口笛吹いて歩こう 肩落としてる友よ
いろんな事があるけど 空には星が綺麗
懐かしいあの公園にちょっと行ってみようか?
最近忘れてること なんか思い出すかも
あの頃の僕らには 守るものなどなくて
夢ばかりこぼしては いつも暇を持て余してたね口笛吹いて歩こう 肩落としてる僕よ
遠くで誰かのギター ゆっくりと空へ行く
今も心の奥でざわつく
あの気持ちは変わっていない でも…
あの頃の僕ら今 人に頭を下げて
笑ってはいるけれど 目に見えない涙こぼれるね口笛吹いて歩こう 肩落としてる友よ
誰も悪くはないさ きっとそういうもんさ
口笛吹いて歩こう 空には星が綺麗斉藤和義『空には星が綺麗』
人間は生きている限り、ずっと途中にいるんだ。それだから、誰かとの出会いもあるし、きっと別れもある。スタートでもゴールでもなく途中の物語であるからこそ、ひっそりと誰かの一部に忍び込む。なんといっても、山本舞香がヤバかった。可愛いとか美しいとかいう言葉では、形容できないほどに、毎週やられてしまった。寒空にあらわになる太腿に見入ってしまうし、大きな目と口が誘惑してくる。小野浩史(賀来賢人)が、ぼおー、見続けてしまうのにも、うんうん、わかるよ、と頷いてしまう。
ボサボサな髪に、クタクタなトレーナーを着て、朝日を浴びる。弱い人間たちが、人に触れることで、愛の断片を集めていく。それは、父親、母親、友達、恋人、そして風俗嬢であるかもしれないし、昨日今日あった他人であるかもしれない。みんな人間は愛されたいのだけれど、一体どうすれば愛してもらえるのだろう、そんなテーマが全編にわたって横たわる。アルベール・カミュの言葉。
愛されないということは不運であり、愛さないということは不幸である。
愛されるかどうか、それはわからないし、もしかしたら、いつまで経っても愛されないかもしれない。でも、愛するという能動的行為は誰にだってできることであるし、愛される人間は、誰かのことを愛している人間なのかもしれない。愛し、愛される途中で、揺れてしまう地面。そんなものに、簡単に崩されてしまわない愛の煌めきがそこにはあった。そして、この物語に登場する人物には、脈々と続く生活があるんだ。「死にたい夜にかぎって」そのあとに続く言葉には、たくさんの生の美しさで溢れている。