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Netflix 磯光雄『地球外少年少女 Extra-Terrestrial Boys&Girls』

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磯光雄による2作目のオリジナルアニメ作品、『地球外少年少女 Extra-Terrestrial Boys & Girls』が素晴らしい。そのタイトル、“地球外”にあるとおり、宇宙を舞台に繰り広げられる物語ではあるものの、本作の物語の根幹はAIのブラックボックス化における正当性と正統性の問題にあるだろう。そうであるからして、地球外に関わらず、地球内においてもアクチュアルな問題を多分に内包しているともいえる。2045年、地上350kmの低軌道を周回する世界で4番目の商業宇宙ステーション「あんしん」ではよりカジュアルに宇宙旅行を楽しめるようになっており、未成年者の滞在までもが可能になっていた。月で生まれた人類初の子供たちである登矢と心葉、ディーグル社の未成年者宇宙体験キャンペーンで地球から「あんしん」にやって来た大洋、美衣奈、博士、そして、看護師および介護士の那沙たちが彗星の衝突事故に巻き込まれてしまう。そして、彗星は刻一刻と地球に迫ってくる…なんとかして止めなければ…!ということなのだが、その直感的な正義は第4話の那沙・ヒューストンの言葉によって揺らぎ始める。

彗星さんには、このままぶつかってもらわなければなりません!それがセブンポエムによる定めなのです!テロじゃない!これは革命!人類を救うためなのです!

汎用型AI・セブンの予測によると人類はこのままの人口ではいずれ滅亡してしまうらしく、そのためにおよそ3割の人口を削減することが必要であるらしい。そして、彗星をぶつけることによってそれは実現可能であり、3割の人間を虐殺することによって人類を救おう!というのがセブンが描く未来予想、セブンポエムであるというのだ。那沙は、すべての未来を計算し予測しつくした汎用型AIが叩き出したその未来を唯一のものであることを疑わないのだけれども、しかし、AIがその結論に至った過程のすべてを把握しているわけではなかった。つまり、ここにきて、“正当性と正統性”の問題が浮かび上がってくる。那沙が主張するそれに正当性(彼女とAIなりの正しさ)があるとして、判断過程が見通せないブラックボックス化したものに正統性(納得できるか)はあるのかということである。そして、納得のできない少年・登矢は「まだ他にも可能性があるはずだ!」と訴えるのである。

少年少女たちを主人公に据えたジュブナイル作品としての本作は、まさに「まだ他にも可能性があるはずだ!」と上部から落とされる決定された未来に抵抗することによって、第三の道を切り開いていこうという、成長の過程を描き出したのだった。それを“ゆりかごから脱する”という言葉によって説明し、人間としての複雑な在り方をAIとの識別にだけ適用するのではなく、ブラックボックス化に潜むバイアスを排除するために、すべての情報をセブンに流し込むことを決断するのだった。

子どもは都合よく偏った内容だけ編集して見せれば、良い子に育つのかな。無編集のありのままの姿を見せたら、悪い子に育つのかな。

しかし、そうしたことをしてまでもセブンは人類を救うことに注力せず、あくまでもセブンポエムを完成させることに拘ってしまった。さらに、その未来予測の円環に取り込まれてしまった心葉は死へとゆっくり近づいていってしまう。決定された未来というあまりに残酷な結末によって苦しむたったひとりの少女を救うことに懸命になる少年は自らの脳をルナティックさせる。それは世界を3次元ではなく、11次元によって理解するということであって、「無数にある隣接した自分自身と思考を共有し、人間の脳に理解できてもできなくても偏在している本当の世界」において、新たな未来を選び取ること。汎用型AIが予測し尽くせなかった複雑な偶然性のなかで、未来が決定していることを受け入れながらも、しかし、それを根底では納得しきれない、未来を諦めきれなかった心葉に登矢が手を伸ばす。いくつもの未来で離れてしまった手と手がこの未来ではガッチリと結ばれるシークエンスはあまりに感動的である。世界の最高知能である汎用型AIが叩き出した未来を単に受容するだけが本当に正しいのか、いや、そうではなく最後の自己決定権は人類が持っていなければならず、そして、そこには理想的な想像をやめない人間の外部への思考であったり、隣にいる他者を思いやる愛の関係であったり、何かを決定することに伴う責任の発生があったりするかもしれない。それらが人間としてこの世界を生きるということであろうか。

半年後、登矢と心葉が開発した新型インプラントや、配信の利益をAIベンチャーなどに投資し宇宙規模のアーティストになった美衣奈のおかげもあってか、人口の3割が地球外へと移動することも視野に入ってきた。また、あの大きさの彗星が地球にぶつかったところで人類の3割が死滅するのは考えられないことなどがわかってくると、そもそもこういう未来になることをセブンは予測していたのではないかということも徐々に明らかになってくるのだった。私たちの自由意志によって自ら決定しているようにみえて、実のところ、運命の歯車に沿ってしか行動できないというのは“今”らしい物語であるのかもしれない。運命の先で、

早くあそこまで行かなきゃ…

という再会を示唆するラストシークエンス。ダッキーとブライト、そして、この世界線で死んでしまった那沙・ヒューストンなどがどこか遠くで偏在しているのかもしれない…と満天の星を見上げる登矢たちの姿をたまらなく美しいと思った。しかし、私たちはその結末に納得できるだろうか。