島口さんにとって、「(小説を)書くこと=仕事、と仮定してみても、書いている時間=働いている時間、書いていない時間=休み、の等式は成り立たない」ようである。遠くに出かけても、美術館を回っても、どこか頭の中には小説のことがあり、そのつもりもなく、街の中で何かを探しているのだ、と。小説のことで頭の中が満たされているのではなく、頭の中が何もなく空っぽであるからこそ、考え続けることができるのだろう。思考し、遠くの他者が脳裏によぎる。自己の生活の中に他者を思うこと、誠実に生活を続けることの困難さとしかしそこに向き合おうとする姿勢が素敵である。

つかずはなれずの距離感で僕らのまんじがためは続く

YouTubeで配信されている夏目智幸と高橋翔によるトーク番組『夏目高橋のまんじがため』インタビュー。「ぜんぜんなにも考えていないよね」「打ち合わせもしない」と、2分前に到着して番組を開始させるというそのさまは、まさにバカンス(空っぽ)を体現しているようであって面白いし、

ここに座ると、そういうどうでもいい話を思い出すんですよね

と話す夏目さんのシャムキャッツ菅原エピソードがインタビュー中に思い出されるのも、頭の中に何も入れていないからこそのものだろう。まんじー*2とのつかずはなれずの距離感を取りながら、「何ヶ月か空いたとしても、ユルく続いていくから終わるということがない」というこの番組。インタビュー掲載写真で、高橋さんは宇多田ヒカルHEART STATION』のTシャツを着ている。

さよならなんて意味がない
またいつか会えたら
素敵と思いませんか?
私の声が聞こえてますか?
深夜一時のHeart Station
チューニング不要のダイアル
秘密のヘルツ
心の電波届いてますか?

宇多田ヒカルHEART STATION

深津さくら『つれかえる』

樹海へ侵入した谷口さんたちが、バカンスのお土産のように、“恐ろしい何か”を持って帰って来てしまった…というショートショートである。しかし、「谷口さんが真夜中の樹海へ向かったのは、ただ遊び足りないからという理由だった」という冒頭のように、その“恐ろしい何か”がついて来てしまったのも「ただ遊び足りなかった」だけなのかもしれない…。犬が吠え続ける…いっときの好奇心が誰かの叫びを惹起する。見えている者だけが叫びつづけるラストはさながらジョーダン・ピール『NOPE/ノープ』のようであるだろうか。

今泉力哉『グレースケール』

呼び出されたので向かうとすでにそこに彼女がいた。大きめの本屋のふもとで待ち合わせしたのだが、彼女は背が小さかったので本屋は更に大きく見えた。[・・・]直接会ってみて思ったのは、背の低さと化粧っけのなさだった。え、こんなに背が小さいんだ、と意外だったのはその人がある種モデル的な仕事もしている人だったからで、そういう意味では乃木坂46に在籍中の白石麻衣さんと仕事した時に抱いた感情と同じだった。「え、ちいさい」という感情。感覚。

今泉力哉がこのZINEのために書き下ろしたという短編小説『グレースケール』。今泉が喫茶店でシングルマザーの恋愛相談に乗るのだけれど、この男女2人で会うという構図が浮気のようにならないか(友達と会うと嘘までついているのなら尚更)ということに話は及んでいく。ではどう説明するのか、となると言葉でもって説明するのはなかなか難しいようだ。実際に対面ではじめて会って、「え、ちいさい」と思うように、本当のことと言葉や頭の中でイメージするものとでは齟齬が多分にあるのだ。そんなことが2人によってダラダラと話され、会話がドライブしていくところは『街の上で』の荒川青と城定イハの長回しの会話シーンのようであるだろうか。別にどうでもいいけれど、なんだか耳をそばだてて話を聞こうとしてしまう。そんな心地よいバカンスは、きっと『街の上で』がそうであったようにあなたのすぐ隣にあるのだ。

