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西川美和『すばらしき世界』

『すばらしき世界』本編映像 - YouTube だいたい3年くらいの間隔を開けて、コンスタントに長編映画を発表している西川美和の新作である。『永い言い訳』から5年を経ての『すばらしき世界』はこれまた傑作であったし、役所広司の哀愁を漂わせた佇まいには、それだけでスクリーン釘付けにさせる迫力があるのだ。視線のひとつにまで演技が行き届いている。長編映画第8作目である本作は、西川美和是枝裕和のもとで育ったこともあってか、『永い言い訳』を経て、どこか是枝裕和ケン・ローチなどのそのラインにとうとう乗った、踏み込んだようにも思えるのだけれども、それよりかは軽くユーモアも多分にあり、こういう路線の長編映画も撮れますよ!という感じで、監督としての自信、力量を見せているようにも思う*1。もう日本屈指の監督である。

刑期を終え、旭川刑務所を13年ぶりに出所した三上(役所広司)は空の下を自由に歩くことができ、何でも好きなものを食べられる“すばらしき世界”へと復帰することになる。しかし、身元引受人・庄司と抱き合うシーンが俯瞰のショットで撮影され、13年ぶりに社会復帰した人間などには見向きもせずに通り過ぎる人々の波が印象的に映され、ようやっと食べられる美味いはずのすき焼きもなかなか喉を通らないのであれば、このすばらしき世界への復帰がどうにも難しいことをまざまざと思い知らされる。公共機関に行っても望んだ応答は得られず、スーパーで買い物をすればその風貌から漂う異様さのために万引き犯との疑いを持たれてしまうし、かつてのヤクザらしい決闘の振る舞いさえもできないのだ*2。そんな三上は「この世界のどこかにいるかもしれない母親を探して欲しい」と連絡を取った津乃田(仲野太賀)と顔を合わせ、ヤクザ時代の昔話と共にその偉大なる傷跡を見せるなどする。津乃田は“本物”を目撃したことにより少し怯みはするのだけれど、会話を積み重ねていくうちに三上の内にある純粋な心を感じ取っていく。同様に、スーパーの店長も、ケースワーカーも、三上という人間の愚直な心をだんだんと信頼していくのである。しかし、津乃田が感じ取った三上の優しい側面は、彼の善意による行動から起こってしまった凶暴性を目撃することによって、たちまち崩れ落ちてしまう。優しい心を持っているのだが、結局は犯罪者なのであり、その凶暴性を抑えることはできないのだ、と。はたして、心優しき善良なる市民であるときの姿が本当の三上なのか、人を鉄梯子で殴り嬉々として脇腹を力強く噛みつけている姿が本当の三上なのか、と惑わされるのだ。けれども、この二項対立を検討することはそれほど重要ではなく、映画を観ていくにつれて観客もそれを理解していけるのである。そう、どちらの姿も三上なのであり、優しき心も凶暴性もどちらも持っているということである。それはさっきまで誰かのこと痛めつけていたのにもかかわらず、すぐさまお年寄りに柔和な態度で接することができてしまうこと、万引き犯かと疑っていた人物とその数時間後には玄関に座り込んで語らっていることと似ているのかもしれない。様々な側面が複雑に入り組んでその人間を成り立たせていて、単純に一つの側面からは語ることなどできないわけであり、個人のなかにある様々な側面を、場合によってそのときに応じた社会へと適合させていく必要があるこの世界で、三上(また私たちも)は苦しむことになる。そして、下稲葉組・組長の妻(キムラ緑子)が三上に言った「我慢ばかりである世界だけれども、自由な空の下で生きられる」という言葉を反響させながら、本作の『すばらしき世界』というタイトルが空高く浮かび上がるというラストのシークエンスへと繋がっていく。上映中、本作は幾度も「この世界は素晴らしき世界なのか、そうではないのか」ということを問いかけていたかのようにも思えるのだけれど、そうではないのである。良いもの良くないもの、そのほか様々なものが存在するのが、この“すばらしき世界”なのであり、素晴らしいのか、そうでないのか、といった単純なことではなく、すばらしき世界には希望はあるのか、ないのか、ということを問いかけながらカメラはゆっくりと上昇し青い空を捉らえるのである。そして、その答えには確信を持って「希望はある」と言えるわけであるのだけども、それは三上のなかに愚直で真っ直ぐな良心があって、そして恐ろしい凶暴性もがあるのと同じように、あまりに苦しい社会の残虐性が浮かび上がることもあるけれども、この社会には美しく煌めいた部分、瞬間があることを私たちはこの映画で目撃しているからである(三上の純然たる心、三上の周りに集う人々、サッカーボールを追いかける子どもたち、背中を流し文字として残すことを話してくれた津乃田との約束、同じアパート下階の住人との挨拶、コスモスを渡してくれた青年の微笑み、元妻との会話、青い空などなど)。良き社会へと進んでいけるかもしれない可能性の幼虫を見つけることができる人間が暮らすこのすばらしき世界を目撃し、そして、私たちは劇場を飛び出すことになるのである。いやー、もう一度言うことになるけれど、傑作でしょう。

 

*1:伊集院光とらじおと』では次の映画は“子ども”かなあと言っていた

*2:社会的なものからコメディ、そしてまた社会的なものへと地続きなシーンの積み重ねには感服するしかない