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アリス・ウー『ハーフ・オブ・イット: 面白いのはこれから』

f:id:You1999:20220802113242j:imageアリス・ウー(『素顔の私を見つめて…』)の16年ぶり第2作目であるNetflix映画『ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから』は2020年の映像作品において見逃せないものである。カトリックの保守的な街。中国系アメリカ人で成績優秀エリー(リーア・ルイス)とアメフト部に所属する青年ポール(ダニエル・ディーマー)は同じ女の子アスター(アレクシス・ミール)に思いを寄せているという恋愛ドラマ。クラスメイトの宿題を代行して小遣い稼ぎをしていたエリーに「“アスターへのラブレター”を代筆してほしい!」*1とポールが頼むことから2人の共同作戦が始まる。アスター宛ということで一度は断るのだけれど、家庭の事情から引き受けることに。

エリーは頭が良く、文学や芸術にも精通しているが、しかしそれゆえにどこか孤立気味であったり、誰かの言葉に寄り掛かっていたり。カズオ・イシグロ『日の名残』を持ち、最初の手紙にはヴィム・ヴェンダースの映画を引用してみたりする。シーンの隙間にもサルトルオスカー・ワイルドの文章が差し込まれるなど細部に気が利いている本作の丹念な作りに感嘆してしまう。

とにかく素晴らしいのは緻密にシンクロしていく画面と脚本の構成だ。誰かは自転車に乗り、誰かは走り、そして、誰かはそれを車で追い抜かしていくというような、人によって異なるペース、異なる性質を動きによって説明し、心のすれ違うさまは鉄道の行き違いによって表している。また、エリーとポールによる会話のシーンでは、中国から引っ張ってきたピンポンを用いて、互いに言葉を打ち合っていく。劇中の些細な引用文や登場人物の動き、そういったもの全てがきちんと整理されているわけではなく、複雑に絡み合いながら物語を形作っていく。

この作品で一番寄り添ってあげたい登場人物はエリーの父親であるだろう。エリーの父親は中国からの移民であり、満足に英語を話すこともできないし、妻との別れも経験しているという人物である。私はこのエリーの父親を見つめていく中で、堀江敏幸『おぱらばん』という小説を思い出した。“おぱらばん”というのはフランス語“AUPARAVANT(以前)”を中国人が発する時に“おぱらばん”と聞こえることから、そのまま中国人移民を表すような言葉として用いられている。小説の中ではピンポンをする日本人青年と先生と呼ばれる中国人の様子が描かれ、どこか懐かしいような映像をも連れて愛おしい話が綴られている。では、堀江敏幸による美しい文章を少しばかり覗いてみよう。

この地域に東南アジア系移民が押し寄せるのは、70年代半ばのことである。

(中略)

ところでそのアジア系移民には中国人がかなりの割合で含まれているのだが、彼らの出自は、前世紀から末から今世紀初頭にかけて東南アジアにちらばったマイノリティであり、多くは仏領インドネシア、ヴェトナム、ラオスカンボジアの出身である。これらの国々で商人や荷役として働いていた人々の二世が、内乱や戦争を逃れて難民キャンプへ、さらにはフランスへと流れてきたのだった。もちろん大陸や台湾からの移住者もいるのだが、俗にいう中国系難民の正式国籍は、これら東南アジア諸国のものなのである。

本作では、この舞台をアメリカと置き換えても大きな違いはないだろう。リンド・ジョンソン政権下での1965年の移民法によりアジア系移民がアメリカにやってくることとなるのだ。『おぱらばん』で中国人の先生が拙い言葉の中から懸命に「おぱらばん」と伝えていくように、エリーの父親も少ない言葉で自分自身を語ろうとするのである。『おぱらばん』でピンポンを通じて心の距離を近づけたシーンが愛おしいように、『ハーフ・オブ・イット』でのエリーの父親とポールが料理をしながら会話をするシーンの心による理解、救済は美しいのである。

シェイクハンドが主流になった現代ではいかにも非力な円形のペンホルダーを、やっとこで挟むように握った先生の右手首が、インパクトの瞬間かすかに下方にひねられ、まともなスイングをすればひっかかりのないゴムから真下に落ちてしまうボールを、羽子板で羽根をはじくふうに拾いあげるさまがスローモーションで目に入り、すると私は、球筋を見極めるより、ラケットの面の微妙な角度の美しさに見惚れてしまうのだった。

堀江敏幸『おぱらばん』

f:id:You1999:20200625005052j:image本当にPCやスマートフォンの画面で観ているということが勿体無いほどに紛れもなく映画である。LGBTQ、移民など、様々な問題の話を取り込みながらも重たくしすぎない、そのバランス感覚の秀逸さから、アリス・ウーの手腕に惚れ惚れしてしまうし、このNetflixというプラットフォームの優秀さも改めて称賛したくなるほどである。ラスト、エリーは列車に乗り、窓の外で走って追いかけてくるポールと別れを告げる。なんともありきたりな青春映画であり、そうであるから素晴らしい。周りには、それぞれ異なる人たちが座っていて、列車は新たな場所へと走っていく。

 

*1:ラブレターの代筆!『子どもはわかってあげない』!