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丸戸史明『冴えない彼女の育てかた Fine』

劇場版「冴えない彼女の育てかた Fine」本予告 |2019年10月26日(土)公開 - YouTube 真っ暗な画面に浮かび上がる「blessing software presents」。そして、鮮やかな青い空を映し出す画面を回転させながらicy tailの演奏シーンへと一気に向かう劇場版としての冒頭の勢いに胸が高鳴ってしまうし、多くの観客がステージを見つめる中、倫也と恵へ視線を向ける詩羽先輩の気付いている人としての描き方も良い。物語の分岐点で全てを悟った詩羽先輩は英梨々へ言うのだ。

「わかるでしょ、澤村さん。あなたが倫理くんを引き込んだら、もう幼馴染ルートにも先輩ルートにも戻れない。だって、それは彼のメインヒロインルートへ至る道への選択肢だから。彼女と、加藤さんと、より強い絆を紡ぐクライマックスイベントだから」

脳梗塞で倒れた紅坂朱音の代わりに大手ゲームメーカー・マルズのもとへ交渉に向かう倫也。そして、その対価としてblessing softwareが手掛ける作品を完成へと導く詩羽と英梨々。着々と完成していくゲーム上の主人公とヒロインの関係や発話が作り上げられていくのにしたがって、現実の倫也と恵の関係にもリンクしていく。ゲームの展開そのものを彼らが請け負っているかのように。この二重構造が『冴えない彼女の育て方』の面白いところであって、ゲーム製作の進行につれてお互いを下の名前で呼び始めるところなんかにも顕著である。加藤恵はゲームのなかに存在するフィクションのヒロインでありながら、リアル(『冴えカノ』の世界)に存在しているヒロインでもあるために、フィクションとリアルの間で影響を与えたり受け取ったりするのである。

ドラマ(劇)という単語が語源的に「行動」を意味しているのであれば、演劇は二重の意味でドラマである、と言ってもよい。今世紀初頭のドイツの美学者W・コンラートの言葉を借りれば、次のようになる。「『劇』という表現には二つの意味が属している。すなわち、劇的なものが再現されるということと、それが劇的な形式において行われる(geschehen)ということとである。」p25

佐々木健一『せりふの構造』

加藤恵は、物語上のメインヒロインを再現し演じながら、いや、そうではなくて、そのままその人をそこに存在させるのであって、それが現実の劇的な展開と連関していく存在なのであって、そうであるからゲームが完成すれば2人は結ばれるのであるし、2人が結ばれるのであればゲームは完成するのである。

私をまた、誰もが羨むようなメインヒロインにしてね

冴えない彼女の育て方♭』12話

2期の最終話にて発された台詞はもはや運命論的に機能していて、「私たちテレビ版では、いつも1番目立っていたから劇場版のこのモブ的扱いになれないわね」という詩羽先輩の冒頭での宣言通り、恵と倫也のルート以外はモブ的に排除されていることには少し物足りなさを感じてしまうかもしれない。しかし、そこにきて加藤恵といういわば空洞のキャラクター性が本領を発揮するのであって、観客各々が人知れずその隙間に埋め合わせていくのである。理想みたいなことを口にする倫理くんのように。

「たったひとりの女の子だから。見栄を意地もはらなくていい、憧れでもこだわりでもない、誰もが羨むようなメインヒロインだけど、俺にとってはそんなに敷居が高くなくて、もしかしたらなんとかなるんじゃないかって…」

そして、エンドロール前に

どうかな、私はあなたが望むメインヒロインになれたかな?たくさんのユーザーのためじゃない、たったひとりの、あなただけのメインヒロインになれたかな?

と劇場版では、この台詞がスクリーンを通して私たちに向かって発話されるのである。ここにきて、観客ははもうゲームの中、アニメの中、そして、もうひとつの私たちがいる世界を意識せずにはいられなくて、この三重構造を苦しめられるわけである。「キモいまま突き進め、てめーの妄想そのまま垂れ流せ」という紅坂朱音の台詞を反芻させながら、エンドロール明けの詩羽先輩が書いたあまりにも悲しい現実としてのプロットに打ちのめされる。「恵、お前はいなくならないよな、俺を見捨てたりしないよな」である。このときの倫也の嘆きはスクリーン上のものでありながらも私たちの嘆きでもある。なんだかなぁ、だよね。と思い、それでも“今度こそおしまい”というスクリーンを見つめながら声優陣の「おつかれさまー」を聴いてしまうとまたもうひとつの、四層目が現れてくるのであって(倫也としての最後の台詞はもはやほとんど松岡禎丞の声である。ここちょっと良くない…)、そうなると私たちは加藤恵という存在の確かさが揺らいでしまって、それを意識せずにいたのであったのだから、大変困ってしまうわけであって、そうして1期に戻って出逢い直すのかもしれない。