昨日の今日

KINOUNOKYOU

お笑いとテレビと映画と本と音楽とサッカーと…

ヨルゴス・ランティモス『哀れなるものたち』

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人類は進歩できるのか

西洋哲学的価値観を内包するこの科白は、本作で何度も問いかけられる。そして、それを体現するかのように、ベラ・バクスターエマ・ストーン)は、問答を行う哲学者のように他者と出会う旅に出るのだった。異なる価値観に触れ、自らを変革していくことによって、魂の向上をめざす旅だ。

自死を選びその生命に終止符を打ったはずが、マッドサイエンティスト、ゴドウィン・バクスターウィレム・デフォー)によって胎児の脳を移植され、新たな人生が幕を開ける。生命を新たに始めるのであって、その旅路に現れるすべてのものがその目には新鮮に映る。人々が行き交う街並み、異国の風景、甘いお菓子、喉を焼くようなお酒、セックス、貧富の差…そして、旅の途中で出会った婦人から「思考することの楽しさ」を学び、人類は向上できるのか(善き生とは…?)という哲学的な価値観を抱くようになる。壮絶な貧富の格差や荒廃した島で命を落とす子どもたちを目の当たりにし嘆き悲しむだけど、それ以上何もできない無力感をも味わうのだった。旅を共にするダンカン(マーク・ラファロ)から収奪したお金を恵んであげるが、その行為によって世界が変わる(進歩する)ことはない。むしろ上から下への関係は、その構造を固定化しかねない問題をも孕んでいる。また、結局のところお金は貧しい人々のもとへと到達することはなく、市井の人々の凡庸な悪意に阻まれてしまうのだった。個人の行為は無意味ではないが、構造に対して何かしらの作用を及ぼさないといけない難しさがベラの善意の前に屹立するのである。

すべての財産を失ったベラとダンカンは、冬のマルセイユに降り立つ。ダンカンと別れたベラは、他者の恣意的な意志ではなく、自らの意志に基づき娼婦となる(あくまで状況的にそうなるのだけど)。自律の理念とつながるその意志によって、自由を獲得するのだ。そう、ここは革命を成し遂げたフランスの地であった。マッドサイエンティストによる軟禁から脱し、色男ダンカンの執着からも解放された。ベラはあらゆる男とセックスすることで新たな世界を発見できるし、ついでにカネも貰うことができる。さらには稼いだカネで勉学に励むことも可能になる。万事順調であった。そんななか、育ての親(産みの親?)であるマッドサイエンティストが危篤状態であるとの報せが届き、ベラは彼のもとへ帰還することを決める。そこにはかつて子ども時代に婚約したマックスもいるのだった。

旅から戻ってきたベラとマックスは婚約を確かめる。「娼婦であったけれど、気にしない?」とのベラからの問いかけに、マックスは「君の身体なんだから、君の自由にすべきだ」と言うのだった。身体の所有権は自らにある、と。ベラが娼婦になることを自らの意志で決定したのと同様に、その身体を扱うこともまた自らの意志に帰属するのだということである。徹底した自律の概念が本作を貫いていることがこれらのことからもよくわかる。

それでは、本作の冒頭に遡って思考してみよう。本作の冒頭とは、ベラの身体(母親?)が橋から飛び降りたシーンである。身体の所有権は自らにある。であるならば、自らの身体を自らの意志によって処分すること、つまり、自死を選ぶことは当然に認められるべきだろうか。ベラが軟禁状態や醜い束縛から脱したように、生命を断ち、苦しみから解放されることもまた当然に与えられた権利であろうか。しかし、私たちはそれに首肯することはできないだろう。なぜなら、物語の終盤を目撃すれば明らかなように、彼女はその構造に苦しめられていたのであって、幸福な環境下ではあれば死を選ぶことはなかったからである。ブレシントン将軍による抑圧的な構造的暴力によって、ベラの母親は死を選ばざるをえなくなったのだった。

そこでベラはある案を思いつく。そう、人類を進歩させるのだ。しかし、ブレシントン将軍とヤギの脳を入れ替え、抑圧的な態度を取れないようにするラストシークエンスは、一面的には爽快でありながらも、本作が目指そうとしている射程には届いていないのではないかと思ってしまう。なぜなら、ブレシントン将軍の外部にもまた、暴力的な構造が存在しているからである。有害な男性性をもつキャラクターを担わされているけれど、彼は生まれながらにしてそのような抑圧性をもっていたのだろうか。社会や時代状況による構造的な要請が彼をそうたらしめたのではないか(ベラが知性を獲得していったように)。本作において、その外部にある構造は描かれていないのである。その先にこそ、ベラが目の当たりにし、そして、進歩させたい世界の残酷さがあるはずだ。

