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田島列島『水は海に向かって流れる』

水は海に向かって流れる。海水が太陽によって暖められ、水蒸気になる。その水蒸気は風に運ばれ上空を彷徨い、だんだんと冷却され雲となり、そして、雨や雪となって地上に戻ってくる。降った雨は河を流れ、海へと向かう。その間、ゴツゴツした岩や石を細かく砕いたり、丸くしたりするという過程は、まさしく田島列島の筆致のようである。柔らかな線や会話が、ゴツゴツしたテーマを水の流れによって丸くしようとしている。そうして、海に流れ着いた水たちは、ふたたび上空へと上がっていく。この循環こそが田島列島印だ。

世界に必要なのは「自分にしかない力」じゃない
「誰かから渡されたバトンを次の誰かに渡すこと」だけだ

田島列島子供はわかってあげない』下巻

美波ちゃんが大人になった時
私と同じように自分よりも若い人にそのお金の分何かしてあげて
そういう借りの返し方もあるの
覚えておいてね

田島列島子供はわかってあげない』下巻

しかし、どうやらその循環は、榊さんによって堰き止められているらしい。「怒ってどうするの。怒ってもどうしょもないことばっかりじゃないの」という榊さんに、「そーゆうのやです!」と直達は閉ざされた扉を力強く開く。

扉の境界線を挟んで向き合う二人。2巻が始まる!とものすごくワクワクする始まり方だ。雨が降っている、降っていないだとか、川沿いの土手、海というロケーションだったり、「水」というモチーフが本作におけるキーワードではあるのだけれど、「扉」「窓」といった内と外をつなぐ、または一線を引くというモチーフもまた本作にとって印象的なものだと思う。榊さんと直達、泉谷さんと直達、榊さんと直達の父親、榊さんと母親などなど、たくさんの線を挟んだショットがあるのだけれど、とりわけ美術室の窓を挟んでの直達と泉谷さんの会話、そこには線というよりも、もはや壁があって、

榊さんが恋愛しないのは

やっぱり昔のコトが関係してるから

俺も恋愛しないことにした

なんて言ってしまうところは、わぁー‼︎と叫んでしまいたい。泉谷さんが低い位置から直達を見上げているショットが切ない。一方で、榊さんが直達を飲みに誘う場面では一線が引かれていているのだけれど、日々を過ごした後、グイッと榊さんが直達を引っ張って、その線を越えさせるところでも、わぁー‼︎って叫んでしまたくなる。線の行き来、線を越えた先で起こる感情の昂りが最高に瑞々しい。

知っててほしかった
怒りたかったこと
誰かが知っていてくれるだけで
きっと生きていけるんだろう

グツグツと地中深くにつくられている榊さんのマグマを湧き上がらせるために、直達の「水」が蒸気爆発する。線を越えること、その小さいけれど、たしかな一歩がゆっくりと流れをつくっていく。そして、二人は思いっきり水を流すために扉を開けようと、ピンポンを鳴らす。

開いた扉から榊さんの母親が顔を出して、3巻のスタート。中に入っていき、ゆれるカーテンのコマが描かれている。いや、やはりこのコマは線を描かれているのだ。家の中。この人(榊さんの母親)が暮らす家の中なのだと。そうであるから、

今の私の生活をめちゃくちゃにしに来たの?

と榊さんの母親は言う。そして、榊さんが怒っていると、「ばんっ」とまたしても扉が開き、子供が入ってくる。いろいろな出入りが豊かに描かれていて、扉の向こうにあらゆる人生がある。
1巻、2巻と相合傘の線や扉の線が二人の間に引かれていたけれど、物語最後の雨シーンになると、ダンボールが引くラインは、もう彼らの間にはなくなっていることが感動的だ。視線と視線が真っ直ぐにぶつかっている。

最高の人生にしようぜ

最後の一コマ。びったりと重なった二人の間に境界線なんて絶対に引けなくて、線によって堰き止められていた“水”が、グワァーと流れ出してゆくのも必然なのである。

彼女の止まっていた時間が流れ出す音がきこえた

しかし、2人の間にある線がとりはずされたからといって、何もかもが解決していくというわけではない。解決というものに進んでいくのではなく、むしろ内側での折り合いをつけていくという物語であるのが素晴らしいと思うのだ。