昨日の今日

KINOUNOKYOU

お笑いとテレビと映画と本と音楽とサッカーと…

今村夏子『とんこつQ&A』

f:id:You1999:20220919125635j:image文学ムック『たべるのがおそい』vol.1に掲載され、第155回芥川賞候補となった今村夏子の2作目『あひる』は、あひるを2代、3代と代替しながら、“あひるのいる家”を作り続ける両親のことを困惑しながら観察する主人公についての興味深い物語であった。代替物を眺めながら、もしかしたら私も代替可能な存在であるのかもしれない、と不安に駆られるのだった。今年の7月に単行本として刊行された『とんこつQ&A』はある意味、あひるを観察する立場ではなく、あひるとしてその内側に入っていく対象となった者の物語であると言えるのかもしれない。そして、それを目撃する私たちという構図にもなるのだ。

中華料理屋「とんこつ」を営む大将とぼっちゃんは、4年前に心臓の病気で死んでしまった母親という存在の欠落を埋めようと、アルバイト募集の張り紙をだす。そして、それを見た今川さんがやってくる。「いらっしゃいませ」も「お待たせしました」も言うことができず、ただ佇んでしまう今川さんは、メモ用紙に「いらっしゃいませ」や「お待たせしました」と書き、それを読むことによって業務をなんとかこなしていく。そのメモの束を1冊のノートにまとめたものが「とんこつQ&A」なのであった。

Q15.メニューにとんこつラーメンがないのに、どうしてお店の名前は“とんこつ”なの?
A15.この店、元々の名前は“敦煌”っていうんです。店をオープンさせる時に大将が〜

しかし、メモを見ながら何度も何度も文字として書かれた言葉を発話していた今川さんは、もはやその「とんこつQ&A」を必要としていなかったことにふと気がつくことになる。何度も何度もテクストを口に出すことによって、しだいによそよそしさがなくなり、自らの音声を獲得していく(自らのなかでテクストを落とし込むことで、その音声を自分のものとして醸成していくプロセスは映画監督・濱口竜介のメソッドのようである)。自分自身の音声を獲得した今川さんには、ぼっちゃんからの「大阪のイントネーションで話してほしい」という願いは受け付けられず、「わたしらしい」応対を心がけるようになる。音声を獲得し、自分らしく仕事をこなせるようになってしまった今川さんは徐々に中華料理屋「とんこつ」の独自ルールに疑問を持ち始めたりもしてしまう。

しかし、大将とぼっちゃんが求めていたのは母親という存在の代替であって、“おかみさん”という存在であった。そうであるから、“おかみさんのいるお店”を続けるために、またもうひとりこの中華料理屋「とんこつ」に招かなければならなかった。そして、新しく雇われた丘崎たま美をおかみさんにするために、ぼっちゃんと大将は今川さんに「とんこつQ&A ~大阪ver.~」の作成を依頼し、異物となり居場所をなくした今川さんはそれをしぶしぶ承諾するほかない。3代目おかみさんが現れた今、「とんこつQ&A」作成者としての居場所を見出すことしかできないのだった。

今川さんが作成した「とんこつQ&A ~大阪ver.~」「~家族ver.~」を読むことによって、どんどんおかみさんとしての輪郭を手にしていく丘崎たま美にぼっちゃんは自分のことを「しゅん」と呼ばせ、大将は「お父さん」と呼ばせる。姿形も“おかみさん”となるのに伴って、「とんこつQ&A」のQ&Aの数も加速度的に増えていき、それを書き足す今川さんの膨張していくイマジネーションと混在していくシーンはあまりにも不気味である。ここにきて、今川さんに居場所が存在しているのか、していないのか、ということはもう問題ではなくなってしまうのだ。本作で最も重要なのは、自らの音声を獲得し「とんこつQ&A」を手放し自由を得たはずの今川さんが、「とんこつQ&A」を手放せなくなり、その世界の中でしか生きることができなくなったことが示唆されることであるだろう。このラストがあまりに悲劇なのであり、しかし、なにかハッピーエンドのように書いてしまえる今村夏子の筆致が恐ろしくもあるのだ。