また、ベラはブレシントン将軍をある意味でモノ化したともいえる。自分の思い通りに、自分の思い描く「進歩」のために。それは、娼館でベラが商品化されたこと、マッドサイエンティストがさまざまなキメラをつくりだしていたこと、ベラが去ったあと新たなフランケンシュタイン・フェリシテを誕生させたこと、ダンカンが自らの思い通りにしようとベラを箱の中に入れたことと延長線上にある。自律や意志の重要性を謳ったであろう本作は、まさにそれによって他者の自律を奪ったのである。ヨルゴス・ランティモスの映画は、構造的な要因の複層性から逃れられないことを示唆するものが多い。例えば、過去作『ロブスター』は、人間をモノ化(管理)する物語であり、そして、それから逃れようと森へ逃げ込み個人としての自由を獲得するが、その森にも人間をモノ化するようなルール(構造)があることを突きつけるものであった。西洋的な自律を重視する態度や個人の努力だけでは、構造の変革は成されない(しかしながら、その崇高な理念が重要であることもまた事実なのだ。だが、知能と自律を獲得する物語であるだけに、まさにそれを線引きに劣っているものを軽んじるような眼差しを感じ取ってしまったのは私だけだろうか。ヨルゴス・ランティモスの作品からは我々と他者を分つようなオリエンタリズム的なものを感じるのだ)。その虚しさを描くためのショットはなかったように思うし、結局のところ、救われるためにはその構造における権力の座につくほかないことをも示唆するようなヨルゴス・ランティモスのニヒルな笑みを否定しないことには、「人類が進歩できる」日は到来しないのではないかとさえ思ってしまうのだ。

ホイッスルが鳴ったら。「2024.01」

f:id:nayo422:20240130024025j:imageあなたは見ただろうか。1月28日(日)に開催された大阪マラソン2024を。​19年ぶりとなる女子マラソン日本記録更新の瞬間を。日本人初の2時間18分台という快挙を達成した前田穂南の走りを。MGCファイナルチャレンジ対象レースとして実施された大阪マラソン2024で女子マラソン日本記録を更新した前田穂南がカッコいい。ラスト、広いストライドでタイムを更新しようと地面を蹴る姿に、スポーツにおける美徳の実践を見ることができた。本当に美しかった。Twitter野口みずき(旧日本記録)と前田穂南のペース比較を変動グラフにして表現してくれている方がいたのだけれど、野口みずきが高タイムのペースを持続させているのに対して、前田穂南は中盤(20キロ時点)からグイーーンとペースアップさせているのだ。この変動グラフを見ると、日本記録の更新とはまた別に、MGCファイナルチャレンジ対象レースとしての「勝負」にも徹底していたことがわかる。記録だけでなく、勝つための走りだったということである。すごい。それが本当にカッコいいのだ。YouTubeに公式フル映像があるので、必見です。

【前田穂南 日本新記録達成】【official】2024 Osaka Women's Marathon full version/第43回 大阪国際女子マラソン - YouTube

年始から『日プ女子』を今更ながら観始めてしまったら、あっという間に最終回まで辿り着いてしまった。結局観てしまうのです。しかし、みんなやる気がありすぎる。『PRODUCE 48』とかやる気ないひと、あからさまに不貞腐れてしまうひとなどいて、それがいいなと思っていたのだけど、優等生的にに頑張る人が多い。千葉恵里が「無理です」と言ったり、グループを組んでもセンターやりたい人がいなかったりするのがよかったのになあ、と思う。

基本的には加藤心を軸に、八田芽菜、北里理桜、加藤神楽、会田凛を応援していました。笑顔を貼り付けたような加藤心さん良いですよね。八田芽菜はめちゃくちゃアイドルであったし、会田凛は今回のオーディション競争社会における良心でありました。加藤神楽、北里理桜は、終盤にかけて存在感を発揮していたように思う。髙畠百加は『おもかげ』で勝利していた。しかし、随所で異彩を放つ櫻井美羽に視線を奪われるのもまた事実だった。実際、最終回は、やっぱり櫻井美羽だなーと思ってしまった。『想像以上』めちゃ良くてたくさん聴いている。#11 最終回 ハイライト┊♫ 想像以上 [デビュー評価] - YouTube 毎度プデュの最終回を観るたびに思うのだけど、2チームつくってしまえばいいじゃん…となりますね。特に『想像以上』チーム。もう最適解なのでは…?と思ってしまう。

