ロンドンを拠点に活動するDrug Store Romeosのデビューアルバム『The World Within Our Bedrooms』にたまらなく魅了されている。緩やかに浮遊するようでありながら、ゆっくりと沈み込んでいくような印象をも覚えるドリームポップ、ベッドルームポップの心地よさを感じることができる本作は、ハンプシャー州フリートという郊外*1で過ごした彼らの10代最後の時間がギュッと凝縮され、さまざまな興味関心によって導かれたものであるという。そんなバンドの結成過程は、80'sハード・コア・パンク・バンドを組んで3年ほど活動していた幼なじみのチャーリー・ヘンダーソンとジョニー・ギルバートが現代的な音楽をやりたい!とバンドを辞め、Facebookの掲示板に募集を貼り付けてみると、ベースを弾いたこともないサラがやってきたというものだ。まずもってメッセージを送ってから、その翌週にベースを買いに行くというサラの大胆さと瑞々しさがいいし*2、弾けないことはまったく問題にならないだろうと考えていたことなんかもあまりに魅力的。無事にバンド結成へとこぎつけると、「大学の講義が終わった後にサラの家に集まって、みんなで音楽聞いて、演奏して、映画見て、料理を作ってキッチンで踊る」*3などの、まさに「The World Within Our Bedrooms」な10代後半の日々を過ごしたようで、その蓄積がそのままデビューアルバムとして収斂したというのも美しすぎる。そして、サラが歌うことになる。
空まで続いていくんじゃないかというような長い階段をゆっくりと上がっていくように音色を増やしながら心臓の動きを統制していく『Building Song』で紫色の世界の扉を開くと、『Secret Plan』では「秘密の計画があるんだ」と囁く天使と出会うことになる。落ち着きながらも次第に「My heart, heart rate increases」していく感覚を覚えながら、浮上にしていきたがる心に身を任せるように『Elevator』によって、さらに上へと上へと、しかし深く深く沈み込んでいるように、心地よさは身体中を満たしていく。
……「いやよ、私はやってやる」……こう叫ぶと、私は解き放たれ、興奮し、歓喜して、腕を差しだし、力いっぱい、ハサミの先を突きさす。絹地は破け、引き裂かれる、私はソファーの背を上から下へと亀裂を入れ、なかから出てくるものを眺める……裂け目からは、何かもこもこした灰色がかったものがあふれ出てくる……
ナタリー・サロート『子供時代』湯原かの子 訳 15頁
すると、行き交う人々の喧騒に紛れることなく、孤独のようなものとして立ち上がってくる感情のようなものがふわふわと溢れ出てくるような『Walking Talking Marathon』によってアルバムの前半部分を終えると、
代表曲である『Frame Of Reference』のあとに少し不穏なテクスチャーを携えた『Feedback Loop』を挟んで、アルバムの後半へと進行することになる。「曲の後半部分は過去の状況の認識を通した、言わば精神的な旅のようなものです。それはあなたを別のラビットホールに繋がる、思考のラビットホールへあなたを運んでいくでしょう。この旅の間、あなたはポジティブな感情とネガティブな感情を経験しますが、ネガティブな感情は本質的に悪いものではなく、ポジティブな変化につながる可能性があります。「What’s On Your Mind」も視点の変化についても述べていて、あなたが落ち着く時間、午後10時に聴くために作りました。」*4とバンドが説明し、ヴォーカルのサラも「目を閉じて、ベッドルームでこのアートワークのような隔離された旅に連れ出してあげるのが(この作品の)アイデアかもしれない。逃避するための世界」*5を創出したいと言及しているのだ。このエントリーでは、この後半部分に注目したい。
『Feedback Loop』でバランスを崩し、やや不安定になった精神世界に「What’s on your mind?」と尋ねてくる(もしくは尋ねる)人物がやってくる。
What’s on your mind?
I'll tell you what’s on mine
The fact that we haven’t
Been seeing eye to eye『What’s On Your Mind』
それは「私」であり「あなた」-私の内なる声であり分身でもある対話者-でもあるだろう。時間も何も存在しないそこで私たちは甘美に、しかし厳しい眼差しで見つめ合う。そして、Drug Store Romeosは美しいバンド結成からの10代の思い出を語る。そう、この精神世界においての対話形式という構図は、ヌーヴォー・ロマンのフランスの小説家、ナタリー・サロート(Nathalie Sarraute)が『子供時代』において試みたトロピスムによる思い出の想起に似ていないだろうか、ということである*6。トロピスムとは、ギリシャ語で方向を意味する「tropos 」を語源とし、植物が光などの外的な刺激を受けたとき、一定の方向に屈曲する反応を意味するのだけれど、比喩的にいえば、目に見えず作用し、ある方向性をとらせる不可解な力を示唆する言葉としても用いられている。サロートは、それを「意識にのぼる以前の感覚や感情、言語化されない言葉、潜在意識のなかで起こる微細な心の動き」として使用することによって、『見知らぬ男の肖像』や『黄金の果実』という小説を世に送り出してきた。
ナタリー・サロート『子供時代』は、「子供時代の思い出を語りたい」と言う“私”に対して、
–––それじゃ、あなたはほんとうに、そんなことをするつもりなの?
