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斎藤久志『草の響き』

f:id:nayo422:20231223160547j:image2021年の傑作である。佐藤泰志による原作、そして東出昌大3年ぶりの主演作である本作『草の響き』は、スケボーに乗り、自由自在に街路を滑走する青年・小泉彰(Kaya)を映し出したあと、今度は自律神経失調症だと診断される工藤和雄(東出昌大)を映し出すことによって始まる。手を震わせ、眉毛を不安そうに動かしながら、医師・宇野(室井滋)の話を聞く。そして、迎えにきた妻・工藤純子奈緒)の運転で帰路に着く。車中で純子はさっきキタキツネを見たのだと話し、和雄は「犬か猫じゃない?ここらにはいないよ」と言い、心地の良い助手席で少しの安心を得て眠る。本作において、純子は誰かを運ぶ人として描かれている(函館ではロープウェイの案内人てして働き、終盤では子どもと犬を東京に連れる)。しかし、彼女が奉仕するだけの存在ということではなく、電球を変えるために台に上がろうとしているところで、精神的に疲弊し薬を飲んだことによって朝起きることが困難になっている和雄が大きな体躯によって代わりに電球を変えてあげるというシーンがそのあとに連なっている。朝起きるのことが大変になっているけれども、電球を代わりに直してあげることができるというような各々のできることによって、他者と関わり合っていくというシーンの連なり、積み重ねが実に巧みであり、感動的である。それは他者によってではなく自らの足を駆動させるために走らなければいけないことにもつながっていくのである。

そして、また彰のパートに戻ってくるのだけれど、そこでもバスケのシュートを外し、プールに飛び込むがまったく泳げず溺れてしまうというシーンのあとに、スケボーに乗って自由に滑れるシーンがある。一方で、見事な泳ぎを見せていた高田弘斗(林裕太)がスケボーには上手く乗れないのであった。その後、弘斗の姉、恵美(三根有葵)も加わるのだけど、彼女は「怖っ」と言いながらも彰の手を掴んでスケボーに乗ることができるのであって、独りでは乗れないものに乗ることができてしまうというあまりにも美しいシーンである。しかし、彰は弘斗には手を差し伸べないのであって、ここに『草の響き』原作者である佐藤泰志のモチーフをも浮かび上がらせることに成功したことは斎藤久志と脚本・加瀬仁美の手腕によるものだろう。つまり、ここに三角形を描いてみせたのである。さらには彰と恵美が横並びのショットで映し出されるのに対して、弘斗は恵美のバイクの後ろに乗るという位置関係で描いて見せるのもまた憎い。また、佐藤泰志による原作から妻を登場させるという点でをよく思わない観客もあるだろうけれども、ここもまた意識的に三角形を作ろうとしているのであって、そして、男女ともうひとりの男といった三角形ではなく、男と男の友情とそれに深く入り込むことができないという三角形なのであるのもいい。そうであるからして、最後、純子は東京へ向かうのであった。

やがで、日々のランニングの蓄積によって走行距離を伸ばしていた和雄が、彰、弘斗、恵美の3人と交わることになるのだけれど、ここでもまた美しいショットが現れるのである。和雄が走る、その背後で、恵美はバイクに乗り、彰はスケボーに乗って恵美のバイクにつかまる。そして、弘斗は彰のてにつかまるのである。3人が別々のものに乗り、または走り、しかし、手を取り合って同じものとして一体になって進んでいく。その手前では、孤独に走り込んでいる和雄がいるというなんて美しいショットなのでしょうか!と涙が溢れるほどに魅了されてしまう素晴らしい設計である。そして、和雄にくっついて彰と弘斗も走り出すのである。意味もなく、ただ走っていた人間がいたからそれについていく。その愚直さが瑞々しく、儚いのであった。

あるとき、弘斗は彰に学校を辞める相談をする。「意味もなく人を殺す奴もいるのだから、意味もなく学校を辞めるくらいどうってことない」のだと弘斗は言い、彰は「弘斗の考えたことなら止めないよ」と返すだけなのであった。しかし、弘斗は学校を辞めなかった。弘斗は辞めても辞めなくてもどちらでもよいと思っているけれども、しかし、心の底では不安に思っているために彰に尋ねるのだった。しかし、彰にはどちらでもよく、そして、そのことと同じように、彰は海に飛び込み、死ぬのであった。彰が海に飛び込んだショットのすぐあとに、和雄がトイレの水を流し、そこで妊娠検査薬を見つけるシーンがつなげられるということによって、本当であればめでたいはずのシーンがシリアスなものとして描写され、観客もまたそれを感じられる。和雄が流した水が海へと、死へと緩やかにつながっていくような不穏さが画面を支配するのだけど、彼はまた走りだすのであった。

弘斗は彰への弔いとして、花火に次々と火をつけ、煙を高く空へと上らせていく。ここまで、走る、スケボー、車、バイク、ラジコン、船…とさまざまな乗り物を画面内に登場させていた本作は、ここでも徹底してみけるのであって、弘斗は自らの肩に恵美を乗せて、肩車することによって、煙とともに空に近いところに恵美をいさせるのであった。恵美を高いところに移動させる。これもまたあまりに美しいシーンなのであり、弘斗が「泣くな」と恵美に言い、高い位置から涙の粒が落下するのを防ごうとするのもいい(高い断崖からの彰の落下が頭をよぎるのである)。

和雄はくっついて走る人数が減ったことに異変を感じながらも、高校からの友人である佐久間研二(大東駿介)と自宅にて呑み明かすまでには精神が回復しているようだった。ベランダには生まれてから子どものための洋服が干され、お腹が大きくなってきた純子に代わって家事をこなす和雄を見てとった純子もまた、安心して眠るのだった。病院の帰り道、純子の運転する車の助手席で眠った和雄のように。しかし、和雄は薬を大量に飲むことになる。病院に入院することになった和雄はそこで、純子と話をする。「どうしてこうなってしまったのか。」「東京で働いていたとき、和雄が純子の荷物を持ってあげたこと。」純子は東京に帰る決意を固め、帰路で、キタキツネをその目で確かに見ることになる。見ることができるようになるのである。ラストのシークエンス、和雄もまた柵を越え、芝の上に降り立ち、走り出す。走ることができるようになっている。希望があるとか、良くなるとか、そんなことはわからないのだけれど、しっかりと走ることができている、今はただそれだけで良いのだし、それが良いのだと思った。