SHIBUYA CLUB QUATTROで、The Japanese Houseを観た。f:id:nayo422:20240211213928j:imageまさしく光だった。他者を眼差すことの切実さや承認における難しさを感じとることができた。理想的な未来は描き得るのだと、世界は信じるに値するのだと思えた。分断と対立によって、虚しさが支配しているこの世界を。NHKアナザーストーリー『オシムの涙 〜W杯サッカー 知られざる闘い〜』を観た。このドキュメンタリーもまた、最後まで諦めるべきではないことを語っていた。分断と対立のなかで、民族のアイデンティティと国家の折り合えなさのなかで、ボールを繋いでいく喜びと仲間のために走る美しさ、ただサッカーをすることの楽しさが存在していいことをオシムは証明したかったのだ。ましてや、国家なんてものは想像の共同体である。新たに作り出された空間も、想像の共同体でしかない。なのに、私たちはまさに争うことを目的として、空間を作り出さそうとする。友と敵を区別しようとする。クラブチームにおけるアイデンティティナショナルチームにおけるアイデンティティ。今どれほどの違いがあるのだろうか。

サッカーのこと。リヴァプールはクロップが今シーズン限りでの退任を発表した。今のリヴァプールを創り上げたのは、クロップによるものが大きいことは誰もが認めるところだと思う(フロントやコーチなど一枚岩となれたこともまた大きいけれど)。ゲーゲンプレスを世に知らしめ、フィルミーノ、サラー、マネという最強の3トップは、当時ナンバーワンの破壊力を誇っていた。最初のCL決勝、マドリー戦でラモスがサラーに対してあんな酷いことをしていなければ、優勝していた可能性もかなりの確率であったはずだ。あのときのレアルを倒すことに意味があった。リヴァプールバルセロナに対する大逆転もまだまだ記憶に新しい。サラー、フィルミーノが出場できないなか、ワイナルドゥムの活躍もあってセカンドレグでひっくり返した試合だ。あれもこれも…とさまざまな記憶が蘇ってくる。

祝!リヴァプール30季ぶり優勝!『プレミアリーグ初制覇』 - 昨日の今日kinounokyou.hatenablog.com

リヴァプールといえばThe Beatlesだろうか。昨年のクリスマスに小山田壮平ジョン・レノン『Happy Xmas(War Is Over)』歌っていたのを聴いたのがきっかけで、ジョン・レノンの本を読んだ。

ジョンは歌を通じて、世界中の人に、しあわせをあたえてくれました。苦しいこともたくさんありましたが、それをのりこえて、愛と平和を語りかけてくれたのです。ところが、暴力に反対をとなえていたジョンは、皮肉なことに、銃によって、命をうばわれてしまいました。[・・・]でも、ジョンの人生は、わたしたちの胸に、深くきざみこまれています。これからも、この世に音楽を愛する人がいるかぎり、ジョン・レノンは、人々の心にいきつづけていくことでしょう。

クレイグ・ワトキンス『ヒップホップはアメリカを変えたか?』をブックオフでゲットしたので読んだ。ヒップホップがアメリカに受け入れられるようになる、いや、もうすでに社会に受け入れられていたことが、レジのPOSデータによって明らかになったことなどは興味深かった。最近、ニューヨークと河合くんの共演が増えていてうれしい。Faye Websterはいい。私は彼女みたいになりたいのだ。

Faye Webster - Lego Ring (feat. Lil Yachty) [Official Video] - YouTube

【河合郁人】ニューヨークの河合への愛情を、河合クイズで確かめてみました。 - YouTube

【LIVE】ODD Foot Works 「Love Is Money?」|23.10.24|DIGLE SOUND Live Vol.4 at 新宿MARZ - YouTube

【神回】ニートと居候とたかさきと船乗りで親子丼を作ろう - YouTube

ニートと居候とたかさきと船乗りが2023年に1番買って良かったもの発表 - YouTube

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Kim Gordon - "BYE BYE" (Official Music Video) - YouTube

