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岩井勇気『どうやら僕の日常生活はまちがっている』

岩井勇気エッセイ待望の2作目『どうやら僕の日常生活はまちがっている』。略して“僕ガイル”。ゆるゆるとした日常からの岩井勇気らしいイマジネーションによる飛躍や思考の連なりが面白かったのが前作『僕の人生には事件が起きない』であったけれども、本作では「はじめに」にも「思いっきり日常を書こう」と記されている通りに“日常”へとより強くフォーカスされたものになっている。魚の骨が喉に刺さった話、1人居酒屋デビューした話、披露宴をすっぽかしスピーチを放棄した話、子供の頃の夏休みの嫌な思い出、地球最後の日に食べたいもの、見知らぬ人とのオンラインゲームでの親交、ギターを買いに行く話、渋谷で『寅さん』を観た話、自転車を購入したら詐欺にあった話…などなど、TBSラジオ『ハライチのターン』でもおなじみのトークもありながら、岩井勇気の日常が積み重ねられていく。その多くが間違う(失敗する)ことによって、当初と違う認識へと辿り着き、物事が好転していったり、わずかな教訓を得るなどするだけであって、別段特別なことを起こらない。しかし、それはとても楽しい読書体験となるのである。とくになんの変哲もない誰かの日常を垣間見ること、知ることはたしかに私たちの世界をゆっくりと押し広げていくからである。私たちがまだ知らない世界というものは海の向こうなど、遠くにあるのではなくて、もっと近いところにあるのだということを『どうやら僕の日常生活はまちがっている』は教えてくれる。それはちょうどミハル・アイヴァス『もうひとつの街』で、壁と壁の隙間から新たな世界に侵入するようにである。

家を出て、電車に乗って、ご飯を食べる。何でも良いのだけれど、すれ違ったあの人にも生活があり、好きな本が、食べ物、スポーツがあり……そんなことを知ることよって、世界は少しずつ広がっていく。前作のようなイマジネーションの働きはないのだけれど、本作の日常の断片からでも世界は新たなるところへと辿り着くことができるのである。巻末には、書き下ろしの短編小説『僕の人生には事件が起きない』あり、それもいつもの道とは違う、細い路地に入っていくことによって、違う世界を目撃する様子が描かれている。

あぁ、やっぱりそうか。僕の違和感は確信に変わった。裏の世界に来てしまったのだ。稀にあるのだ、裏の世界に行ってしまうことが。

それでも、「僕」はこれといって動揺することもなく、裏の世界のカードに従って行動する。岩井勇気が新しくて異なる世界に侵入するときはいつだって私たちの世界の延長線上からである。大いなる決意など必要とせず、異なる世界との邂逅というのは私たちのすぐ隣にあり、そして、その世界はきっと怖くない。ほら、その本棚の隙間にも。

私がいま理解したのは、もうひとつの世界に足を踏み入れることができるのは、旅立ちを決意した旅に意味などまったくないと理解して出発するひとのみであるということ。なぜなら、目的地は、故郷を形作るさまざまな関係からなる織物のなかにあるからだ。けれども、そのような旅に意味がまったくないというわけでもないだろう。

ミハル・アイヴァス『もうひとつの街』195頁