昨日の今日

KINOUNOKYOU

お笑いとテレビと映画と本と音楽とサッカーと…

『萩原朔太郎大全』朔太郎大全実行委員会(編)

f:id:nayo422:20230121014348j:image朔太郎、没後80周年の記念として刊行された『萩原朔太郎大全』は、大全というに相応しい内容だ(それなのに、コンパクトに収まっているのも素晴らしい)。写真などの資料、医者であった父親からの期待と自らの理想という狭間で懊悩した生涯のエピソードの充実はもちろんのこと、旧友である室生犀星、師弟関係であった北原白秋、親密というか濃密な遊びを共にした江戸川乱歩、あまり知られていない芥川龍之介との交友なども綴られており、他者との関係から浮かび上がる朔太郎の姿も思い起こすことができる。各作品の解説や当時のエピソードなども詳細にまとめられており、彼のことを深く知るため、振り返るための本としてあまりに素晴らしくて唸ってしまう。一家に一冊あってもいいと思えてしまうほどだ。

また、コロナ禍のことやロシアによるウクライナへの侵略のことにも触れながら、朔太郎が生きた時代に起こったスペイン風や世界大戦のことと重ね合わせ、没後80年たった今日が、彼の生きた世界の延長線上に存在しており、悲しいかな円環の歴史のなかで彼の言葉が今日にも切実に届きうることを評価した松浦寿輝さん、安智史さんの評説なども素晴らしいだろう(ヨルシカ・n-bunaさんのエッセイもあって驚いてしまった。『月に吠える』はそのタイトルの通り、萩原朔太郎の詩集から着想を得たのだそうだ。そして、彼の詩はあくまでも自分の内面と接続し、言葉も自らの内側に放たれているのであって、伝えることを求めすぎない不器用さが愛おしいというのはまさにである)。

コロナ禍を経て、小中学生の不登校率が過去最多を更新したとのニュースもある。朔太郎も学校というものに馴染めなかったひとであるし、そもそも馴染む必要があるのか、学校に行くべきであるのかということは簡単には結論づけられないだろうけれど、朔太郎は詩というものにアイデンティティを見出し、そこにコミュニティを形作ることができたのであった。彼が愛したマンドリンという楽器もまた居場所を作ることの一助となっただろう。ゲームでも音楽でも小説でもなんでも良いのだけれど、そのなかのひとつが朔太郎の詩であって、朔太郎の孤独な魂が今日の誰かと接続し、ページをめくるごとにわたしと同じような人がここにはいるのだ…と胸に安らぎを与えてくれることがあれば、それは大変に喜ばしいことであると思う。暗鬱な時代への突入とともにメンタルヘルスやケアの問題もまた注視されるこの現代であるから、彼の鬱蒼とした表現が寄り添いやすいということもあるかもしれない。

私は彼のことを好きな要因のひとつが、キャラクターの側面が好きだったり、それに共感することであったりするのだけれど、しかし、彼の作品についてよく理解できているかというとそんなことはなく、むしろ詩などについては不勉強であってまったくと言っていいほどに理解が足りていない(エッセイが好きなのだ…)。なのにとても共鳴するように読んでしまうのは、彼の情感が詩や文章を通じて私に迫るものを感じるからだろう。本書は、丁寧にたくさんの引用元を明記してくれているので、気になったところから手に取って、『萩原朔太郎大全』を片手に彼の作品を読み進めていくのがいいだろう。没後90周年、100周年となったときに、どんな時代になっているのかは想像もできないのだけれど、彼の作品が残り続け、それを読むひとがあり続ける限りにおいては、この世界はまだ生きるに値する。そうやって誰かが思えている世界を望んでいたいのだ。