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[EN/JP] 둘이 뭐해요..? 🥰 칭찬으로 시작해 칭찬으로 끝나는 핑크빛💖 무한 칭찬 토크쇼🤭 | 은채의 스타일기💫 EP.31 | ITZY | RYUJIN - YouTube

The Black Keys - Beautiful People (Stay High) (Official Lyric Video) - YouTube

岡村和義 – 「I miss your fire」MUSIC VIDEO - YouTube

The Japanese House: Tiny Desk Concert - YouTube

【レース後記者会見】前田穂南&天満屋・武冨監督 第43回大阪国際女子マラソン - YouTube

カンテレ『前田穂南が走った、42.195km。』

f:id:nayo422:20240215005306j:image19年ぶりの日本新記録となる「2時間18分59秒」*1をマークした前田穂南。ラスト、広いストライドでタイムを更新しようと地面を蹴る姿に、スポーツにおける美徳の実践を見ることができた。美徳とはマイケル・J・サンデルが提唱した概念であり、「人間が生まれながらにして与えられた能力や資質の限界を受容し、そのなかでより良い成績をめざす、能力や資質を最大限にまで開花させること」であるとされている。カンテレにて放送されたドキュメンタリー『前田穂南が走った、42.195km。』を観た。

本大会は、MGCファイナルチャレンジ対象レースとして実施され、パリ五輪への切符をかけた競走であった。出場権獲得者は、3人中2人がすでに決定しており、残された枠はあとひとつ。まずはMGCファイナルチャレンジ設定記録である「2時間21分41秒」を突破することは絶対条件であるし、その上で日本人1位でゴールすることが求められていたのであった。しかしながら、ずっと「アレ」と濁し続けていた前田穂南の目標がゴール後のインタビューで明らかになったこと、そして、本ドキュメンタリーで「2時間18分00秒を目指していた」ことが公言されるとき、彼女が自らの設定した目標を達成することにだけフォーカスして走っていたことが人々の心を感動させるのである(もちろん、前田穂南以外の選手がそうではないということではない)。それはまさに、スポーツにおける美徳の実践と言っていいと思うのだ。誰かが決めた基準でなく、自らの意志によって決めた戒律に従うこと。酷く苦しい過酷なレースのなか、脚の回転を止めて仕舞えば終わってしまう(終わらせることができる)陸上という競技において、自らの限界に挑戦するその姿に胸を打たれてしまった。カッコいいのだ。また、「走るのが好き」「走らない人生は考えられない」などの言葉の数々は、他者と相対化され得ない自らの運命を見つけているようで、羨望の眼差しを向けてしまう。

日本記録の更新を達成したけど、記録はまだ出ますよ

前田穂南は、日本記録ではなく、自らの限界に対して挑戦している。であるから、日本新記録が達成されてもその先に進んでいくのだ。アスリートの卓越性は我々を魅了し、感動させる。今回のレースを観て、その美しさを改めて認識することができた。

【前田穂南 日本新記録達成】【official】2024 Osaka Women's Marathon full version/第43回 大阪国際女子マラソン - YouTube

*1:日本記録は2時間19分12秒(野口みずき

『Homecomings New Neighbors FOUR Won’t You Be My Neighbor? January 29, 2024 at Shindaita FEVER』

f:id:nayo422:20240129223105j:image2月に開催される『Homecomings New Neighbors FOUR Won’t You Be My Neighbor? February.10, 2024 at Kyoto KBS Hall』にて、バンドからの卒業が決定している石田成美。彼女の最後の東京ワンマンとなった、同ツアーat Shindaita FEVERに参加した。新代田フィーバーでのワンマンは初めてのことだという。

「どこからやってきたかも忘れてさ」「優しいことは忘れないでいる」という円環を意識させた歌詞と天使の輪っかのイメージを描きながら、人間がその歪な世界で生きることの豊かさを謳う『Cakes』によって、この日のステージは幕を開けた。そして、続くのは『I want you back』。そのタイトルが示すものとは裏腹に、かつての思い出を振り返ることでさよならを告げられるようになっていくシーンは、まさに今のバンドを思い起こさせる。ケアという概念を意識したであろう『i care』の演奏が始まる。あなたのことを気にかけながらも、まずは自らの選択と身体的な感覚、生活のリズムを大切にする。その延長線上にあなたもいるのであって、私への矢印があなたへも向かうという間主観的な関係を描き出す。私に閉じるのではない、私の中にこそ、あなたはいる。あなたの中にこそ、私はいるのである。というメッセージは実に感動的であるし、Homecomingsがその歩みを止めない限り、石田成美はたしかにそこに居続けるのだという宣言にもなり得る。

