昨日の今日

KINOUNOKYOU

お笑いとテレビと映画と本と音楽とサッカーと…

ローレン・グロフ『丸い地球のどこかの曲がり角で』

f:id:You1999:20210717125946j:image大小の爬虫類が群れ棲む沼のほとりから150キロほど離れた海岸に引っ越して本屋を営み始めた母親のもとでいっときの平穏を感じていたジュードは、戦争から父親が帰ってくることによって、再び沼のほとりへと引き戻されることになってしまう。爬虫類と両生類の研究者である父親は家族を沼地へ引き戻そうと海岸を訪れ、母親が雇っていたサンディーを締め出し、ジュードの頭をバシッと殴ったのだった。動物園や大学に蛇を売るために父親の不在が二晩つづいた翌日、母親はスーツケースの片側にジュードの身の回りの品を詰め、反対側には自分のそれを詰めた。列車がやってきてジュードと母親は顔を見合わせ微笑む、しかし、そして立ち上がったその時になって、暗闇から父親が現れジュードを抱き上げてしまうのだった。母親は列車に乗り込み、そのまま闇の中に運ばれ去ったのだった。沼のほとりのクラッカーハウスで父とふたりきりで暮らすことになったジュードは十三歳になると図書館に通い出して、三角法や統計学微分積分といった本を夢中で読みあさる日々を送る。家で父親とはほとんど会話を交わさず、学校にいても退屈だった。ハイスクールの陸上部に入り州大会で獲得したトロフィーを持って家に帰っても、父親は「ニグロが参加できていたら、これはなかったな」と言うだけだったし、ジュードもそれに対して何も言わなかった。あるとき、父親は泊まりがけで出かけて、その場所のテントの中で、体は膨れ上がり、黒く変色した顔から舌が飛び出している状態で見つかった。ジュードは、人はもっとも愛したものに殺されることもあるのだと思ったのだった。父親が家に残したものをすべて捨て去り綺麗にして、ハイスクールを卒業した日、ボストン行きの列車に乗って母親に会いに行った。そのあとも大学三年生のときに病に倒れ亡くなってしまうまで、週に一度、母のもとを訪れたのだった。ジュードは天涯孤独となり、

彼には数字がすべてとなった。p36

ここまでくるとローレン・グロフ『丸い地球のどこかの曲がり角で』の表題作である「丸い地球のどこかの曲がり角で」は沼のほとりというロケーションや威圧的な父親、去ってしまう家族、世界でひとりきりになり図書館で本に傾倒していくというシーンなどなど、2021年本屋大賞 翻訳小説部門 第1位となったディーリア・オーエンズ『ザリガニの鳴くところ』と似ている部分は多いし、そのほかの10の短編にも貫かれる「隣り合わせの死と生」といったモチーフをも共有している。

『ザリガニの鳴くところ』の主人公であるカイアは家族が去ってしまった沼地でひとり暮らしている少女である。ジュードと同じようにカイアもまた生物の本などを頼りに生きていくのであった。そして、櫓から落っこちてしまった青年の死体が発見される物語冒頭と生き生きとした野生生物が描写されるシークエンスや他者との関わり合いによって育まれる生の美しさなどの対比によって物語は進み、雄大で思い通りにならない自然と人間の美しさと危うさが描かれることで、私たちは勇気づけられもし、また不安にもなるのであるけれども、そのときになって一寸先にある闇に落っこちてしまはないのは誰かとの出会い、他者との邂逅があるからという“繋がり”を肯定するのが感動的なのであった。カイアは裏切られもするが、大切な人々との温もりの伴った確かな関係によって救われ、そして、自然に帰ってゆくことができるのであった。ジュードもまたFloridaに広がる自然の不穏さや、過去の亡霊に飲み込まれそうになったとき、他者との邂逅によって幾度も救われるのである。そして、それはこうして本書を読んでいる私たちも。

帯にもあるように、オバマ元大統領や各紙誌も注目している作家ローレン・グロフによる短編小説集である本書は、大きな存在として横たわる自然の不安定さや、それを自分自身に内面化してしまうことによって起こる心の動揺を巧みに捉えれた短編集であり、「人新世」における人々の様子がその不安定さとともに描かれているのが白眉である。1番はじめに置かれた『亡霊たちと抜け殻たち』という短編はこう始まるのだ。

気がつくとわたしはガミガミ怒鳴る女になっていて、ガミガミ怒鳴って幼い息子たちがわたしの顔色をうかがって小さくなっているなんて最悪だから、夕食を終えるとランニングシューズの紐を締めて、暮れかけた街を歩きに出かける。

『亡霊たちと抜け殻たち』

最悪なニュースがタイムラインにひしめき合う今日において、心のなかでガミガミと苛立つ側面を誰もが抱えている。それを外に出て解消していくのだ(しかし、それもままならないのもつらいのだなあ、今は)。歩きながら、このおよそ10年のうちに変化していった街を思い起こしていく。郊外に住宅地ができあがり、街の中心部の歴史的な建物からは人がいなくなり、そこに学生アパートが立ち並び大学院生たちが住みついたこと。そのあと、学生たちがいなくなると、手入れがされなくなった建物は朽ちたり錆びたりし、やがて貧しい人々や不法占拠者が住む場所になったこと。そういうところに住んで危険じゃないの?と尋ねられたこと。そして、さらに時がたって、ミドルクラスの白人も住むようになったこと。十五歳くらいの太った少年がガラス張りのサンルームに置かれたランニングマシーンの上を歩いていること。いつもブツブツ何かをつぶやいているホームレスの女性の体臭のこと(彼女は缶が詰まった袋を自転車の荷台に乗せてサドルにまたがるとき立派なお屋敷の玄関先にあるコンクリート・ブロックを踏み台代わりにする)。家の床下に住まわせてあるホームレスのカップルのこと。地球上の自然を破壊している見た目だけはきれいなガラクタ、過剰な包装、プラスチックの蓋のこと。

