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松本優作×東出昌大『Winny』

f:id:nayo422:20231011225838j:imageサーバーを介さずにコンピュータ間で通信することができるP2P技術を応用したファイル共有ソフトウェア、「Winny」を開発した金子勇東出昌大)。著作権概念の更新の必要性やソフトウェアの脆弱性などを認識していたものの、ソフトウェアを2ちゃんねるに公開し、瞬く間に利用者は増加していった。動画や音楽などさまざまなデータが無償でアップロードされ、被害総額は数十億円にも及んだ。著作権法を違反したとして数名が逮捕され、そして、彼自身も著作権法違反幇助の疑いにより逮捕されてしまう。

しかし、金子は著作権法違反を幇助する意図などなく、ただそのソフトウェアを作ることができたから作ったまでであって、著作権侵害を蔓延させて社会の枠組みを変えたり、損害を与えたりする、悪意による行為ではなかったと弁明する。むしろ、日本をより良くするためにこのソフトを開発したのだ、と。そもそも、著作権概念の変革などは社会に差し戻し、社会のなかで醸成されていくことによって、新たな概念として誕生するのであるだろうし、ソフトウェアも社会からのフィードバックをもらい何度もアップデートを繰り返すことによってブラッシュアップされていくものであるだろう。ナイフを使用した殺人事件が起こった場合、そのナイフを作ったひとを罪に問えるのか、という問いを突きつける。東出昌大の新たな代表作となり得る映画、『Winny』を観た。

〈見上げることと空をとぶ飛行機〉

暗闇。崩れ落ちそうな紙の資料やいくつもの電子機器で雑然とした部屋をカメラが映し出す。PCの画面が煌々と輝き、男の顔を照らす。“47氏”というハンドルネームをもつその男(金子勇)は、ファイル共有ソフトウェア「Winny」を公開する。キーボードを叩く音。成すべきことを達成した彼は、リクライニングベッドを倒し、銀河の絵が貼り付けられた天井を見上げる。そして、それは宇宙につながり、やがて眠りにつく。

このファーストシーンにおける“見上げる”という運動は、本作において頻出するものである。空に向けるカメラ、飛行機、星空を描くためのプログラミング、そして、ラストにおける金子勇の姉と弁護士・壇が見上げる空。深夜の弁護士事務所で壇と話す金子はこう語る。

「空ばっかり見てるから、いろんなところにぶつかっちゃうし笑」

自らの夢中になれる空ばかりを眺めていたら、目の前に広がっている社会を捉えられておらず、ぶつかってしまった。まさに、このシーンは金子が無邪気にソフトウェアを開発し、逮捕されてしまった状況を表したものだといえるだろう。しかしながら、なぜ逮捕されるにまで至ったのか。それは、もちろん経済的な損害が生まれていること、ソフトウェアの脆弱性に起因する情報の漏洩などもあっただろう。また、そのような状況が生まれることを金子が“意図”していた、つまり“故意”であったとして、京都府警は逮捕へと動いた…?のではないかとされているが、真相は藪の中である。今もまだはっきりとしていないが、この京都府警の判断が曖昧であるように、ソフトウェアの構造もまた他者から見たときに、ブラックボックスであるだろう。そのことが、もしや悪いことをしているのではないか?というぼんやりとした疑念を与えてしまったのである。

金子は空を見上げ、飛行機を見る。飛行機という鉄の塊が空を飛んでいること。そのあまりにおかしな状況、しかし、現実であるという事実は、金子がWinnyを開発し、それが社会で活用されること類似するように思う。情報技術というある意味でブラックボックスを内包したそのモノづくりは、工学的な理解と科学的な理解を跨っている。まだ問題があるかもしれないがつくってしまえる。それをどのように社会で承認していくのか、その体制をつくっていくことこそ重要なのだろう。