余談として、おそらく今泉力哉を実際に見てみたら、「え、おおきい」という感情。感覚。になるのだと思います。

忘れる。『伝染していくトランス状態』

NSC東京15期出身で、ニューヨーク、いぬ、カナメストーンらと同期のフリーコンビ・忘れる。のロングインタビュー。『あんあん寄席』のこと*3、最近舞台下に降りがちということ、鶴山さんの空白6年とお遍路のこと、橋下さんが尖っていたこと、M-1のことなどが濃密度で話されている。橋本さんは重いものを持つときとか、自転車で坂道を登るときとか、力を入れるときに「M-1絶対勝つぞ!」と頭の中で唱えているらしい。忘れる。は2019結成なので、まだまだ出れる。鶴山さんは芸人活動を休止していた6年の間、「お笑いをやりたいのにできなくて、膝から崩れ落ちて毎日泣いていた」らしい。であるから、こうして何かを目指して日々お笑いをやれている現状は鶴山さんにとってはバカンスであるだろうか。M-1だけがすべてではないけれど、頑張って欲しいですね。

 

ZINEには他にも、暮田真名『仮着』(現代川柳)、シンガーソングライターkiss the gambler『沖縄旅行記』、ナカムラミサキ『ハイ・シティ』(マンガ)などが収録されている。

そして、本の反対側からは1ページとなって『僕らのバカンス特集』としてZINE編集者によるおすすめポップカルチャーのレビュー、バカンスをテーマにしたエッセイが始まっているのだけれど、そうすることで奥付*4がZINEの途中に置かれるようになっているのがおもしろい。バカンスは一方通行ではなく、浜辺でたくさんの人々がすれ違うように入り組んでいる。終わりはなく、たくさんのモノや人とすれ違い出会って生活は続いていくのだ。スマホの画面からの情報とケトルが報せる生活の音、レコードが奏でる身体的な音に委ね、電脳世界を泳ぐイルカ・サーミーを思い出すこと、久しぶりの家族旅行と幸福の感じ方に年齢とともに変化があること、バカンスを経て大切にしていきたいものが胸の中に浮かんでいること。「何も特別なことをしないからこそ得られる豊かな時間」はもうきっとすぐそこにあるはずで、今はそれを手繰り寄せるためのvacanceが必要なのだ。

vacanceszine.theshop.jp

*1:インディー漫画雑誌『すいかとかのたね』編集長・中山望 絵

*2:『まんじがため』リスナー愛称

*3:『あんあん寄席』が入れ替え戦になるの知らなかった。競争競争で大変ですね

*4:書物の末尾に、書名・著者・発行者・印刷者・出版年月日・定価などを記したページまたは部分のこと

Base Ball Bear 20th Anniversary 『(This Is The)Base Ball Bear part.3』日本武道館公演

f:id:nayo422:20221110215942j:image「1回目と2回目と今回の武道館公演を比べて、動員人数がタイなんですよ。これってすごくないですか?」と小出裕介はMCトークのなかで話していた。ベボベの始まりから今日までずっとついてきた人もいれば、途中で離脱してしまった人もいるだろう。そして、この20年のどこかで合流した人も当然いるだろう。私は『真夜中のニャーゴ』のヘビーウォッチャーであったので、ベボベを大好きになったのもその時期だ。それよりも前から存在自体は知っていたし楽曲も聴いていたとは思うのだけれど、ぐっと引き込まれたのはやっぱり番組放送時の2015-2017年辺りだと思う。当時はライブにも足を運んだし、『光源』リリース記念スペシャル・トークイベントを観にタワレコにも行った。なので、私のベボベ歴としては6〜7年くらいで、前回の武道館には当然行けていないし、ましてや私が初めてベボベをライブで観たときにはもう3人だった(湯浅さんの発表も『ニャーゴ』でしてましたね)。

「メンバーの脱退などもあって、ファンをふるいにかけるようなことばかりしてきたし、応援し続けるモチベーションを維持しづらいバンドだったかもしれないけど、本当にありがとうございます」という感謝も述べていた。

Base Ball Bear10年ぶりの武道館公演に参加したのだ。ベボベのライブは5年ぶりとかだったのだけれど、もうほんっとに今年のベストライブで感動しすぎてしまった。最高!オープニングを飾るのは『17才』。バンドの始まりを告げる衝動からのスタートであって、20周年を物語として編み込んでいく小出裕介らしい構成が感動的である。「緊張はしているけれど、1、2回目と比べてどこか落ち着いている感じがある」と話していたのだけれど、それは武道館という空間ではなく、どこかライブハウス的な空間を意識していたからではないかと感じた。小出裕介が救われたあの空間だ。

