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久保勇貴『ワンルームから宇宙をのぞく』

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宇宙の果てが一体どうなっているのか、この本は答えることができないと思う。地球上の生命が何のために生まれたのか、答えることができないと思う。どうすれば重力の底から抜け出せるか、教えてあげられないと思う。けれど、どこかの誰かの生活の隙間を埋めることはできる。ちぎって丸めて詰め込んで、ぴたりと寄り添うことはできる。壊れてしまいそうな時に、ふんわりとその慣性を抱きとめることはできる。

だって、地球は宇宙だから。地球が宇宙であるように、このワンルームでの生活はどこかの誰かの生活でもあるはずだから。この部屋も、隣の部屋も、職員室もロッカールームも、広大な宇宙と同じ物理法則に支配された一つの空間であるはずだから。p6-7

本書には、ワンルームからはち切れんばかりに大好きなものが詰め込まれている。なかやまきんに君YouTube、『サン=トロペの鐘楼』、Twitter相対性理論ガウス曲率、フィボナッチ数列、冬のお布団のなか、ポケモンカード遊戯王、坂道、星空を見上げる父ちゃんの横顔、はやぶさ2、皆既日食、ボクシング、ジャルジャル、母ちゃんの手のひら、演劇をやめた彼……固有名詞の数々はそんな現代に生きる私たちに欠かせないアイデンティティあるからして、より生活の輪郭を形作っていく。久保勇貴『ワンルームから宇宙をのぞく』を読んだ。

本書は、「宇宙」の本というよりかは、「生活」の本である。しかしながら、宇宙というのは、あまりに果てしない遠くにあるのではなくて、私たちの生活の隙間、例えば、『ドラえもん』における、のび太の机の引き出しが時空間とつながったタイムマシン乗り場であるように、私たちの「生活」の隙間もきっと「宇宙」(ここではないどこか)につながっているのだ!ということを軽やかな筆致で教えてくれるのである。それは、ノートに書かれた数式でもいいし、お布団の中でもいいし、本棚の隙間でもいいし、YouTubeを映し出すスマホの画面でもいい。そのどれもがきっと「宇宙」とつながっているのである。

世界はアルゴリズムにとらわれ、人類は自律的な意思決定の困難さを感じている。世界はインターネットによって分断され、ウイルスの脅威に悩み、経済的な閉塞感に包まれ、そして、ロシアによるウクライナ侵攻が起こり、戦争は長期化している。新自由主義的なムードが加速するなか、それに伴って「役にたつ」ものが求められる兆しもある。コロナウイルスが蔓延した初期、社会からは文化的なものは「役に立たない」とされるような言論も飛び交った。

ワンルームから宇宙をのぞく』。本書には、“ワクワク”が詰まっている。この“ワクワク”に従うことの美しさは、近年、ファスト的に消費されていく何もかもに対抗し得る手段ともなるかもしれない*1。本書にも引用されている久保勇貴さんの後輩によるブログは、そのワクワクを持つこと、そして、このワクワクを共有するためのコミュニティの大切さを訴えている。

spacedavid.com

誰かのワンルーム(生活)が誰かのワンルーム(生活)につながること、それは宇宙を発見するように素晴らしいのかもしれない。「私たちはわかりあうことはできないのだ」と歌った星野源の楽曲を思い出す。

世界はひとつじゃない
ああ そのまま ばらばらのまま
世界はひとつになれない
そのまま どこかにいこう
[・・・]
ぼくの中の世界 あなたの世界
重なりあったところに
たったひとつのものがあるんだ
世界はひとつじゃない
ああ そのまま重なりあって
ぼくらはひとつになれない
そのまま どこかにいこう

星野源『ばらばら』

誰かのワンルーム(世界)と他者のワンルーム(世界)とは、当然、ばらばらだ。“私たち”が理解しあえる日なんて来ないのだ。でも、本書を読み終えたあと、きっとあなたはこう思うはずだ。だからこそ、この世界には、宇宙が広がっているのだ、と。そして、その宇宙はたしかにつながっているはずだ、と。

There are only two ways to live your life. One is as though nothing is a miracle. The other is as though everything is a miracle.

人生には、二つの道しかない。一つは、奇跡などまったく存在しないかのように生きること。もう一つは、すべてが奇跡であるかのように生きることだ。

Albert Einstein アルベルト・アインシュタイン