It's a bit like luck

HURTS

ああ 僕らはたまたま美しい
ああ あなたはたまたま美しい

『US/アス』

ホムカミが歌うのは、偶然のかけがえないなさだ。人が生まれるのも、出会い別れるのも、特別何かを見つけられるのも、もしくは見つけられないのも、バンドを結成することも、すべては偶然だ。京都精華大学フォークソング部での新入生歓迎イベントをきっかけに結成されたバンドもまた、そのすべてが偶然によって導かれている。大学に進学する前には、Homecomingsを結成することなんて想像もしていないだろうし、あまつさえメンバーのことなんて知る由もない。そう、“たまたま”なのだ。今この瞬間、新代田フィーバーで音楽が鳴り響くのを聴けているのは、そんな偶然の美しさによって誕生している。

結婚を経てこれからの人生を考えるなかで、家族との未来や自分のからだのことを考えたときに、3人と同じペースで音楽活動を続けていくことが難しいという判断に至った

石田成美(Dr./Cho) 卒業のお知らせhttps://homecomings.jp/news/1766/

石田成美さんは、Homecomingsを卒業することになった理由をこう説明している。そして、福富優樹がさまざまな媒体でたびたび紹介している、スチュアート・ダイベック『シカゴ育ち』に収録されている「右翼手の死」には、こんな記述がある。

もうじき夏休みも終わりだった。大学とか、仕事とか、身を固めて家族をもつとか、ほかのことをする時間が迫っていた。三十五歳を過ぎると、人生の下り坂がどうこうという話がはじまる。四十代に入り、白髪も目につきはじめたフィル・ニークロが相変わらずのナックルでばったばった三振を取っているとか、ピート・ローズも四十二にしてなおヘッドスライディングで頑張っているとかいった話も出てくる。年齢のハンデなんか物ともしないじゃないか、と。けれどおそらく、事実下り坂は訪れるのだ。

スチュアート・ダイベック『シカゴ育ち』「右翼手の死」柴田元幸 訳 53-54頁

もちろん下り坂なんてことはないだろうし、年齢によるものでもないだろう。でも、時間を経て、これまでとは状況が変化したのだ。福富優樹も「仲が悪くなって卒業とかじゃない。2024年も成ちゃんが叩いていても不思議じゃないくらい。そんな感じ」だと話していた。石田成美は「もう感謝しかない。これからの3人の活動を応援してほしい」と語った。畳野からは、当然のように、Homecomingsの未来の予定が告げられる。

「4月に恵比寿LIQUIDROOMで私たちの企画で、リーガルリリーとやります」

先行チケットも会場で販売され、歩みを止めないことを力強く宣言するようであった。でも、ホームカミングとは「卒業生たちを年に一回、母校にお迎えして、ダンスや同窓会など各種イベントを楽しむ」ことであって、ふらっと戻ってきてもいいのだろうし、ホムカミの音楽がそこにある限り、ほとんどずっとそこにいるようなものなのだろう。バンドは形を変えて、続いていく。その時間が長くなるほど、かけがえのない時間の中で4人で鳴らした音楽はより美しさを増していくのだ。

By making it a song,
Can I keep the memory?
I just came to love it now.

『Songbirds』

The Japanese House 2024.01.18 at SHIBUYA CLUB QUATTRO

f:id:nayo422:20240122225442j:imageThe Japanese HouseをSHIBUYA CLUB QUATTROにて目撃。ライブハウスの扉が閉まらないほどに多くの人が駆けつけていた。クリエイティブマンが彼らの集客力を見くびっていたのではないかと思ってしまった。オープニングを飾るのは『Sad to Breathe』『Touching Yourself』『Something Has to Change』などといったThe Japanese Houseを代表する楽曲群。ちらちらと中空を点滅する雪のようにクラブハウスに降り注ぐ電子音が、静かにステージの始まりを告げる。彼らが鳴らす音楽が表現するテーマは、そのプロジェクト名が指し示すように、空間(House)であるのだと思う。