いつでも飛ばしてよSOS
そのHAND PHONEで

君の事に気付いている
人がきっといるから

『17才』

下北沢ガレージでの思い出深いことと言えば、高校3年生の時だったんですけど、年上のバンドマンの人たちが本当に良くしてくれたんですよ。僕なんて学校に友達いない人間でしたから、学校しんどかったんですけど、ここにいる人が「いいね曲!」とか言ってくれて、ああ、そうか、学校の外に行けばこういう社会があるんだってここで知れた」と昨年、12月31日に開催された下北沢ガレージで小出裕介は話し、ライブ終盤には「音楽」について言及していた。

僕にとっての音楽とかロックっていうのは「継承」だと思っています。
引き継いでいくことだと思っています。
先人からいろいろと影響を受けましたし、同じ時代を走っていたバンドたちだったりとか、仲間たちだったりとか、そして、今日のこの無くなってしまう場所でのたくさんの思い出、切磋琢磨した人たち、鳴った音楽たち…
そのエッセンスを一滴でも多く…
こういう場所があったということがたとえ忘れ去られたとしても、ここで鳴っていた音に鍛えられた我々みたいなバンドがいて…
魂とか精神とかいったものを引き継いでいきたい。
そのためにもバンドを辞めねえぞ、と思っている次第でございます。

今回の武道館でも「解散はしないよね⁉︎(小出)」「ないでしょ笑(関根)」「するわけない笑(堀之内)」というような会話があったけれど、昨年のこのライブを見ていれば当然解散の心配なんかはないわけである。

武道館が終わったあとも、継承の物語は続いていくのだ。それはBase Ball Bearが音楽を続けていくことで、これまでの仲間たちの魂を引き継いでいくということであるけれど、私たちもまた聴くことを通して、今はベボベから離れてしまっている誰かの思いも繋いでいるということでもある。それは過去においてもそうだし、これから聴くかもしれない未来のベボベファンにとってもである。「To alive by your side」と歌う『DIARY KEY』が響く。

いつか君に渡せたらいいな

『DIARY KEY』

優しさだけじゃ生きられない
別れを選んだ人もいる
再び僕らは出会うだろう
この長い旅路のどこかで

Mr.ChildrenTomorrow never knows

私は湯浅将平がいるBase Ball Bearを見たことがないし、もうこの先4人での演奏を見ることは叶わないのだろうけれど、「君」に含まれたすこしの可能性をほんとにちょっとだけでも願ってしまう。『17才』『DIARY KEY』ときて、「檸檬を齧る君の事/ただただ見つめていたよ」と歌われる『LOVE MATHEMATICS』。ライブ冒頭の3曲は、誰かへ向けられる視線というものでまとめられており、“恋のようなもの”としてのまだ不確かな感情が青春映画の瑞々しいショットのように武道館へ提示される。そして、その不確かな感情が『GIRL FRIEND』『LOVE LETTER FROM HEATBEAT』『初恋』『short hair』というベボベ珠玉のポップチューンにのせて、確かな“恋”として爆発する瞬間の胸の高鳴りは尋常ではない。レモンスカッシュ感覚。

「3」を強く意識させる『ポラリス』、「4」であったことをどうにも思い出させてしまう『ホワイトワイライト』*1、「思い出は日常に溶けて/いつのまに物語に変わっていってしまう」と、それでも

さよならは言わなくていいよ
失くしたものにも どっかでまた会えるのさ
かなしみも連れていくよ
それでいいんだ 終わらない予感は消せない

と歌う『海へ』。そして、『changes』がくる。「4人でBase Ball Bearだって言う人もいるのかもしれないけれど、3人で頑張ってきたから今がある」のだと小出裕介はMCのなかで語っていた。4人であったことがすべて過去のことであるとか、すべて消し去ってしまうとか、そんなことを言っていないのはライブのセットリストからも伝わってくるだろう。ずっとすべてが地続きで繋がっていて、いま3人であるからこその音楽があり、Base Ball Bearがあるのだと、最新シングル『海になりたいpart.3』を演奏してくれるのが感動的だ。そのあとはもう『すべては君のせいで』『「それって、for誰?」part.1』『十字架You and I』『The Cut』『Stairway Generation』『ドラマチック』とお祭りでした。こいちゃんの『The Cut』ラップ始めてライブ見たのでむっちゃ興奮しました。文化祭の夜。