わたしは過去エントリーにおいて、最近の今村夏子作品には「代替可能な存在である人間への讃歌」が描かれるようになってきたと言及したのだけれど、本作ではテクストが放つ魔術に飲み込まれてしまった先の、自己創出した世界での祝福であった。いやはや今村夏子は予想の枠に収まらない不気味さで裏切ってみせてくれる。もう自作が待ち遠しいではないか。

本作には表題のほかに『嘘の道』『良夫婦』『冷たい大根の煮物』の3本が収録されている。『嘘の道』は今村夏子らしい、対象として見ていたものが、しだいに自分と重なっていき、世界の有り様を変えてしまうといったものである。らしい物語であって、徐々に反転していく美しい不気味さもあるのだけれど、最後、消えていることについてはわざわざ言及しないでも良かったように思えてしまう。『良夫婦』は飼っている老犬の死、主人公の女性とどこかからやってくる子どもとの対話、サクランボの木からの落下と高層マンションへの引っ越し、2組の夫婦の接続などが重なりそうで重ならない物語となって表出されている。最後に収録されている『冷たい大根の煮物』は、労働と対価による交換が交感を伴った結びつきにまで発展する様子を切なげに描かれている。あれが戻ってこない、あれが返されない、という不満な声を聞き、自宅へ帰って自炊するシーンはあたたかくもある。だけれど、「冷たい」というワードでもって、すこし気持ちの晴れなさが残るのが今村夏子の作品でありますね。おすすめ!

 

 

素敵じゃないか

Wouldn’t It Be Nice - The Beach Boys ( Hidamari no Kanojo - Ueno Juri ) - YouTube

素敵じゃないか 新しい一日の始まりに
二人で一緒に目覚めるなんて
そして一日中二人一緒に過ごしたら
一晩中ぴったり寄り添って眠るんだ
共に過ごす幸せなときの中
一つひとつのキスが果てしなく続いたらいいのに
素敵じゃないか

ザ・ビーチ・ボーイズ『素敵じゃないか(Wouldn't It Be Nice)』

『素敵じゃないかのニューラジオ』をまとめて聴いていたらYoutubeのおすすめが素敵じゃないかばっかりになってしまった。もうだいすき。絶対M-1決勝いってほしい。ほんわか素敵な歌をコンビ名にしているのに、バニラボックス時代はバチバチに喧嘩してたこともあったようで最高です(『よしログ』コンビごとにサブスクで全編公開してほしい)。出番2分前に流血騒ぎの大ゲンカ→そのままネタをした芸人 よしログ - YouTube 2人ともデカいので、トータルテンボス的なカッコ良さがある。吉野さん、アフロとかにしないかな。ザ・ビーチ・ボーイズ『素敵じゃないか(Wouldn't It Be Nice)』が主題歌の三木孝浩『陽だまり彼女』を観た。上野樹里(猫)は良いし、温かみのある画面全体の質感も良い。でも、むっちゃ要らないシーンが多くて100分以内にできていたら最高だったのになあ、と思ってしまった。

『あざとくて何が悪いの?』で少食であるひとが非難されていた。わたしもあんまり食べないと「ないわ〜」と友人によく言われる。わたしは別に少食とかいうわけではないのだけれど、ひとくちふたくち食べたらなんかもういいや、食べんのめんどくさいなってなる人間ではある。金持ちでもないのにエンゲル係数めちゃ低いと思う。『あざと連ドラ』ずっとフライドポテトの話をしているのに、どこのフライドポテトが1番好きかを話し合わないので、良くない脚本だと思いました。結局、マックのポテトが1番だよねえ、結局、資本主義を内面化しているのよねえ、マックのポテトおいしいよねえっていう脚本必要。わたしはかなり喋りながら『あざとくて何が悪いの?』を観ている気がする。

朝井リョウ『正欲』が映画化されるとのこと。やったー(でも、朝井リョウの映像化って『桐島』以外全部微妙ですよね)。稲垣吾郎×新垣結衣ってめちゃくちゃ良くないですか。「この物語の核が、いい映画を創るという意思以外の部分で歪められることのないよう、緊張感とともに祈っています」という朝井リョウのコメントも良かった。なんか変に予算多くなったりしないでほしいですね。「言葉にするとは線を引くということです」とも言及していて、「朝食」という概念を言葉にせず、無かったことにしていた森山中・黒沢のエピソードを思い出した。

www.cyzo.com

朝食を食べたことなかったんじゃなくて、「朝食がなかった」の面白いですよね。ということではなく、承認による排他的な作用だ。すべてを包括できないのだけれど、それを諦めてはいけないっていうのはつらいですね。