私的空間に誰かが入ってくること。もしくは、自分が誰かの空間に入っていくこと。そして、その空間から自ら出ていくこと。もしくは、誰かが去ってしまうこと。空間に誰かが入ってきて、去っていく。しかし、それは元に戻るというわけではない。喜びの、憎しみの、悲しみの、悦びの記憶が確かにその空間に残り、かつての孤独をそのままに享受できるようにはならないのだ。人間は生まれ、やがて死ぬ。この世界に入り、いつかは退場していく運命にある。世界はその度に変化を起こしている。『In the End It Always Does』(最後はいつだってそうなる)。それが最新アルバムのタイトルだった。生命の短さと、だからこその尊さ。

The Japanese House 2024.01.18 at SHIBUYA CLUB QUATTROのポスターは、見ようによっては二重螺旋構造のように見えなくもない気がするのだけど、ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックによって発見されたそれは、この世に存在する生物すべてが同様の構造であることを世間に知らしめたのだった。しかしながら、世界は私たちと他者との間に明確に境界線を引くことによって分断を引き起こしている。私たちはあなたたちと異なるのだ、と。あなたたちは私たちと異なるのだ、と。

アンバー・ベインは、多くのインタビューでクィアな「居場所」を描くことを心がけていると語っているし*1、『In the End It Always Does』アルバムジャケットの円環は何かを承認するようなイメージをも想起できる。

クィアなスペースにいると、存在しているだけで「居場所」が生まれるんですよね」*2

わたしはここにいていいのだ、と。あなたはここにいていいのだ、と。しかし、その相互の承認の関係によって創出する「居場所」は、その空間が誕生したと同時に壁をも生んでしまう。円環を描く曲線は、承認すると同時にそこに境界線をも描いてゆくのだ。アンバー・ベインの歌声からはそのような困難をも理解していることを感じ取れる。例えば、『Boyhood』。自己の葛藤、そしてそれを克服し得る承認とその困難を描くこの楽曲は、後半にかけてかすかに希望を灯す。異なる空間にある円環がわずかに重なり、私たちは異なる存在でありながらも、分かり合える瞬間があるのだ、と。アンコールに応えて、再びステージに戻ってきたアンバーは、暗闇の中に真っ直ぐ降り注ぐ光に包まれ、牧歌的な風景のなかで心癒される場所を創出していく。

Sitting in the back seat, driving with my sunshine baby
Well, I've gone a little crazy
Surely someone's gonna save me now

『Sunshine Baby』

そういえば、濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』もまた、自らの居場所を獲得しようとするもの物語であったことを思い出す*3。少し違うのは、濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』が運転席でハンドルを握ろうとしたのに対して、The Japanese House『Sunshine Baby』では、後部座席に座り、誰かの救いに身を委ねようとするところだろうか。目的地があるのかどうかはわからないけれど、車は進んでいく。家福(西島秀俊)の言葉が聞こえる。

生き残ったものは死んだもののことを考え続ける。どんな形であれ。それがずっと続く。僕や君はそうやって生きてかなくちゃいけない。

最新アルバム『In the End It Always Does』もそうだけれど、The Japanese Houseの楽曲には、悲しみや傷跡を残しながらもそれでも進んでいくことの重要性を歌うものが多くある。承認を示す円環構造が車輪となって、ぐるぐると回転しながら、頭を悩ませながら、時間を進めていく。

To be putting off the end
cause in the end, it always does

『Sunshine Baby』

という歌詞は、映画『君の名前で僕を呼んで』からの引用であるらしい。「父親が主人公である息子エリオに、悲しみがあっても、それを消し去ってはいけない、そうしないと40歳になって何も感じなくなる、というような内容を語りかけているシーンがあって。引用は、完全にその台詞からの使いまわしのようなものだけど、要はそういうことを感じているときは、良い感情だけでなく、悪い感情も感じることが大切だということなんだと思う」*4とインタビューで語っている。暖かな光に包まれ、車は走り続ける。私たちは理想にいつか辿り着く。最後はいつもそうなるのだ、と今なら思うことができる。

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*1:The Japanese Houseが語る、クィアとして音楽業界に思うこと、The 1975との信頼関係https://rollingstonejapan.com/articles/detail/39676/2/1/1

*2:The Japanese Houseが語る、クィアとして音楽業界に思うことhttps://rollingstonejapan.com/articles/detail/39676#google_vignette

*3:濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』 - 昨日の今日

*4:ザ・ジャパニーズ・ハウスにインタビュー「いつだって最後には必ず終わりがやってくる」https://numero.jp/interview391/