アンコールではこれからの旅の予感を告げる『風来』、これからの世代へ進んでいくことを夕方の沈みとともに実感する『夕方ジェネレーション』、そして、また朝がやってくる、ゆっくりとでも確かに進んでいく決意を込めた『ドライブ』*2で武道館公演は締め括られた。20年の中で個人も世界もいろんなものが変わってしまった。大切なものは慈しみながら、進んでいこう、と。

最後に、開演前SEで流されていた楽曲を確認できた範囲で共有しておきますね。開演前からグッとくるものばかりで感動してしまった。「僕にとっての音楽とかロックっていうのは「継承」だと思っています。引き継いでいくことだと思っています」と語っていた小出裕介の姿がまた思い起こされる。こいちゃんはおそらく津野米咲さんのギターを弾いてた。来年はたくさんベボベのライブに行こう!と思いました。

サカナクション『Ame(B)』
the pillowsスケアクロウ
チャットモンチー『東京ハチミツオーケストラ』
赤い公園『オレンジ』
TRICERATOPS『if』
Chocolat『ベースボールとエルビス・プレスリー
スーパーカー『RECREATION』
フジファブリック『赤黄色の金木犀
ACIDMAN『赤橙』

f:id:nayo422:20221120024202j:image

*1:『ホワイトワイライト』PVは4人ベボベのたくさんの過去映像を振り返る構成になっている

*2:『ドライブ』に寄せられた文章としてはこれが素晴らしい。https://rockinon.com/news/detail/197638.amp

サフラン色の風の中

サッカー日本代表W杯本戦メンバーが発表されましたね。26人選べるのでまあ順当かなぁと思うのだけれど、原口が選出されなかったのはサプライズ落選だっただろうか。「選手枠が多くなり、スペシャリストを重用したのですか」という会場質問もあったけれど、確かにそれが大きいのだろうと思う。あとは怪我人がたくさんいるので本番前にどうなるのかわかりませんね。まあ、日本はW杯に出れるだけ幸福なのだ。イタリア代表なんて……残念です。ドンナルンマなんて順調に長期的なキャリアを積むことができれば(今も順調だしW杯がすべてではないですが)、19歳、23歳、27歳、31歳、35歳、39歳、43歳とかで7大会出れた可能性もあったわけで、8年で2大会を失うのはなかなか虚しいことである。『カルチョ2020』で【もしも】イタリア代表がカタールW杯に出場していたら・・・。という企画をやっていて、これがむちゃんこ面白かった。【もしも】イタリア代表がカタールW杯に出場していたら・・・。 - YouTube 特にこのふたつの箇所でめちゃ笑った。どの立場…という感じで面白い。素敵です。

13:00「イタリア全体を考えるとですね…(細江)」「細江さんがイタリア全体を考えるんですね(伊東)

16:25「この大会はイタリア代表にとってほんとに大きな時代を変える、とっても大切な大会なんですよ(細江)」「・・・(伊東)」

オタクの語り口で真剣すぎて最高なのだ。しかし、ボヌッチ外すのはなかなかの勝負では…?と思う。ミレッティ、ファジョーリ、ラスパドーリ、フラッテージ、ポベガなどなど未来は明るいので嬉しい反面、そのために尚更今回のW杯には出なくちゃいけなかったよね…と溜息がでてしまう。残念です。『カルチョ2020』のトークライブなどあったりしたら絶対駆けつけるのになあ。細江さんはW杯DAZNの解説も担当されるようで、朝8時から出演するそうです。大変だ。

