2068年。自分のデータを国家や企業に送り、それをもとにしたアーキテクチャが作る緩やかな支配体制の下で幸福に生きる功利主義的な世界へ警鐘を鳴らすのがマルク・デュガン『透明性』という小説である。“透明性”という耳障りの良い言葉で惑わせ、見る/見られるという対等なバランスがどんどんと無くなっていき、自分で選択した行動など存在せず、もはやそこに人間はいないというディストピア的なものを想起せずにいられないところにまで進展している。やがて、データの蓄積こそが人間であるような社会の有り様は人間の代替性を容易にし、データを重視するということが「ポストヒューマニズム」的なストーリーへと進んでいくことで、人間の死生観というものが揺らぎはじめる。肉体を捨て、別の入れ物へと乗り込むことで不死を手に入れた主人公が、恋人から言われる。
君と僕とは失敗したんだよ、人間にとって本質的なこと、子孫に引き継がれるということにね。p.148
アーキテクチャの下で記号となり、個人による判断を奪われ、“幸福のスープ”で溺れていることにもはや人間としての“幸福”はないのだとマルク・デュガンは人間の可能性を信じながら未来への大分岐点は今であると書いているのだ。
デジタル産業の巨人たちの望む永遠の命とは、苦悩も感受性もなく、恍惚に近い従順さで生産し消費するのに適した、人間性のない人類であることだろう。p.217
短くて読みやすいのでおすすめです。
小説と関係ありそうな、関係ないかもしれない本をちょっとばかし残してみる。レイ・カーツワイルとか、ジョージ・オーウェル『1984年』とかは本編にも出てくる。大屋雄裕の書籍はそういうAI、データ、情報とかと共存する私たちの社会、それに伴うガバナンスというものはどうデザインしていけばいいのかというようなことをおおよそ3つくらいの提案を示して、それを悲観的に捉えながら、もっとより良いオルタナティブなものを設計していくことの重要性を置いてくれている。それに関連して『幸福な監視国家・中国』とかも面白いし、もうすでにこっち方面に明るい人は松尾陽『アーキテクチャと法: 法学のアーキテクチュアルな転回?』とかも読むと面白いかもしれません*1。アニメだと『PSYCHO-PASS サイコパス』とか『攻殻機動隊』とかもいいし、『虐殺器官』、『ハーモニー』とかも面白いよねー。
*1:私はちょっと難しくて、全然わからんのと気力がないのとで断念