昨日の今日

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お笑いとテレビと映画と本と音楽とサッカーと…

『VACANCES バカンス』1

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フランス語のvacanceにもともと「空白」や「頭を空っぽにする」という意味があるように、そこには、何も特別なことをしないからこそ得られる豊かな時間があるのだろうと、僕は遠い国から勝手に想像している。

物質的には満たされているのに、何故だかストレスフルな生活を送っている現代人。あれもこれも持って行きたくて、休暇の旅に出る準備で、何が必要で何を置いていけばいいのかわからない…と鞄の前で立ち竦んでしまう。そんな一コマが表紙*1に描かれたZINE、11月20日文学フリマにて販売された『VACANCES バカンス』の創刊号を手に入れたので感想を書き記しておきたい。『鳥がぼくらは祈り、』で第64回群像新人文学賞を受賞し、2作目の『オン・ザ・プラネット』が第166回芥川賞候補作に選出された島口大樹、『BRUTUS』にて連載を持つ怪談師・深津さくら、『愛がなんだ』や『街の上で』をフィルモグラフィーに持つ映画監督・今泉力哉などなど、寄稿者がこんなにも豪華であるのに驚いてしまう。私はZINEというものをよく理解していないので、これが普通なのかどうなのかわからないのだけれど、この豪華さはすごいんですよね、たぶん。

さて、冒頭の引用が示すように、このZINEが提案するのは「空っぽ」である。モノや目的意識で溢れた生活に疲れているのなら、「空っぽ」にしてバカンスに出てみよう、と。そうすると本当に大切なものが見えてくるんじゃないだろうかというわけである。しかし、そんな大切なものなんてないよね〜という感じでもいいのだ。vacanceは自由である。

島口大樹『僕の生活』

社会人1年目と作家デビューが重なったことから、二ヶ月に一度は熱を出し、経験したことのない胃痛に襲われていたという島口大樹さんが、会社を辞めて、「生活」を取り戻す日々のエッセイがこのZINEのまず最初に置かれている。ゆったりした時間のなかに身を委ね、小説を書きぼけっとすることに生活が宿る。しかし、会社を辞めたからといって、そのぽっかり空いた空間にぼおっとする時間や小説を書く時間が収まるというわけではどうやらないらしい。島口さんにとって、「(小説を)書くこと=仕事、と仮定してみても、書いている時間=働いている時間、書いていない時間=休み、の等式は成り立たない」ようである。遠くに出かけても、美術館を回っても、どこか頭の中には小説のことがあり、そのつもりもなく、街の中で何かを探しているのだ、と。小説のことで頭の中が満たされているのではなく、頭の中が何もなく空っぽであるからこそ、考え続けることができるのだろう。思考し、遠くの他者が脳裏によぎる。自己の生活の中に他者を思うこと、誠実に生活を続けることの困難さとしかしそこに向き合おうとする姿勢が素敵である。

つかずはなれずの距離感で僕らのまんじがためは続く

YouTubeで配信されている夏目智幸と高橋翔によるトーク番組『夏目高橋のまんじがため』インタビュー。「ぜんぜんなにも考えていないよね」「打ち合わせもしない」と、2分前に到着して番組を開始させるというそのさまは、まさにバカンス(空っぽ)を体現しているようであって面白いし、

ここに座ると、そういうどうでもいい話を思い出すんですよね

と話す夏目さんのシャムキャッツ菅原エピソードがインタビュー中に思い出されるのも、頭の中に何も入れていないからこそのものだろう。まんじー*2とのつかずはなれずの距離感を取りながら、「何ヶ月か空いたとしても、ユルく続いていくから“終わるということがない”」というこの番組。インタビュー掲載写真で、高橋さんは宇多田ヒカルHEART STATION』のTシャツを着ている。

さよならなんて意味がない
またいつか会えたら
素敵と思いませんか?
私の声が聞こえてますか?
深夜一時のHeart Station
チューニング不要のダイアル
秘密のヘルツ
心の電波届いてますか?

