「連絡の取れなくなった友達の無事を確かめてくれ」という依頼を受けたレンタル親父のコタキ兄弟。孤独死を心配しドアに触れると鍵が開いていたので2人で中に入っていく。部屋の中はゴミの山。エアコンのリモコンはなくなり夏から冷房がつけっぱなしになっている。「ほっといてください。今寝るのが1番楽しいんで」と言う神野あかり(門脇麦)に一路(古舘寛治)は「これこそがセルフネグレクトであり、孤独死の始まり。人の助けを拒否して、周囲の人間関係を切り捨てて自ら孤立していく。特殊なことではないんです。誰がいつなってもおかしくない。気づいた者が気づいた時に止めないと」と寄り添おうとする。すると、あかりは話し始める。
死んだら死んだでよくない?
考えてみたら特にやりたいことないんですよね。
死にたいんじゃないけど、積極的に生きたいかって言われるとそうでもない。
二路(滝藤賢一)も共鳴する。
わかるわ。
自分で死ぬのは怖いし、痛そうでやだけどさ。
自然にいなくなれるんだったらいいよなあ。
俺が生きてるから、ゆかが悩むんだよ。
でも俺が死んだら、りかが悲しむ。
だったら良い感じに自然に消滅できたら、万事オッケー。
オールハッピーなんじゃないかって。
困惑する一路に、尚もあかりは話し続ける。
生きるってコスパ悪いんですよ。
働いても働いても我が暮らしは楽にならないし。
何をするのもお金がかかる。
休みの日出かけるのダルいし。
化粧すんのもめんどいし。
着替えるのもご飯食べるのも面倒でしかない。
面倒って言うのすら面倒。
そしたらもう眠るしかないじゃないですかあ。
そんなあかりに一路は、「このまま死んでしまったら、人間性を剥ぎ取られ、Aさんとしてニュースにされてしまいますよ」と言うが、あかりはそれでもいいとまた話す。
私、気づいたんです。
無心でね。ひたすら眠ってると植物に近づいていくんですよ。
植物。
いいと思いませんか?
人間よりずっといいと思いませんか?
光合成と水だけでいいんですよ?
日光浴びれば養分になって、水を吸うことで身体を潤す。
掃除をする必要も、お風呂に必要もない。食事もいらなくなるんです。
仕事や人間関係で悩むこともない。
めんどぅがなくなるんです。
僕はこのゴミの山で座っている3人をみて、ある映画を思い出した。ミヒャエル・ハネケ『セブンス・コンチネルト』という映画だ。夫ゲオルク、妻アンナ、小学生の娘エーファの3人家族の物語。どこにでもいそうな家族が自動洗車機で車を洗うシーンから始まる。家族3人はどこか不安そうに、ゆっくりと洗浄される車内にいる。「ブレーキはかけないように」という指示のもと、ゆっくりと通過していく。止まることのできない「生きる」という事象において、この不安であることが持続する。
ある時、家族は交通事故現場に遭遇し、シートを被せられた死体を見てしまう。そのとき、生きることへの執着というものは全くの無意味になり、生きるということは死ぬことへの過程に過ぎず、食べることも、音楽を聴くことも、服を着ることも、絵を描くことも、すべては死へ向かう途中の行為の連続、積み重ねであると悟る。そうして、一家は心中すること(セブンス・コンチネルト=第七の大陸への移動)を決意する。そして、レコードを折り、服を裂き、その原点であるお金をトイレに流し、生きる行為を助ける物を壊していく。破壊し尽くした部屋で薬を飲みベッドに横たわり、唯一残したテレビの画面を見て、死を待つ。ハネケは説明をしない。事実だけを並べあとは観客に委ねる。全てを宙ぶらりんにして、これは何なのかを観客に考えさせる。
『コタキ兄弟と四苦八苦』第七話ではすべての生きる行為を捨てて、植物への憧れに3人が包み込まれ眠ってしまう。しかし、兄弟はゴミ山の臭いによって目覚めさせられ、部屋を綺麗に掃除する。あかりは好きな人がこっちに来るということを知り、かわいい反発から1度は取り除いたゴミたちを部屋に戻していく。そんな面倒な「行為」や誰かを愛するという「とてつもなく面倒な行為」がやはり人間の生きることの醍醐味であるだろうと帰結するのかもしれない。
そうしてもう一つ思い出したものがある。TBSラジオ「ハライチのターン!」第69回放送での岩井勇気のフリートークに「ニートこそが頂点である」というものがある。
(岩井)
死んだあとって、人間等しく「無」じゃないですか。
ゼロになるわけ。
ってことはどれだけ人生がんばっても、ずーっと寝てても、最終的にみんなゼロになるじゃん。
そうなると現世って何の意味があるの?ってこと。
だからもう生きてることが怖い。
これ何の意味があるの?っていう。
全部ゼロになるんだからどうせ。
(中略)
そうなるとゴールはみんなゼロなわけじゃないですか。
だから、現世でより頑張ったほうが後々損するよね。
ゼロになるわけだから。
積み上げてきたもの全部ゼロになるんだから。
頑張った方が損する。
この世で1番得するのはニートということになるわけ。
そして、時間を売るビジネスの話をする。自分の時間を売ったり、他人の時間を買ったりするビジネスだ。みんな未来の時間を売っていくと、やがて時間がなくなっていき、より時間の価値が上がっていく。そして、時間を多く持っている人が最上位に位置し、それがニートであると岩井は言う。
今後、上位に位置する時代が来るから、今ニートでいる諸君は安心していいぞってことを今日は伝えたい(笑笑)
(岩井)
人の時間を買って、売って、その差額でめちゃくちゃお金が貯まるわけ。
でも気づいたら、自分が本当におじいちゃんになってて。
で、おれ、こんなにおじいちゃんになっちゃったよ。
何やってたんだ、おれの時間ってなって。
で、試しに自分の時間売ってみるの。
そしたら10円とか。
(澤部)
うわっ!安い。
(岩井)
笑笑
こんな無意味でくだらないラジオを聴くということに生きる意味はたくさん詰まっている。今週、2020年2月18日に放送された『アルコ&ピースD.C.GARAGE』での酒井のフリートークもそうだ。死んだら「無」になるけど、『セブンス・コンチネルト』の最後に残されたテレビが放送を続けるように、きっと誰かの日常に引き継がれる。