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Homecomings『New Neighbors』

f:id:nayo422:20230421141123j:image私たちは何か大切なことを忘れてしまっている。中空に瞬く誰かの希望を、夜の底に静かに沈殿していく誰かの悲しみを、街の喧騒で掻き消される誰かの怒りを。しかし、それはまったく忘却してしまっているのでもなくって、誰もが本当のところ潜在的に気がついているはずなのだ。何か些細なきっかけさえあれば、私たちとは何もかもが異なる他者がすぐ隣にいることを、そしてその人が私たちでもあることを思い出すはずなのである。私たちはうっかりと、知らぬ間に、忘れてしまっている。何か…大切なことを。

Homecomings2年ぶりのアルバム『New Neighbors』が素晴らしい。オープニングを飾る楽曲は、テレビアニメ『君は放課後インソムニア』のOP曲でもある『ラプス』だ。“ラプス”にはうっかり忘れてしまったなどの意味があるらしく、アルバムを通して“忘れた何か”を探す旅に出ることが示唆されている。「眠れないふたりのライツ」などの歌詞からは闇に置いてけぼりにされたふたつの輝きの結びつきを『君は放課後インソムニア』のショットを思い浮かべながら感じることができる。ミュージックビデオでは、観覧車やメリーゴーランドなどの円環のモチーフを用いて、繋がっているという承認や時間的なイメージをも想起させている。Homecomings - ラプス (Official Music Video) - YouTube “ライツ”という歌詞には啓蒙(enlightenment)の意も感じ取れるように思う。ライトはショッキングな光によって焦らせるものではなく、暖かな光によって部屋を照らし暖めるものだ、と。そして、進むべき道を照らし出すものだ、と。であるからこそ自己に閉じたものでなくて、2曲目の『US/アス』のタイトルが示すように「われわれ」という連帯を確かめることの大切さと

ああ 僕らはたまたま美しい

ああ あなたはたまたま美しい

という自らの持つ「生」といったものが偶然の産物でしかないことを歌うのだ。その偶然性ゆえに、私はもしかしたらあなたであったかもしれないということにこそ連帯の可能性をも示唆するのである。この連帯のイメージは5曲目『アルペジオ』に引き継がれていく。音像を層にして深みをつくり出していくアルペジオのように、おいしそうな匂いの風、君のくせや不思議なポーズ、ギターのメロディと思い出とともにひとりの人間を形作る。そして、つづくのはケアという概念である。あなたのことを気にかけながらも、まずは自らの選択と身体的な感覚、生活のリズムを大切にする。その延長線上にあなたもいるのであって、私への矢印があなたへも向かうという間主観的な関係こそがケアであるのだろう。私に閉じるのではない、私の中にこそ、あなたはいる。あなたの中にこそ、私はいるのである。

その目を澄ませば まだ熱はここにある

それは醒めることはない

目を澄ませば 澄ませば

『まばたき』