ゆったりとした時間の流れ。それを提供してくれるだけで本当にありがたく、心地よい。never young beachボーカル・ギターの安部勇磨による初のソロアルバムはそのゆったりとしたフィーリングでゆるゆると分断を融解させていき、境界線を曖昧にしていく夏のアンセムが数多く収録されている。ことばとして存在するその前にある音としての楽しさや自由を心地よく歌い上げる安部勇磨の立ち振る舞いや歌声にたまらなく感動してしまうのだ。素朴なサウンドにモノクロのジャケットも大変に心、耳、目に優しい。ぼんやりと遠くを眺めながら歩いていたら、そこにふとギターを持った安部勇磨が座っていたというような感じだ。どうぞ疲れた人よ、ここでのんびりしていってください、と。
煙の中 抜けたら
その先は 夢のファンタジア
『ファンタジア』
そこには日々の喧騒にかき消されてしまっている聴く人それぞれの“お前”がいて、私たちは“お前”を見て安心する。安部勇磨のパーソナルな歌詞が私たち自身の視点を与えてくれる。疲れた心を癒すには身体性を持った人間として生きることの豊かさや五感から認識する世界を生きることが大切であって、そんなことを愉快に歌う。ほとんどのミックスを一から勉強して自分で担当したということで、それならではの質感をしっかりと携えている。いろんなことが整理整頓され、否応なく分断されてしまうことへ抗ってみせ、複雑なものを複雑なものとして、そこにあるものをそのまま理解することに想いを寄せ、ゆっくりとゆっくりとわからないことわからないこととして考える。
わからないことを
わからないなりに
わかることがあるでしょう
『おかしなことばかり』
それはいつまでもわからないままかもしれないけれども、それでもわかることも少しずつはあるんじゃないか、触れるのだ。
あそこはちょっとやわらかい
そっちのほうはちょっとかたい
どっかはちょっと欠けてたり
どっかに傷もそらあるさ
ああ 触れてみたらわかる
ああ デコボコするところ
『さわってみたら』
というラインにもあるように、身体性を大切にして自分の身の回りにあるところから世界を感じとるのだ。何かを確かめもせず、反射的に規定していくとてつもない社会のスピードに距離を置き、実際にそれがどんな形をしているのかを確かめていく。でも、感じ取ったそれがどうだってことでもなくて良くて、すべては『風まかせ』でいつかの『テレビジョン』での記憶にぼんやりと思いをめぐらせる。それで良いのだ。夏の部屋で寝っ転がってぼおーと頭の中で何かをめぐらせる。大人になるにつれて忙しなくなっていく時間を少しでも遅らせる、もしくは時間の感覚をもっと大きなものとして理解してみる。安部勇磨『Fantasia』を聴いていると斉藤倫『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』を読んでいるときのような感覚がある。
ひとは、いきて、しぬ。それは、きっと、ほんとうのことだろう。
それだけが、しんじつだ、なんて、いう、ひともいるね。
でも、じんせいは、それが、すべてじゃないってことが、きみに、伝わるといい。ほんとうのこと、ってのは、もっとおおきい。それは、ぽつんと、ひとりきりなものじゃなく、もっとおおきなながれのなかにある。
斉藤倫『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』
いっておくね。まえもって。
きみは、あっというまに、おとなになる。
そして、さまざまなことを、わすれてしまう。
この夏におこった、わすれたくないことも。ふたりで読んだ詩も。ましてや、じゆうけんきゅうのことなんて。
ぼくの玄関のよびりんだって、いつしか、鳴らなくなる。ぼくだけじゃなく、おかあさんからも、旅立っていくだろう。
まるでまほうつかいが、ゆびを、ぱちんと、ならしたみたいに。
斉藤倫『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』
とんでもない速度で過ぎ去る街並みを列車の中で眺めるように、私たちの生もどんどん速くなっていく。ゆびを、ぱちんと、ならしたみたいに、いつのまにか大人になっていて。でも、何かを置いてきてしまったような、忘れてしまっているような、そんな何かを確かめようと探してみようとする日があっても良いのだと思える。どれだけ忙しなく速く動いても100年後にいけることはない、しかし、ぼんやりとゆっくりとあてもなく夢想しているときに、私たちは100年後の未来にちょっとだけ触れることができるのかもしれない。
100年後先の そっちはどうだい
空気は吸えて 水は飲めるかい
変な病気は 流行ってないかい
やさしい人は 元気でいるかい
『おたより』
そんな未来におたよりを送る。人新世やコロナ禍のフィーリングを受け取り、やさしい人が元気でやっていけているかを尋ねる。世界は良くなってるかな。悪い方は加速していく今日を生きながら、そこから離れてゆったりと時間を送る。疲れたひとはみんなここに逃げてくればいい、と思う。きっと暖かく迎えてくれる。
きみがやってきたとき、ぼくは、おもわず、おう、っていった。
斉藤倫『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』