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ラジ・リ『レ・ミゼラブル』

f:id:You1999:20220927164444j:image フランス代表がロシアの地で20年ぶり2度目のワールドカップ制覇を果たし、民衆は優勝パレードに歓喜する。この大会で10番を背負い躍動した20歳のエンバペはヒーローとなった。クリスティアーノ・ロナウドリオネル・メッシというサッカー界のスーパースターが30代半ばに差し掛かり、エンバペがサッカー界の未来となった。そんなエンバペに憧れ、フランス国旗を身に纏い、興奮し応援した少年もまたフランスの未来である。

 「エンバペ」や「デンベレ」というサッカー選手が代表するように様々な国にルーツを持つ人がいるフランス。そのパリ郊外のモンフェルメイユは犯罪多発地区の一部となっていた。警官のステファンが新たに犯罪防止班に配属されたその日、まるで酷く窮屈な檻の中から救い出すかのように、少年がライオンを盗み出す。救出という希望、そんな子どもの願いを警察は暴力でもって抑圧する。フランスで生まれ育ったにもかかわらず、移民のルーツを持っているだけで監視の対象になってしまう今、そんな誤った権力の行使に対抗するように、“私はフランス人である”とモンフェルメイユの市長はフランス代表のサッカーユニフォームを着用する。本作はまさに権力を行使する側もされる側も誤った檻の中に閉じ込められてしまって、サーカス団に囚われているライオンのように、もう誰かの救いの手がなければどうにもならない、分断されてしまった人間たちを、街を、描いているといえる。乱立したマンションのようにあらゆる価値観が存在し、もはや何もかもが正しく、誰もが悪くない。権力を奮ってしまう警察官も、家庭がある父親や母親が家に待つ気弱な青年であった。しかし、救いの手は差し伸べられない。そのとき立ち上がる感情は哀しみであり、怒りであり、憎しみである。

昔、サム・ペキンパーの監督した『ワイルド・バンチ』が公開されたときに、一人の女性ジャーナリストが記者会見の席で手を挙げて質問した。「いったいどのような理由で、あれほどの大量の流血の描写が必要なのですか?」、彼女は厳しい声でそう尋ねた。出演俳優の一人であるアーネスト・ボーグナインが困惑した顔でそれに答えた。「いいですか、レディー、人が撃たれたら血は流れるものなんです」。この映画が制作されたのはヴェトナム戦争がまっさかりの時代だった。

わたしはこの台詞が好きだ。おそらくはそれが現実の根本にあるものだ。分かちがたくあるものを、分かちがたいこととして受け入れ、そして出血すること。銃撃と流血。

いいですか、人が撃たれたら血は流れるものなんです。

村上春樹スプートニクの恋人

 この映画で特筆すべきはやはり安易な対策で怒りを回避しようとしないことだろう。物語のラストに少年たちは暴動を起こす。自由を手にするためには戦わなければならない。現実の根本に横たわるそういったものを、我々観客はただ椅子に座って見据えることしかできない。人種、宗教、移民。分かちがたくあるものを、分かちがたいこととして受け入れ、怒りとしっかり向き合う必要性を投げかける。檻の中で手懐けられたライオンのようになってはいけない。怒り、吠える権利がある。まやかしなどいらないと訴える。

 子どもは生まれたとき最も社会的な存在である。全く一人では生きていけないからだ。そんな子どもに過酷な環境だけをぶつけるのではなく、ラジ・リは自身も暮らしているモンフェルメイユで生まれる希望のエッセンスを散りばめている。ものすごく小さくても確かにそこには生きるための希望があるというように。トーチWebで連載されている「かしこくて勇気ある子ども/山本美希」というマンガがある。

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妻が第一子を妊娠し、生まれてくる我が子へ期待を膨らませる若き夫婦。出産を目前に控えたところに、妻はある少女の身に起きた事件を知る。そのことで無邪気に信じていた未来が揺らぎ、妻の心は動揺する。生まれてくる我が子にも恐ろしいことが降りかかるのではないか。 不安が先行する世の中で何を拠り所に、希望にするのか。それはサッカーであったり、ゲームであったりするのかもしれない。しかし、それも奪われてしまったらどうだろうか。突如として強奪されるワールドカップで豪快なシュートを叩き込んだ「エンバペ」への憧れや警察の目という檻に囲われた空間から逃げ出すためのドローン。子どもは生まれたとき一人では生きていけない最も社会的な存在である。しかし、これから何をも手にできる存在でもある。『レ・ミゼラブル』のラスト、そんな子どもの手には火炎瓶が握り締められていた。

友よよく覚えておけ

悪い草も悪い人間もない

育てる者が悪いだけだ

ヴィクトール・ユゴーレ・ミゼラブル

シティ・オブ・ゴッド』で少年・ブスカペが拳銃ではなくカメラを持ち写真を撮ったように、ラジ・リ監督も映画を撮った。希望は、かけらもないのだろうか。ラジ・リの映画を多くの人が目撃し、そんなことはない、と思えるだろうか。