ブラックボックスと匿名性〉

本作は、2つの物語によって構成されている。ひとつは、もちろん金子勇が開発した「Winny」をめぐる問題。そして、もうひとつは愛媛県警の裏金問題を実名で内部告発した巡査部長・仙波敏郎の物語である。この2つの物語において共有されるテーマは、ブラックボックスと匿名性であるだろう。まずWinnyからみていこう。Winnyは、サーバーを介さずにコンピュータ間で通信することができるP2P技術を応用したファイル共有ソフトであった。そして、あくまで匿名性を担保することによって、インターネットにおける「自由な空間」を作り出すことが念頭に置かれていたのである。公判では、1999年、エジンバラ大学の学生であったイアン・クラークによって執筆されたFreenetについての論文を読んだときの思いを語る金子と、その弁護士・壇とのこんなやり取りがある。Freenetとは、言論弾圧への対策手段として開発された、匿名出版システムだ。

「例えば、新聞社は情報提供者についての情報を知っていますが、それを明かさないからこそ匿名性は成り立ちます。しかし、実際には、新聞社は情報提供社を知っているわけです。ただFreenetは技術的には実現できると言っていて、その主張が画期的だと思いました」
「要するに、あなたがいう匿名性という意味は、ニュースソースを守る。それは、言論、思想、表現の自由を保証する。そういう意味ですね」
「その通りです」

つまり、誰もが立場にとらわれないことで、自由な言論を行うことができるという、理性の公的な利用をめざしたということである。それは人間本来の自律的な態度を守るものであり、それこそが「自由」なのである、と。また、インターネット上の自由をつくりだそうとした点においては、ローレンス・レッシグの議論にも似ているだろうし、クリエイティブ・コモンズとも同時期である。金子は、サーバーを介さず個人間でやり取り可能なP2P技術を応用したWinnyによって、それを実現しようとした。しかしながら、それによって引き起こされるのが、「ブラックボックス」の問題である。匿名である=誰かわからないということは、そこに付随する責任が見えなくなるということであった。そして、悪意による行為が発生するならば、それに対処するための枠組みを用意しなければならなかったが、それは実現できなかったわけである。Winnyの仕組みがどれだけ将来的に有用な技術であるのか検察側が判断できないことによって、ブラックボックスとなってしまったが、しっかりと説明するための透明性を付与してしまうと公的な理性の利用を阻害してしまう恐れもあったのであろう。「自由」の実現は難しいのであるし、それは現在においてもデジタルプラットフォームの弱さと人間の愚かさに起因して、引き続いている問題である。

仙波敏郎の物語においても、ブラックボックスというその組織の構造を利用して、愛媛県警が裏金づくりを行っていたことが描かれている。その問題に対処するには、匿名では意味がない。誰が言ったのかが重要であるからだ。実名で記者会見で内部告発を行うこと。それこそがブラックボックスであることを悪用する組織を瓦解させることができるかもしれない方法であったのだった。しかし、それで組織が良い方向に向かったのかはわからないし、「ブラックボックスと匿名性」で実現され得る自由というものによって、人が傷つくというシーンも描かれている。内部告発した仙波敏郎の部屋に石が投げ込まれ、窓が割れるシーンは、まさに匿名の他者から暴力を振るわれるという昨今のSNSを表しているように思う。しかも、その石が何千個も投げ込まれることがあるのである。

宇宙って、あまりにも無限過ぎて、個人で囲い切れる範囲を超えてるじゃないですか。人類が終わるまでに理解できるのかも怪しいわけで。でも、コンピュータの宇宙なら、私ひとりでその大部分に触れられることができるんじゃないか、と小学生の時に考えたんです。まだ夢半ばですけどね。

デジタルな空間もまた膨張し続け、人間ひとりで把握できる許容範囲を超えているだろう。金子勇が夢見たような自由な空間というものが到来する日は来るのだろうか。金子勇の楽観的な微笑み、そして空を見上げるという運動は、ラスト、弁護士・壇と金子の姉に重なっていく。この運動の継承によって、理想を見上げ続けることの夢は託さられていること、金子の意思は今も技術者の道標となっていることを示唆しているのである。