昼間、息子たちが学校にいっているあいだ、わたしは世界で起こっている惨事について書かれたものを読みあさる。まるで、生き物が死に絶えるみたいに氷河があちこちで消えていること、太平洋ベルトのこと、何百という種が記録もされないまま絶滅していること、それらが生きてきた何千年もの歴史がたいしたことではなかったかのように忘れ去られようとしていること。わたしはそうしたものについて読んでは、おおいに嘆く。嘆きや悲しみを求める私の心が、読むことで満たされるとでもいうように。ほんとうはそれにあおられて、さらに悲しみを求めることになるだけなのに。p12

『亡霊たちと抜け殻たち』

いろんなことを考えながら胸にはぽっかりと穴が空く。抜け殻という空っぽのモチーフを抱えながらそのあとの短編も積み重ねられていく。嵐のなかで怯える少女たち、世界に在る人間としての空虚さを認めてしまう人など、なんだかわからない、ぽっかりと空いたこの拠り所のない空虚さが私たちの心を蝕んでいくのだけれども、そうなったときにどうにも繋がりを求めしまう人間の寄る辺なさが、亡霊という存在を世界に召喚するのだ

家は容れ物として、こうしてわたしたちを宿している。では、わたしたちはいったい何の容れ物なのか、何を宿しているというのか。p110

『ハリケーンの目』

『丸い地球の曲がり角で』、『ハリケーンの目』、『ミッドナイトゾーン』、『イポール』、『フラワー・ハンターズ』などなど、その後も、登場人物たちの語りからはどこか世界の終わりをも予期しているような言葉が節々に残され、どうかゆっくりと緩やかに終わっていきたいと考えているようでもありながらも、過去や亡霊といった繋がりを頼りに1日、また1日と踏みとどまるのである。

ね、おぼえてる?とアマンダが言った。ふたりのうちどっちが先に家族に取り殺されるかって話をしてたときに、よく引き合いに出したフロストの詩。世界が氷で終わると言う者たちもいれば、火で終わると言う者たちもいる、とかなんとかいうやつ。あたしは世界が終わってもいいから、ともかく氷がほしくて、そのためなら何でもすると思っていた。p122

『愛の神のために、神の愛のために』

彼にとって時間は水の流れのようなものだった。彼の中ではエネルギーが溜りつづけている。これがいっぱいになったら、爆発が起きるのだ。まだその時ではないが、溜まっていることだけはまちがいなかった。爆発のあとには、なんとも言えない静寂と空っぽな感じがやってくる。[・・・]彼のエネルギーには限りがあるのだから、だいじに使わなければならない。握っていた手を開くと、そこには溶けてぐちゃぐちゃになった錠剤が載っていた。昨日も、一昨日も、そうだった。p124

『愛の神のために、神の愛のために』

しかし、自然は確かに終わりに向け進んでいるのであって、『サルバドル』という短編ではまた嵐が窓を打ち付け、『フラワー・ハンターズ』では地球温暖化に怖れる女性が書かれている。今年の夏は記録的に暑く、そこらじゅうの植物が枯れてしまったことを嘆き、雨が降って家の敷地に陥没穴ができれば、それがもっと大きな穴ができる前ぶれの第一歩なのではないかと苦慮するのだった。『天国と地獄』では、奨学金の受給資格を更新してもらえなかったことから大学を去り、街の陰で過ごすホームレスとなった女性が、寄る辺がないということでは、私も蛇やワニとなんら変わりはないと思うのだった。

彼女は孤独だった。そこには誰にもいなかった。人による慰めが待っている場に連れ戻してくれる人は、ひとりもいなかった。p218

『天国と地獄』

ローレン・グロフは終わりゆく世界の行く末を思いながらも、他者へのつながりを亡霊にまで求めてしまう人間の豊かさもまた信じていて、もうすぐ全てがなくなるかもしれないけれども、まだそのときではない、としっかり石を掴ませているのだ。絶望しながらも、まだきっともう少しの間は終わらない…と。

いま隕石が落ちてきたら、僕たちは死ぬの?次男がそうきいた。

隕石の大きさにもよるんじゃないかしら、と母親は答えた。

すごく大きな隕石だったら?

母親はゆっくり考えながら答えた。その場合は、死ぬかもしれないわね。

次男は唇をすぼめて考えている。恐竜みたいにみんな死んじゃうの?と彼がきいた。

〈中略〉

次男の方に目を戻すと、彼は大きな石を頭の上に持ち上げていた。バイ貝を狙っているのだ。ドカーン、と彼はささやくような声で言ったが、腕は上に上げたままだった。左右の手の指は開かれず、まだしっかりと石をつかんでいた。

p293-294

『イポール』