W杯とても楽しみだけれど、ラームが一貫してカタールW杯を批判しているようにさまざまな問題を抱えていることも事実だ。Netflixでは『FIFAを暴く』というリミテッドシリーズが配信開始されている。

web.gekisaka.jp

shinsho-plus.shueisha.co.jp

世界がどのようにしてこの大会について認識しているのか、そして日本があまりに見えていないかについてはこの集英社プラスの記事が詳しい。東京オリンピックのときもそうだったけれど、個人の強い意志によって完全にボイコットすることは難しいのかもしれない。けれど、なあ……情けないことです。わたしはこういうところでとても弱いなと思う。ロシアのウクライナへの侵攻があったときにも、サッカーというものに如何わしい資本がどれだけ投入されているか、それに目を背けサッカーのゲームにだけ視線を注いでしまっているかなどの話もあったわけで……まずはちゃんと知ることから始めないととは思う。情けないことです。最近本当に気になることなのだけれど、こういった事象とのバランスをみんなはどうとっているのだろうと考えてしまう。実際に友人などと話すと、「今更って感じじゃない?遠い国でたくさんの人が死にながらもこれまで俺たちは生きてきたわけだしさ」みたいな感じになることもある。プレミアリーグでも差別に関する試合前の膝立がルーティン化しているなどのこともある。

『ダイアンのTOKYO STYLE』#45はW杯メンバー発表の日に録られてたっぽい。

open.spotify.com

ダイアンは良いですね。最近聴けてないので、どこかでまとめて聴こう。普段サッカー興味なさそうな人もW杯期間になるとやっぱりサッカー熱というのは沸騰し始めるのですね。

フットボール批評issue37』

を読む。河内一馬の章は『競争闘争理論』の最後の方で言及されていた“ブランディング”についての話だった。サッカーをブランディングするには「ゲーム」「カルチャー」「チーム」「クラブ」の4項目を複合的に考え、それらを統制するためのロジックが必要であり、そのためには、「ゲーム」「ビジネス」「パブリックリレーションズ」を円環的に結び合わせたしっかりと意思のあるコンセプトが大切になるだろう、と。これは前号『フットボール批評issue36』リヴァプールの特集において、クロップやラインダースがチームとしてのゲームモデルを明確にし、そのためにフロントが選手補強やトップダウンのビジネス的な意思決定のコンセプトを整える。そして、アンフィールド、と。クラブが一体となった明確なコンセプトの提示や、マリノスのアタッキングフットボールをやり続ける姿勢としてのコンセプトの意志の強さと繋がる部分もあるだろう。

そうした河内一馬『競争闘争理論』の問題意識と繋がる部分の話が徹底討論chの前半でたくさん話されていた。徹底討論ch#001”サッカー日本代表徹底討論” - YouTube サッカー界のブランディング、長期的なコンセプトの明確さ、そのためのゲームモデルの一貫性…と、まあサッカーの話ばかりしていてもなんなので、最近のことを振り返っていきます。漫画は竹内友『ボールルームヘようこそ』12巻と冨樫義博HUNTER×HUNTER』37巻を買った。

HUNTER×HUNTER』当然のようによくわからない。『ボールルームヘようこそ』は筆力というか、ほんとに芸術の域にあって、ページをめくるごとに震えてしまう。恐ろしい。

土曜日。tvk高校サッカーの準決勝を観てから、マリノスvsヴィッセルを観る。最終節にして仲川が決めるというのが嬉しい。水沼がめちゃ泣いていて感動してしまった。この年にこれだけの活躍をしてタイトルを獲れるってすごい。宮市も涙していたし、完全復帰はいつになるかわからないけれど、そのシーズンは怪我なしでいきましょう。 【王座奪還】5度目の栄冠!歓喜のシャーレアップ|2022 明治安田生命J1リーグ優勝セレモニー - YouTubeマリノスの優勝に歓喜し安心して、電車に乗り込む。オカモトコウキに会いに町田へ向かう。会場の入り口前に着くとご婦人がたくさんいて場所を間違えたのかと一瞬疑ってしまったのだけれど、そんなことはなかった。オカモトコウキは可愛がられているようです。f:id:nayo422:20221113222503j:imageまほろ座MACHIDA、初めて行ったけど良かった。「年に一回、こうしてここでライブができたりしたらいいな」と話していたので、また来年も来ることになるかもしれない。とても近くで見れて嬉しかった。オカモトコウキはかわいいのだ。オカモトコウキってOKAMOTO'Sの中にいるから余計にそう思うのかもしれないけれど、めちゃ一般人という感じが良いですよね。

