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松居大悟『ちょっと思い出しただけ』

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どこかに行きたいなあ…と思うけど、
どこに行ったらいいかわかんないじゃないですか
まあ、だからお客さんに行き先決めてもらって
そこに向かい続けるのは、ずっとどこかに向かっている気がして楽しいですね

タクシー運転手の葉(伊藤沙莉)は日々、いろんな人を乗せて、お客さんの目的地に向かい続ける。眠剤を爆飲みして死にかけたと話すまだ21歳の母親、チケットの払い戻しに悩むミュージシャン、仕事を紹介しようとしてくる高岡早紀、通学にタクシーを使えてしまう金持ち小学生、ワイワイガヤガヤ騒がしいおじさん3人組、不倫しているであろうサラリーマン。目的地まで乗せては降ろし、乗せては降ろす。高岡早紀から「(この仕事の)好きなとこってなに?」と聞かれて、葉は「どこかに行きたいなあ…と思うけど、どこに行ったらいいかわかんないじゃないですか。まあ、だからお客さんに行き先決めてもらって、そこに向かい続けるのは、ずっとどこかに向かっている気がして楽しいですね」と言うのだった。しかし、「ずっとどこかに向かっている」のだけれど、それは結局、葉の目的地ではなく、親密な空間に入ってきた人たちはやがて扉を開けて、去っていく。映画の構造にあわせて時間が遡っていくと、葉は照生(池松壮亮)のこともタクシーに乗せてしまっていたことが明らかになるのであり、それはつまり、2人の目的地が未来においてもはや一致しないことを示していたのであった。また、2人の間に亀裂が入る車内のシーンで、

お客さん、到着しました。降りてください。

と葉が言ってしまうのが決定的に見えるが、さらに時間を遡っても、同じく車内のシーンで「お客さん」という言葉を放ってしまっていたのがわかると胸が締め付けられてしまう。松居大悟の時系列を逆にする脚本の構成がうまく機能しているのだろう。「お客さんのどちらまで?」「じゃあ、あの星の向こうまで」はラスト、照生が朝焼けのなかに見えない星を見つめているようでもあって切ない。

葉は照生と別れたあと、康太(ニューヨーク屋敷)と出会い、やがて結婚することになる。実際にどうかはわからないのだけれど、映画本編のなかではタクシーには乗せていない人物なのであり、目的地まで運び降ろすといったルートを通らなかったのであった。屋敷が出演していることを知っていたにも関わらず、最初の2秒くらい、屋敷であることにまったく気がつかなったのは、屋敷の演技があまりに自然であったからなのだろうか。しかし、細部の口調はそのまま屋敷のものであるし、「芸能人と付き合いてー」はニューヨークがよく言及していることであるので、松居大悟もほとんど屋敷としてそこに存在することを求めているのだろう。Youtubeの対談でもほぼ当て書きであると言及している。【映画】屋敷出演『ちょっと思い出しただけ』対談 監督のスマホのメモ帳見せてもらったら‥ - YouTube 「軽そうに見えてちゃんとしてて、でもいいやつ」という評はほんとにその通りなのだろうと思う。今回は松居大悟と屋敷の関係性と役柄による相性もあったのだろうけど、次回は嶋佐にも重要な役割を与えてほしいものです。

タクシーに乗り降りする、街を走る、その人生の交錯する場において、すれ違った数だけのあり得たかもしれない未来があり、そのあるひとつが2人の過去のダンスとシームレスに繋がる。それは幻想なんていうものではなくて、ちょっと思い出すごとに枝分かれして、確かにどこかの時空で現実となるのだろう。本作の白眉なところがまさにそこなのであり、公園で妻を待ち続ける男(永瀬正敏)が未来の視点から過去に向かって、それを成就させることができるはそのためである。「ちょっと思い出しただけ」、過去にあったことを心に蘇らせる行為、誰かを思い出そうとしたり、思い続けてしまったりすることには、きっとそれほどまでのパワーがあるということなのだ。