と“あなた”が問いかけることによって始まり、その後も“私”が“あなた”との対話を経て、次々に過去を思い起こしていくことによって進められていく。美しき母への絶対的な思慕、その母と再婚相手との仲睦まじい親密な関係に入り込むことができない疎外感(母は離婚後、童話や小説を発表するようになるとゆっくりとしかし明確に離れていってしまうのだった)、一方で父親の方にいけば、その再婚相手である義母ヴェラとの確執があり、さらに義理の妹が生まれてしまえば、その溝は一向に埋まることがなくなっていったこと……。しかし、そんな苦しく葛藤に満ちた日常生活のなかにも、学校という共同体で自己を見出していく喜びや、読書を通じて想像世界に浸ることの悦楽と治癒を経験した過去が存在するのだったし、ある夜、ヴェラがベッドの中でむせび泣く場面を目撃したときに、偏見に満ちた眼差しが変化して、その悲しみに思いを寄せ、彼女のことをひとりの女性として認識するようになったことなどのエピソードをも想起していくことになるのだった。精神世界における“あなた(対話者)”は、対話形式によって、過去の想起を促しつつ反省意識を働らきかけ、ときには深層世界に埋もれた形をなさないものを意識上に浮かび上がらせる。つまり、対話者は意図的にアンチテーゼのようなものを提示することによって、未だ現れていないものを精神世界に連れてくるのだ。まさしく、弁証法のように!この反復によって、酷くつらい、暗闇でうずくまるしかない過去の“私”に対して、柔らかく温かな毛布をかけてあげるような優しさが立ち上がってくる。つまり、Drug Store Romeosの音楽を聴くことの「心地よさ」とはここにあるだろう。深く深く潜った先にある暗闇に差すぼんやりとした明かりである。
そう、「この旅の間、あなたはポジティブな感情とネガティブな感情を経験しますが、ネガティブな感情は本質的に悪いものではなく、ポジティブな変化につながる可能性があります」ということである。Drug Store Romeosの夢へと誘うような心地の良い音色も伴って、しだいに気持ちの波は穏やかになってくるだろう。安心して、大丈夫だ、と。
An organised mess
You catch I spin, 'round
Again, you know
I give to sound again
You catch I spin, 'round
Again, you know
To give to sound again
『Put Me On The Finish Line』
混乱は落ち着き、「Again to the sky/Travels to the ending」「Charlie I think we should finish the song now」と歌われる『Cycle Of Life』が終わるといよいよアルバムも最後の曲、『Adult Glamour』へ。優雅に囁くサラの歌声がドリーミーな空間を漂うのだけれど、しかし、またそこにいる誰かは苦悩しているようでもある。精神世界における対話を通して子供時代の“私”はAdult Glamour(大人の魅力)に気がついていく?もしくはそんなことは拒絶するための「Why are you smiling?I can't find A reason」であり、そして、「You waste, you waste, you waste……」という美しき溜息なのかもしれない。しかし、そんなことも思考の境界が融解していくことによってどうでも良くなるかもしれない。そうして、Drug Store Romeosの旅路は続いていくことが示唆されるわけだし、ベッドルームにおいての心地よい精神的な対話が醒めることを期待していないリスナーは次作を待望することになるわけなのでしょう。音楽(Drug Store Romeos)を聴くことによるトロピスムは私たちをきっと良い方へと導いてくれる。そして、Drug Store RomeosもAdult Glamourな才能を開花させていくのでしょう。
–––自分でもよく分からないわ……もう、続けたくないの……他のところに行きたいのよ……たぶん、それは、私にとって、子供時代はここで終わりのように思えるからでしょうね……。今、私の目の前に繰り広げられた風景を眺めると、たくさんのことが詰め込まれていた大きな空洞に、光があてられたように見える……
私はもう、これ以上、過去のこれこれの時を、これこれの動きを、浮かび上がらせようとすることはできないだろう、そうした記憶の断片は、まだ手つかずの状態で仕舞い込まれているように見えるけれど、十分に強そうなので、それを保護している記憶の深層から自ら抜け出てくるのではないだろうか、あの白っぽく、もこもこした、厚みのあるキルティングから解き放たれるのではないだろうか、子供時代とともに解体し、消滅してしまう、あの真綿のキルティングから……ナタリー・サロート『子供時代』湯原かの子 訳 329頁
*1:彼らに言わせればカフェよりも年寄りの家が多い、退屈なベッドタウン
*2:ベボベの関根さんの二つ返事でバンド加入を了承し、お年玉すべてをベースに注ぎ込んだというエピソードを思い出す
*3:Drug Store Romeos - The World Within Our Bedrooms | ドラッグ・ストア・ロメオズ | ele-king
*4:https://vesicapiscis369.com/news/2043/
*5:https://diymag.com/2021/06/24/drug-store-romeos-the-world-within-our-bedrooms-june-2021-interview
*6:彼らはシュルレアリスムなどに影響を受けているとも言及していて、これら思弁的な想像力が魅力的なのだ。「ジョアン・ミロの作品をずっと眺めてると、まったく新しい次元の不思議な感覚を覚えるんだよね」との言及もある。ふむふむ。https://www.fredperry.jp/subculture/playlists/drug-store-romeos/