『ラヴィット!』木曜日を観る。北朝鮮ミサイルのために延期になった先週放送予定のVTRが今週放送されていた。ニューヨーク、インディアンス、本田仁美による東京ドームシティ特集。f:id:nayo422:20221111212137j:image後半の嶋佐&インディアンスの悪ノリが最高すぎて、腹を抱えて笑ってしまった。大好き。嶋佐の「逆さまになった米を食う〜♪」が本当に好き。『ラヴィット!』ほんと素敵な番組だし、ニューヨークがレギュラーで本当に嬉しいなあとしみじみ。ちゃんと売れていて良かった。あとはカナメストーンが『ラヴィット!』出れれば…。POPEYE Web『二十歳のとき、何をしていたか?』川島明

popeyemagazine.jp

が公開されていた。

Base Ball Bear 20th Anniversary 『(This Is The)Base Ball Bear part.3』日本武道館公演に行った。f:id:nayo422:20221114020501j:image5年ぶりくらいのベボベは感動し過ぎてしまって、南波さんがTwitterで言及していた通り、『17才』の一音目から胸がいっぱいになってしまった。ライブで、あれ、これってなんの曲だっけみたいになることがあると思うのだけれど、ベボベに関してはすべてわかることに気がついた。そして、すべての曲が強い。『changes』とかヤベーと思いながら聴いていた。特別公演だから、『Raspberry』聴けるかな?なんていう希望的観測をしていたのだけれど、それはなかったので、次回に期待しよう。幸運なことに座席が良くて銀テープがゲットできるくらいには近くで見ることができた。f:id:nayo422:20221114023432j:image銀テープが空から降ってくるときに手を伸ばしてしまうのだけれど、なんだかこの瞬間、すこし恥ずかしくなってしまう感がある。頭の中でリトル自分が「焦んな、大丈夫取れるから」と言っていた。ベボベ好きな友達が欲しい。

世界的スクープ 映画界の巨匠ジャン=リュック・ゴダール最後の言葉

bunshun.jp

を読んだ。私は少し前のエントリーで、尊厳死を自分で意思決定するときの、その“意思”とはどれだけ確からしいのか、今回のような“疲れ果てていた”状態での意思に決定権を認めて良いのだろうかなどと書いたのだけれど、この記事のジャーナリストによる取材では「意思は確かであり、固かった」とされていた。この取材をした宮下洋一さんは「安楽死尊厳死」についてたくさんのルポルタージュを執筆されている方のようだ。寡聞にして知らなかったので、読んだ。考えさせられる…というと本当に陳腐なのだけれど、文字通り考えさせられてしまった。オランダの「ポストマ医師安楽死」なんかは森鴎外高瀬舟』なんかと繋がるんですかね。長年議論されているのだ。

医者や弁護士など他者からの視線も経て、最終手段としての安楽死の決定、死の救いであることは理解できるつもりなのだけれど、しかしまだ納得できていない感じがあります。①耐えられない痛みがある。②回復の見込みがない。③明確な意思表示ができる。④治療の代替手段がない。これら死ぬための四条件があるとしても解釈によって幅があるし、私は自己の身体と所有物の関係とかも理解不十分なのでそこら辺は勉強しなくちゃならないのだけれど、なんだかなあという感じ。消極的安楽死は許容できても積極的はなあ。でも、痛いんだもんなあ。しかし、私は死にたいという気持ちを否定するわけではないし、むしろ理解できるところである。よくわかる。よくわかる。わかっていないのだ。まあでも本当に20歳と80歳の自死では全然違うだろうし、わからない。単なる自殺とは異なることはわかるのだろうけれど、その一線を越えることに漠然とした不安があって、という感じだ。来月には新刊として、『死刑のある国で生きる』

が刊行されるようです。読みましょう。平野啓一郎のこの前の新作とあわせて読むのも良いかもしらん。

 