宇多田ヒカルHEART STATION

深津さくら『つれかえる』

樹海へ侵入した谷口さんたちが、バカンスのお土産のように、“恐ろしい何か”を持って帰って来てしまった…というショートショートである。しかし、「谷口さんが真夜中の樹海へ向かったのは、ただ遊び足りないからという理由だった」という冒頭のように、その“恐ろしい何か”がついて来てしまったのも「ただ遊び足りなかった」だけなのかもしれない…。犬が吠え続ける…いっときの好奇心が誰かの叫びを惹起する。見えている者だけが叫びつづけるラストはさながらジョーダン・ピール『NOPE/ノープ』のようであるだろうか。

今泉力哉『グレースケール』

呼び出されたので向かうとすでにそこに彼女がいた。大きめの本屋のふもとで待ち合わせしたのだが、彼女は背が小さかったので本屋は更に大きく見えた。[・・・]直接会ってみて思ったのは、背の低さと化粧っけのなさだった。え、こんなに背が小さいんだ、と意外だったのはその人がある種モデル的な仕事もしている人だったからで、そういう意味では乃木坂46に在籍中の白石麻衣さんと仕事した時に抱いた感情と同じだった。「え、ちいさい」という感情。感覚。

今泉力哉がこのZINEのために書き下ろしたという短編小説『グレースケール』。今泉が喫茶店でシングルマザーの恋愛相談に乗るのだけれど、この男女2人で会うという構図が浮気のようにならないか(友達と会うと嘘までついているのなら尚更)ということに話は及んでいく。ではどう説明するのか、となると言葉でもって説明するのはなかなか難しいようだ。実際に対面ではじめて会って、「え、ちいさい」と思うように、本当のことと言葉や頭の中でイメージするものとでは齟齬が多分にあるのだろう。そんなことが2人によってダラダラと話され、会話がドライブしていくところは『街の上で』の荒川青と城定イハの長回しの会話シーンのようであるだろうか。別にどうでもいいけれど、なんだか耳をそばだてて話を聞こうとしてしまう。そんな心地よいバカンスは、きっと『街の上で』がそうであったようにあなたのすぐ隣にあるのだ。

余談として、おそらく今泉力哉を実際に見てみたら、「え、おおきい」という感情。感覚。になるのだと思います。

忘れる。『伝染していくトランス状態』

NSC東京15期出身で、ニューヨーク、いぬ、カナメストーンらと同期のフリーコンビ・忘れる。のロングインタビュー。『あんあん寄席』のこと*3、最近舞台下に降りがちということ、鶴山さんの空白6年とお遍路のこと、橋下さんが尖っていたこと、M-1のことなどが濃密度で話されている。橋本さんは重いものを持つときとか、自転車で坂道を登るときとか、力を入れるときに「M-1絶対勝つぞ!」と頭の中で唱えているらしい。忘れる。は2019結成なので、まだまだ出れる。鶴山さんは芸人活動を休止していた6年の間、「お笑いをやりたいのにできなくて、膝から崩れ落ちて毎日泣いていた」らしい。であるから、こうして何かを目指して日々お笑いをやれている現状は鶴山さんにとってはバカンスであるだろうか。M-1だけがすべてではないけれど、頑張って欲しいですね。

 

ZINEには他にも、暮田真名『仮着』(現代川柳)、シンガーソングライターkiss the gambler『沖縄旅行記』、ナカムラミサキ『ハイ・シティ』(マンガ)などが収録されている。

そして、本の反対側からは1ページとなって『僕らのバカンス特集』としてZINE編集者によるおすすめポップカルチャーのレビュー、バカンスをテーマにしたエッセイが始まっているのだけれど、そうすることで奥付*4がZINEの途中に置かれるようになっているのがおもしろい。バカンスは一方通行ではなく、浜辺でたくさんの人々がすれ違うように入り組んでいる。終わりはなく、たくさんのモノや人とすれ違い出会って生活は続いていくのだ。スマホの画面からの情報とケトルが報せる生活の音、レコードが奏でる身体的な音に委ね、電脳世界を泳ぐイルカ・サーミーを思い出すこと、久しぶりの家族旅行と幸福の感じ方に年齢とともに変化があること、バカンスを経て大切にしていきたいものが胸の中に浮かんでいること。「何も特別なことをしないからこそ得られる豊かな時間」はもうきっとすぐそこにあるはずで、今はそれを手繰り寄せるためのvacanceが必要なのだ。

vacanceszine.theshop.jp

*1:インディー漫画雑誌『すいかとかのたね』編集長・中山望 絵

*2:『まんじがため』リスナー愛称

*3:『あんあん寄席』が入れ替え戦になるの知らなかった。競争競争で大変ですね

*4:書物の末尾に、書名・著者・発行者・印刷者・出版年月日・定価などを記したページまたは部分のこと