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君島大空(独奏)/塩塚モエカ at 渋谷WWW

f:id:nayo422:20230825215554j:image君島大空と塩塚モエカの弾き語りツーマンを渋谷WWWで目撃。2人といえば、七尾旅人『サーカスナイト』coverなのであって、それを聴くためにも参加しないという手は無いわけです。この組み合わせによるツーマンは4年ぶりくらいだそうで、ここに参加できたことは何たる幸運なのでしょうか…といった感じであります。個人的には、君島大空の音をリアルで聴くのは初であって、アコースティックギターを爪弾くそのテクニックの素晴らしさ、表現力の豊かさにすっかり魅了されてしまった。『扉の夏』からスタートしたステージは、終わりゆく夏に相応しく、そのあとの『˖嵐₊˚ˑ༄』『No heavenly』と続く楽曲においても、夏を印象付ける。また、渦巻状になっている台風の形や、ご先祖様の霊を彼岸から此岸(家)に迎え入れてご供養するといった循環から、円環構造をも意識させる。そして、その円環構造を意識させた上で、その枠組みから排除された存在へ語りかける、『向こう髪』が渋谷WWWに響くのだ。『回転扉の内側は春?』によって時間の輪郭は不明瞭になり、インターネットコミュニティにおいて都市伝説として語られる“きさらぎ駅”をモチーフに空間もまた幻に包まれる。思弁的な世界を抜けると、「時間通りの最後に電車に/乗りたくないと言えなくて」と赤い公園『プラチナ』カヴァー。

缶チューハイ 磯辺揚げ

げげげげゲームオーバー

という囁くように歌う君島大空の声は、あまりにも魅力的。赤い公園の楽曲のあと、「何度でも2人は生きていけるんだ」と歌う『エルド』。幻想的な円環の中で、未来も過去も綯い交ぜになって、きっとその声は届いているだろうと思う。

塩塚モエカのステージに関しては、正直タイトルがわからないのも多かったのだけれど、弾き語り楽曲を中心に、寝転んだベッドから夜の底にグーッと沈み込んでいく歌声が、記憶の断片をゆっくりと遡っていく。しかしながら、内省的な『こころ』『繭』『呪い』などといった楽曲から、後半につれて、『Flower』『世界の秘密』のように移ろっていくことによって、塩塚モエカ自身の心境の変化も感じ取れる。そして、ラストの『サーカスナイト』。サブスクの音源やYouTubeにアップされている動画をみて、なんて素晴らしいものがこの世に存在するのだ…と思っていた、その『サーカスナイト』が目の前で繰り広げられている。美しい世界であった。

どんなにそれが絵空事でも
飛ぶしかない夜

『サーカスナイト』

ナイーヴな理想論は、もはや潰えたのだろうか。誰もが未来への想像力を失い、ドリームはないことを知っている。漸進的に改善していくほかないのだろうか。時間はかかるのだろうか。そうなのだ。だけど、そうではないのだ。君島大空の円環構造は、我々が救うことのできなかった過去の誰かの声を聞くことができる。救うことができる。そう歌うのである。この見えない存在からの声を聴こうとすることは、塩塚モエカも『ghost』という楽曲において祈りを捧げていることである。ステージが終わり、外へ出る。外の世界は美しくない。ガヤガヤとうるさく、汚れている。しかし、であるからして希望はあると断言できるのである。宮崎駿風の谷のナウシカ』ではないけれど、「いのちは闇の中のまたたく光」なのである。今回のツーマンのライブが闇から朝を迎えるようなグラデーションとなっていることがなによりの証左である。