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ソン・アラム『大邱の夜、ソウルの夜』

f:id:You1999:20220829181732j:image大邱の夜。家事のことも子どものことも何もかもすべてを押し付けられているのに、それに加えてつらつらと文句を投げかけられるホンヨンが大切な親友コンジュに会いに、息苦しい家父長的な夫の実家を飛び出す。ホンヨンは溜まっていた言葉たちをいっぺんに吐き出してしまって、コンジェはそれを聞いてくれるのだけれど、そうしてもスッキリすることなんてなく、夜が深くなっていくうちに、だんだんと心奥につかかったシコリが気にかかって、決して身体を軽くはしてくれない。本当にあっという間に至る所に転移してしまって、結婚とそれにまつわるあれやこれやは癌細胞のようである。癌細胞は「何らかの原因で正常な細胞になるはずの遺伝子にいくつもの傷がつくことで発生する」ものであるらしい。結婚して、子どもが産まれて、望んでいたのような家族になり得る未来もあったのだろうけれども、それは「何らかの原因」によって、正常な細胞とは異なった働きをして身体を蝕むようになってしまった(パク・チソンがシュートを外す様子にぼやいてソファーに寝転んでいる姿は未来の私であるかもしれない…)。しかも、その「何らかの原因」はほとんど明らかであるのに何故だか閉口してしまう構造はこの世界においてずっと屹立している。

大邱の夜に飛び出したホンヨンをコンジュは病院へと連れて行く。それはホンヨンが癌のような結婚生活に悩まされているからではなく、肺癌のために入院しているコンジュの母親に会わせるためだった。コンジュは母親が生きているうちに結婚をしたいのだという。あの癌細胞によって身体を蝕んで行く、あの結婚をだ。

ガタゴトという電車の音が静寂に響く。窓に映る自分はこの夜のなかでどう生きているだろうか。社会的な変革は長い時間を要するけれども、この夜の続きに理想的な朝はやってくるだろうか。夜は心地よく私たちの心を癒すが、その時間が長すぎると私たちの心を酷く痛めつけるのである。