山田『30歳ガリガリのデブ活』

f:id:nayo422:20221113165219j:image最近のおすすめYoutubeは、「山田」というチャンネル名で投稿されている『30歳ガリガリのデブ活』だ。身長174cm、体重50kgの山田さんが体重を増量するためにモリモリ食べる!という生活がVlog形式で撮られている。男性の1日の平均消費カロリーが2700カロリーということから、その数値を目標にして3食しっかり食べる1週間の様子が淡々と映し出されるのがいい。お部屋は生活感がありながらもとてもお洒落!であって、朝起きてしっかりご飯を作っていたりするのを観ながら、これが“丁寧な生活”だよなあと感嘆してしまう。ちゃんと体重も増えていっているし、それに伴ってチャンネル登録者数も増えている(2万人を超えた!)。30歳ガリガリのデブ活 - YouTube と、まあいろいろ書いているのだけれど、顔ファンであるということは白状せねばならないだろう…という思いにも駆られている。とても素敵な雰囲気なのだ…おすすめです。

OKAMOTO KOKI Acoustic Tour 2022 『GIRL&時のぬけがら (Naked)』

f:id:You1999:20221028150514j:image2020年にコロナ禍のために中止になってしまったオカモトコウキによるソロアコースティックツアー2年越しのリベンジ、OKAMOTO KOKI Acoustic Tour 2022 『GIRL&時のぬけがら (Naked)』まほろ座MACHIDA公演に参加してきた。コロナ禍前の『GIRL』とコロナ禍後の『時のぬけがら』を携えての、オカモトコウキのホームタウン町田での開催だ。100人ほどのキャパで見れるのがとても嬉しいし、前回のオカモトコウキ『1stソロライブ』はBeats渋谷でキャパ700人ほどだったので*1、今回はさらにグッと近い。なんほりライトを持って、開演を待つ…というのが理想的なはずなのだけれど誤って忘れてしまった。残念です。オカモトコウキはなんといっても抜群にかわいい。そのせいかどうかはわからないのだけれど、会場にはご婦人が多い印象を受けました。素敵ですね。

ライブのオープニングを飾る楽曲は、『時のぬけがら』オープニングナンバーでもある『Time』。タイトルの通り、この楽曲は時間についての音楽であり、カルロ・ロヴェッリ『時間は存在しない』のように、直線的な時間の流れではなく、「時間はそう 常に同時並行で」あることについて思考しながら歌われている。喪失感を感じていながら、でもここに君はいるはずなんだと呟く。そして、今があるだけのこの世界で君を待ち続けよう、踊り続けようと『WORLD SONG』、誰もがこの世界に紛れる群衆ではないのだと『エキストラ』で、

誰にも聞こえないと思っているこの声
実は聞こえてたとしたら
どれだけ安らぐか
誰もが同じ日 同じ夜にいる

と時間を共有するすべての人に語りかける。『時のぬけがら』を経たオカモトコウキにとって、「同じ日 同じ夜」は過去も未来も内包しているのだろう。そんな時間というものが不確かなように、そこに存在する無数人々も何もかもが不確かで互いに分かり合えないのだけれど、その不確かなままで、孤独なままで繋がることはできないのだろうか…と暗闇の部屋に差し込む月の光のような微かな希望だけを見つめているシーンをポップに歌いあげてしまうのが印象的だ。

「町田へようこそ!」とMCを開始し、「ほとんど神奈川なので東京出身と言いづらい…」と苦笑してみせる姿はめちゃキュート。ほんとにね、かわいいのだ。「このまほろ座の“まほろ”って三浦しをんまほろ駅前多田便利軒』からきてるのかな?この“まほろ”って町田のことなんですよ。で、設定として、東京で流行したものが1番最後にやってくるということになってるんだけど、それはね、事実です」と笑いを誘っていた。

「もう10年以上も前の曲です」と、恋人がいない夜の喪失感に耐えられずに電話をかけてしまう『Telephone Telephone』を演奏。この楽曲もまた今回のライブに即した“時間について”のものであるといえる。