ユヴェントスはvsサレルニターナ。最悪な誤審に次ぐ誤審で引き分けてしまった。相手のハンド疑惑のゴールにはVARは介入せず、ユヴェントスオフサイドでもなんでもないゴールには何故かVARが介入し、ノーゴール判定になってしまった。VARの存在意義よ。最悪すぎ。最近こういうことが本当に多いので、どうにかしてほしい。VARを使ってもヒューマンエラーは無くならないのだ…とかはなしだよ。Jリーグでの西村が無茶なチャレンジを受けて怪我してしまったシーンの検証でも、VARがあるんだから明確な基準を持って使うべきところは使うべきだ!としていて、本当にね…と思った。横浜FMvs福岡 これがノーファウル!?なぜVAR介入しなかった?【Jリーグジャッジリプレイ2022 ♯25】 - YouTube 使う使わないの場面があやふやなの本当にやめてほしい。使うのなら徹底的に使うべきだし、こんなあやふやなのだったらもうVAR無くていいよって声があがっても仕方がない。テクノロジーに振り回されてますなあ。過渡期ですね。

柄谷行人『力と交換様式』をめぐって〜聞き手・國分功一郎 コメンテーター・斎藤幸平〜を目当てに『文學界』2022年10月号

を手に取った。この前読み終えた『世界史の構造』の続きとして楽しめた。しかし、結局のところ、結論には辿り着けないのだ、と言及されていて美しいなと思った。それはわたしたちがどうこうできるわけではなく、「Dは必ず来るけれども、それはこちらがつくるものではなく向こうからくる、と言うほかない」から。柄谷行人『力と交換様式』が10月に出るの知らなかったので、急に10月来るのがむちゃ楽しみになってきました(時間の中を私たちが進んでいるのではなく、時間がやってくるのだ。交換様式Dもそれゆえ時間が必要なる)。それと、わたしは『世界史の構造』を半分も理解できなかったのだけれど、國分功一郎も斎藤幸平も交換様式Dについて判然としていないようだったので安心した。この『文學界』10月号には三輪健太朗『マンガを鉄道で読む人たち ──モダニズムのパロディとしてのキッチュについて』もあって、これもとても良かった。最初に引用されてたトクヴィルのやつ良かった。稲田豊史『映画を早送りで観る人たち: ファスト映画・ネタバレ-コンテンツ消費の現在形』読んでいないので、読むか迷う。レジーさんの『ファスト教養』も読むか迷う。

ゴダールが死んだという訃報が入り、その少しあとに自殺(尊厳死)を選んだということも報道されていた。「彼は病気ではなく、ただ疲れ果てていたのだ」、と。最近こういうのが本当に多い。わたしの住むマンションでも、詳しくはわからないのだけれど、そういったことがあったのかなかったのかという感じのことがあった。日本でもニュースに取り上げられるようなものがいくつかあったわけだし、ただ疲れ果てていたのだ、というのが妙に真実味がある。というか真実なのだ。コロナ禍というトンネルをくぐった世界の暗澹たる雰囲気はなかなかしんどいものがあるわけだし、出口はないのだろうという不安感はありますからね。しかし、病気による苦しみではなく、疲れ果てていたということによって、自分の命における自己決定権を認めてしまって良いものか、と考えてしまう。疲れ果ててしまっている状況における“意思決定”とはどれほどのものであるのだろう。また、そうなるまでの時間と空間と人との交流などはどうだったのか、とか、それを選び取ってしまうまでに何かできることはなかったのか、と(ドラッグも考慮されるかもしれない)。やっぱり病気などによる痛みを取り除くためでないとなるとなかなかつらいものがあるのだけれど、疲れ果ててしまったことによる暗闇での精神的な苦しみを想像すると、認めてあげたいし、お疲れ様という他ないようには感じるし、あなたが残した素晴らしい映画を観ますよ、ということしかないのでしょうかね。感情的には自死の決定権はその人にあると認めてあげたいけれど、しかし理性ではあまりにも決定の重みが大きいから、手順は慎重にしないといけないし、その人の選び取る精神状態なども考慮すると認めてあげられないよなあ。また、自死というのは自分の身体を処分することを決定する行為でもあるので、自己の臓器売買とか認めて良いのか、という問題にも連関していくだろうし、慎重にならざるを得ないよね、と思う。まあ、若い人間の死と90代の人との死はたぶん違うよなあ。

