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Netflix スコット・フランク『クイーンズ・ギャンビット 』

f:id:You1999:20220419024108j:image冷戦期アメリカを舞台に主人公ベス・ハーモンの8歳から22歳までの青春と、8×8の盤面上で繰り広げられる熱情をダイナミックに描いたNetflixオリジナル作品。監督・脚本を『アウト・オブ・サイト』『LOGAN/ローガン』のスコット・フランク。そして、主演にはアニャ・テイラー=ジョイだ。さまざまな媒体で言及されているその顔はやはりとっても魅力的*1。その顔でもってベス・ハーモンという天才を見事に演じきっているのであり、特に、わたしたち常人とは一線を画したその目は完璧なる視線の力を持っている*2。本作が見えないところに見ることができるという盤面の先を読む力であったり、他の者は見ることができない天井にあるチェスの盤面を見てしまうことも、その目が重要であることの証左に他ならないだろう。また、下を向き、盤面と向き合いながら相手と格闘するチェスというゲームにおいて、上を向くという行為がこれほどまでに華美に映るのも、男性社会で勝ち続けることにあるのではなく*3、彼らが見ていないところを見る、つまりは盤面以外を見つめることで勝利の道筋を得ていくことがとんでもなく美しく感動的に映っているからなのである。第2話のセリフ

64のマス目が世界のすべて、その中にいれば安全なの。自分の手で制御もできる。先も読める

というものを力強い視線でもって、最終話に裏切ってみせる。ロシアのボルゴフたちがいくら大勢で相談しようともそれはリアルの64のマス目の中で考えているに過ぎない。そうであるから、その外側を見つめているベスの手を読むことは容易でないのであり、なによりもただただその美しさを際立たせていくのだ。何を見ているか、という物語である『クイーンズ・ギャンビット』において、目(それに伴う顔)が特徴的であるアニャ・テイラー=ジョイが主役に抜擢された時点でこのNetflixオリジナルシリーズの成功は確約されてしまったのであって、この起用を決定したキャスティングスタッフは影のMVPであろう。

しかし、本作のその華麗さはアニャ・テイラー=ジョイの視線、身のこなしだけからくるわけではない。Netflixクオリティの衣装や美術などあらゆるものから発揮されているのだけれど、そこに通底している色のこだわりでもって表現されている不安定な成長を抱えながら進んでいき、そしてそれを塗り替えていく過程にもストーリーを感動的に響かせる細部が宿っている。

交通事故で母親を失ったベスは児童養護施設へと移されることになる。そこにあったのは緑の制服、緑の壁、そして、緑の薬(精神安定剤)。児童養護施設はチェスとの出会いの場でもあったが、“緑”への依存を引き起こしてしまう場所でもあったのだ。やがてウィートリー夫妻に引き取られることとなったのだけれども、なぜだか吸い込まれていくようにそこもまた緑に覆われた家であり、もはや逃れる術がないかのように依存度は増していく。緑の部屋に住むアルマもまた夫との関係で疲弊していたために、彼女と“緑”を分け合うことによって、連帯を強め、依存を共有していくのだ。と同時にベスは天才と狂気は紙一重、というボビー・フィッシャー的な呪いとも苦闘することになる。緑を持つときには、天才にもなれるが、狂気の沼に足を踏み入れてしまう可能性もある。“クイーンズ・ギャンビット”。駒を進めて犠牲にしながらも有利な盤面を作っていき勝利を掴み取る。その緊張感を持った戦い方、ベスの孤独や人生が魅力的であるのことに異論はないのだけれど、そこを強引にでも引き剥がしていくところにこそ、このドラマの痛快さはあるのだ。そうであるから、このシーズン1における最高のハイライトが第6話の家の改装シーンにあると言い切ってしまおう。緑(精神安定剤)からピンク(栄養剤)へと模様替えをする。孤独を紛らわせる緑を取り除ていき、ピンクに塗り替えるのだ。そのため、その後、堕落した日々を送っていたベスのもとへ、ジョリーンがやって来るということにつながっていき、薬を捨て、

タウンズ「僕がセカンドだ、何が必要?」

ベス「そうね、必要なのは薬よ、惚れたお酒、頭を曇らせるの。そうすると盤面が見えるの」

タウンズ「本当?薬と酒の力だと?」

ベス「ずっとそうだった」

タウンズ「でもなくても勝ててる。だろ?」

ベス「そう、私は薬を捨てたわ、すぐまた薬局を探した、今すぐ欲しい、そう思ってた」

そして、最終話、赤いパジャマで受話器を受け取り、

ベニー「俺たちはもう3時間検討している」

というめちゃ最高なシーンへと勢いそのままに連動していく。そこからは前述の通り、上を向くという美しい運動でもって勝利を引き寄せ、拍手喝采を浴びるのだ。モスクワの街並みを真っ白なコートと帽子を身につけ闊歩するクイーンとなったベスの美しさ!そして、物語のラスト、ストリートのゲームを行うことになるのだが、もちろん、そこは屋外であり、盤面を描ける天井もない。あまりにも魅力的なゲームを予感させておいてのラストであるために、シーズン2の配信を待ちきれない。

 

*1:しかし、本人はその顔をあんまり気に入っていないという

*2:『THE NEW YOKER』では、その離れた目は美しいシュモクザメのようだという評があるhttps://www.newyorker.com/culture/on-television/the-queens-gambit-is-the-most-satisfying-show-on-television

*3:しかし、これもまた痛快であるのはまあそうであるし、もう言うまでもないでしょう