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ディーリア・オーエンズ『ザリガニの鳴くところ』

f:id:You1999:20210419125912j:imageディーリア・オーエンズという生物学者による初の小説は、まさしく大河というべき、長く、険しく、壮大で、美しい人生をボートに乗り、少女の成長譚、ミステリー、文学や生物学などあらゆるテーマが形作る水の上を横断するという傑作である。全世界1000万部を突破し、2019年・2020年アメリカでいちばん売れた本をとなった本作は、デイジーエドガー=ジョーンズの主演で映画化も決定している。日本でも2021年本屋大賞翻訳小説部門第1位となり、その評価は疑いようがないものとなっているでしょう。

『ザリガニの鳴くところ』はある一人の少女が成長する物語であるけれども、過去と現在を交互に描くというプロットによって、ミステリーにもなりうるという形態をとっている。まずもって過去に描かれるのは街で有名な青年・チェイス・アンドルーズが死体で発見されるということであり、現在に描かれるのは父親の暴力に怯える少女の話である。このふたつの物語が頁をめくるたびに緩やかに接近し、徐々に交差していくのだ。

このエントリーでは本作が言葉(書く、読む、話す)といったものに貫かれたものである点においてを書こうと思う。茂みの奥深く、生き物たちが自然のままの姿で生きている場所“ザリガニの鳴くところ”で言葉が、そして、詩が紡ぎ出されていき、それがある少女を支えるのだ。本作では詩というものがとりわけ重要に扱われていて、言葉はいくつもの意味が内包され、そして多様な感情をも生み出していくと語られる。

初めて文章を読んだ日のことを覚えているかい?あのとききみは、言葉はこんなにたくさんのことを表わせるのかと言ったんだ

詩はとりわけそうなんだ。詩の言葉は、口で語るよりもずっと多くのことを表わせる。人の感情を目覚めさせるし、笑わせることだってできるんだよp159

家族は去ってしまい、街から離れた湿地に1人で暮らすカイアは学校に通ったことがなく、読み書きができないでいた。テイトという少年と出会い、読み書きを教わることで、カイアは世界に触れることを始めることになる。雄大で自由で素直な自然に包まれ、言葉を貪るように吸収していく。エドワード・リア、ジェイムズ・ライト、ゴールウェイ・キネル、ダフネ・デュ・モーリアレベッカ』、ジョン・メイスフィールド『海洋熱』、さらには生物学などの研究書まで。前半では著名な作家が並ぶのだけれども、後半になってくるとアマンダ・ハミルトンという決して有名ではないだろう人物の詩が詠まれることが増えていく。

閉じ込められたしまえば

愛は檻に捕らえられた獣となり

その身を食らう

愛は自由に漂うもの

思いのままに岸に着けば

そこで息を吹き返すp213

子どものころから

目と目を合わせ

心を合わせ

私たちはともに育った

翼を並べ

葉と葉を重ね

あなたはこの世から旅立って

その子の前で息絶えたのだ

ああ 我が共よ 野生の命よp302

心を

軽く見てはならない

頭では想像もつかぬことを

人はできてしまうのだ

心も 感覚と同じく人を操る

そうでなければ

私がこの道を辿ることはなかっただろう

あなたが

あえてその道を辿ることはなかっただろうp427

言葉はそのなかにたくさんの意味を含み、さまざまなことを表すことができる。しかし、言葉は他者に放つことによって意味を成す。話すこともなしにカイアを湿地に取り残し去っていってしまった母親や兄弟、父親による暴力、カイアの前に現れるが去ってしまうテイトとチェイスなど、誰もが最後には言葉を用いずに離れていってしまう。また、口伝いに特定の意味のみによって使われてしまうとそれは排他的にも働いてしまうのだった。

いまより若かったろには、私も“湿地の少女”にまつわる根も葉もない噂をよく耳にしました。そうです、もう知らないふりはやめましょう。我々は彼女のことを湿地の少女と呼んでいました。p466

やがてアマンダ・ハミルトンという詩人はまさにカイア本人であることが明かされるわけだけれども、期待された言葉はもらえず、むしろ預かり知らぬところで言葉によって勝手に形作られていく“湿地の少女”というペルソナのために分断を強いられてきたカイアにとって、内なる他者からの言葉だけが信じるに値するものであり、そのほかは星のように、光は見えていても、実際には屈折し物凄く遠くにあるのだった。

ほとんどの星は肉眼では見えないぐらい遠くにあるわ。私たちが見ているのは光だけで、光は大気の影響で曲がってしまう。だから瞬いて見えるの。もちろん星は静止してるわけじゃなくて、高速で動いてるんだけどp258

そうであるから、カイアは言葉がなくとも通じ合える野生の動物や植物、茂みの奥深く、生き物たちが自然のままの姿で生きている場所でだけようやっと安心を得ることができるのだった。言葉と孤独というモチーフは相性が良く、孤独が言葉を、言葉が孤独を深いところで醸成していく。ディーリアン・オーエンズは本書が日本で出版される際に「孤立した状況であっても人と繋がろうとすることの大切さ」をビデオで寄せている。言葉によって自身の中にいる他者と出会い、その微かな灯るホタルの光のような遠くにある、しかし、ちかちかと点滅していて不安になるかもしれない。でも、きっとそこからどこかひとりではないところへ行けるかもしれない。アマンダ・ハミルトン(カイア)の詩は新聞に載ってきっと誰かに届いていただろう。それは誰かにとっての星となり、道標となっていたかもしれない。ディーリア・オーエンズ『ザリガニの鳴くところ』はそんな誰かへ届くべき言葉で紡がれた小説なのである。