くだらないケンカのせいで
長い夜は さらに長くて
電話が鳴って 胸高鳴って
途端に夜は短くなる

時間というものは一定ではなく、相対的であることを恋人2人が夜に通話するシーンによって描写してみせている。「かわいい曲、歌詞ですね」と照れていたオカモトコウキの姿が10年を経たことを物語っているかもしれない。「今日、32歳の誕生日なんですよ、言い訳できないくらい大人になってしまいました」と話していた。

「コロナ禍で失ったものはほとんど取り戻せたんじゃないかな、と。OKAMOTO'Sでツアーもしたし、アルバムも出せた。でも、このアコースティックツアーだけはできていなかったんですよ。それがようやくできるようになって嬉しい!」と語り、2年前にソロライブツアーのために買った機材を見るたびに、「あっ、まだできてないな…」と思うことがつらかった、というエピソードも明かしてくれた。

2年前に募集したカヴァーしてほしい楽曲たちを各会場で違うものを演奏していこうかなと、まほろ座MACHIDAでは、小沢健二『いちょう並木のセレナーデ』をセレクト。オカモトコウキ小沢健二!を歌うことに胸が高鳴ってしまった。贅沢な時間である。ここで、OKAMOTO'Sサポートもしているブライアン新世界が登場。「1部(お昼公演)は大丈夫かってくらいガチガチでヤバかったけど、2部はいい感じだよね?」とオカモトコウキが尋ねると、ブライアンが「いい感じだよ!」と返す。珠玉のポップチューン『LETTER』、未発表曲の『Back to 70's』を披露し、そして、ブライアンがプロデューサーをつとめるユニットLafuzinから田村美果が招かれ、オカモトコウキが提供した楽曲『ランチタイム・ラブ』で鮮やかで楽しげな空間を作り上げる。

時間の直線的な進行としかし頭の中にある記憶が接続することによって簡単に時間の矢印は変化することを歌った『folk』、ゆっくりと煙のように消えていく記憶と確かに残る思い出についての『smoke』、時間とともに消え去るのかもしれないのだけれど、たしかに胸の奥にはあのときの音楽が流れているだろうという『君は幻』がつづていく。「バンドのギターがこうして10年を経てから、ソロでアルバム出したりするのって結構珍しいと思うんですよ」と話し、「来年に出すOKAMOTO'Sのアルバムから無断で演奏します!」と『Flowers』を特別に披露してくれた。

『いつもこんな』『未来で会いましょう』と1stアルバム『GIRL』からの楽曲で会場の手拍子を要請しヴォルテージを高めていく。そして、「ソロライブでこれはやらなきゃ」と『なんかホーリー』へ!『なんホリ』のなんとも凄まじい幸福感はなんなのだろうと考えてしまうほどに、あまりに楽しすぎる楽曲だなあ、と感嘆しうっとりしてしまう。なんホリライトの煌めきがその幸福感をより印象的にさせていく。客席からサッとなんホリライトが掲げられ、曲が終わるとライトを消してちゃんと鞄にしまうアクションに、民度の高さというか教育が行き届いているというのかなんというか、流石だな笑と思ってしまいました。曲間なく、立て続けに『WENDY』で駆け抜けていく。「今日はありがとうございました!」と『I GOT LOVE』で「君は覚えてる?」とすべての人の心に響きつづける音楽の素晴らしさを届けステージを本編を終え去っていった。

アンコールの拍手に応えて、MACHIDA Tシャツに着替えてステージに戻ってきたオカモトコウキに、ブライアンの「Happy Birthday to You」のサプライズ歌唱が送られ、田村美果がケーキを運んでくる。

Beats渋谷以来の3年ぶりのお誕生日をお祝いできたので嬉しい。

「神奈川から川を挟んで反対側にある東京のラブホテル群を眺めながら、Everybody dancing time 欲望は止まらないという歌詞を思いついた」というエピソードを話し、アンコールとして『90'S TOKYO BOYS』をオカモトコウキver.のやさしさをこめて歌われる。なんと最高な夜なのだもうっとりしました。OKAMOTO'Sのライブにもちゃんと行かなくちゃだ。f:id:nayo422:20221106222832j:image

*1:コロナ禍前だったことを考えると、本当にずーっと昔のことのように思えてしまう。そして、そのライブも11/5でオカモトコウキの誕生日であった