畑正憲と五十嵐大介の語り口の優しさよ。相手の話すことに耳を傾ける。そして、相手に言葉を届けるという尊さ。そんな当たり前のことを感じさせてくれる素晴らしい対談だ。なんといっても畑正憲(ムツゴロウ)が実にキュートで無邪気。ゆっくりと心地の良い五十嵐大介のリズムも身体に染みる。そんな2人の世界とのコミュニケーションの話は壮大で、しかし、ミニマムであるのが面白くて食い入るように見てしまった。五十嵐大介が何かを聞き出そうとしていたり、何かを確かめようとしている姿も印象的だった。
五十嵐「どうしたらあんなふうに動物とコミュニケーションを取れるようになるんですか」
畑「動物の性器に一番近い場所に掌を置いてみる。(腿にも掌にも)どっちにも知覚がある。だんだん長くやってると、どっちが触ってるのか分からなくなってくるでしょ。これが僕の秘訣です。最初の。
五十嵐「そうですね。はじめて聞きました」
畑「簡単にいってるように見えるでしょ?でもね、手続きがずーっと長いんです。自分が触ってる感じと一体になる。訳わからなくなってくる。そこがミソなんですよ」
(中略)
五十嵐「僕が子供の頃とかに見てたムツゴロウさんの番組も、人間と動物の接し方みたいなことを、ちゃんと描いてるのってムツゴロウさんの番組くらいしかなかったと思う」
畑「ありがとうございます。伝わってますね!」
触れること、触れられること、それがシームレスとなって一体化したとき、コミュニケーションが生まれていく。その世界との対話のイメージは五十嵐大介の漫画とつながっていく。
五十嵐大介「言葉で説明できないことを漫画だとみせられるんじゃないかと思ったのが動機ではあったんですけど、動物とのコミュニケーションとかもそうなんですけど、やっぱり人間って視覚に頼ってるし、言葉に頼るじゃないですか。動物と接してると、それだけではコミュニケーションが成り立たなくて、五感とか、あるいはそれ以上、五感以上の何か感覚みたいなものでつながる感じがあるような気がするんですよ」
畑「まさにその通り」
五十嵐「人間の見てる世界が全部じゃなくて、人間にはわからない部分を含めた世界の本当のありようみたいなもの。でも、そういうものって、いまリモートでの会議とか、画面と音を通じてのコミュニケーションとかをコロナでやらなくてはいけなくなったときに、どんどん忘れ去られていってしまう気がするんですよね。見えるものと聞こえるものだけになっていく。でも、それだけだと削ぎ落とされてしまって、世界の一部しか見えなくなっていっちゃうから、いまでも見えてないことが多いんだけれど、全身で飛び込んで受け止めたことを(畑さんは)表現していらしたと思っています」
畑「五十嵐さんみたいな人は、そのままずーっと行けると面白いんですよね」
言葉にならない感覚。そのことについて言葉を振り絞って話してくれていることに感動してしまう。五感以上の何か感覚みたいなものでつながることや、文明への不信感も垣間見せながら丁寧に話していく五十嵐大介。
五十嵐「でも漫画って、漫画自体が言葉みたいなものがあって、人間の心とかってものを表現するために洗練されてきた文化なんで、意外と記号的な部分があるというか。やっぱり人間を描くための表現手段だっていう部分があるんですよね。いま絵をすごく変えたいと思っていて、漫画を描いているときに、手慣れた感じの絵にしたくないと思っていて、いつでも初めて出逢って初めて描いた時の感動が絵に出るといいなと思って、なるべくそうやってたんですけど、でも漫画以外の、それこそ絵本とか挿し絵の仕事をいただくようになってやってみたら、やっぱり自分の絵の描き方って固まっちゃってるなってことに気がついて、それをなんとか乗り越えたいとすごく思っている」
畑「絵はね、肉体についてるもんだから。僕ね。一つだけお聞きしたいことがあるんですよ。あの、性をお描きになってないでしょ?セックスを。あれはね、大変だろうなと思うんですよ」
五十嵐「そこはなかなか難しくて、動物の性に関していうと、わからないことが多くて、なかなか取り組めないっていう部分があります」
畑「その点はね、知っておかないといけないものなんですよ、うん。セックスはね、動物の生活の中の半分以上は占めていますよ。それをお描きになってくださいよ!待ってますよ!
なんだか結局ただただ書きおこしてしまったけれど、大変楽しみました。五十嵐大介の次回作は絵本でしたかね。存分に期待して待ちたいと思います。いやー、にしても畑政憲さんめちゃくちゃにキュートだ。
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