本当に情けないことを言うのだけれど、クリント・イーストウッドは死なないでほしい…し、なぜかクリント・イーストウッドは死なないと思ってしまっている。最近、東浩紀の動向を見ているとなんだか危ういものを感じてしまうので、彼にはそれを選ばないでほしいなと本当に思う。

水曜日。いろんなものを売って16万円をゲットする夢を見て、目覚めた。-16万円の気持ちになった。なんとなくTwitterを眺めていたら、千葉雅也が志賀直哉『城の崎にて』を再読したらしく、「描写と連想、無理のない文章のすばらしさ。神経症文学の傑作だと思う」と言及していた。良いよね。昨年、志賀直哉を読みまくって惚れ惚れしていた私としては、ねえ!と思わずにはいられなかった。今年はそういう特別な作家を発見しよう!みたいなのやっていないので、今年の残りで見つけたい。松本清張とか読んだことがないので、読んでみても良いかもしらん。でも松本清張って落ち着く感じの本じゃなさそう。志賀直哉みたいな落ち着くやつがいい。

『路線バス乗り継ぎ対決旅 陣取り合戦9』を観た。太川さんチームに、あのちゃんとこがけん。河合くんチームに、久代アナとロンブー亮。もう2年くらいずーっと言っているのだけど、河合くんチームに嶋佐は…まだなのか…。鉄道vs路線バスとか、鬼ごっことかあるけれど、陣取り合戦がやっぱりいちばん楽しいよね。河合くん策士だし…と思っていたら、今回は河合くんの戦略は微妙だった。賭けに出るシーンが多くて、それが裏目に出てしまっていた。一方で太川さんはひとつずつ地道に陣を取っていっていた。あのちゃんにキレられながらも太川さんがタクシーをケチりまくって、うまいところで使用して勝利を手繰り寄せた、と。f:id:You1999:20220914222038j:imageこの前、タクシー代を余らせるという最悪のミスを犯していたけれど、今回は面目躍如の活躍でしたね。うっかりミスが増えてきて衰えを指摘されたりしているけど、太川さんもレベルアップしていくのだ!これで4勝3敗2分で太川さんが河合くんに勝ち越し!気温38℃であのちゃんもよくがんばっていたし、こがけんはめっちゃいい人なんだろうなあ、と画面から伝わってきました。かき氷を急いで食べたり、御勅使という第三の道を見つけようとするこがけんカッコよかった。あのちゃん走ってて偉かった。太川さんの後ろにくっついて路線バス乗り継ぎたい。

岡崎慎司×鈴木隆行の対談を観た。とてもよかった。鈴木隆行ってディフェンシブ系の泥臭い選手だったんですね。彼についてあんまり知らないのだ。【元祖守備的FW?】鈴木隆行から見た、DFW岡崎慎司の凄さ - YouTube しっかし、鈴木隆行カッコいいすぎないですか。日韓の金髪姿もアウェイユニもカッコいいよね。『有吉ぃぃeeeee!』FIFA回には小木さんと喧嘩してから出てくれなくなったので、小木さんがいないときにまた出演してほしい。最近の日本代表ってわかりやすくカッコいいひといないよなあ。

ユヴェントスCLグループリーグ第2戦はベンフィカ。いやー弱いねーユヴェントス!といった結果。1-2。ユヴェントスって、いやー強いねーなんだかんだ勝つねーっていうチームだったのに、最近は、いやーなんだかんだ負けるねーっていうチームになってきている。試合後ブーイングが降り注ぐピッチの上でボヌッチが目に涙を浮かべていたのが切なくはありました。ピルロマルキージオ、バルザッリ、キエッリーニがいなくなってしまったユヴェントスユヴェントスたりえる最後のひとりがボヌッチであるので、頑張って欲しい。あのウザい顔の前で手をクルクルさせるパフォーマンスやってほしい。あとアッレグリは仕事してんのか?とは思ってしまう。怪我人が続出しているとはいえ、ある程度の中盤は使えて、前にはヴラホヴィッチがいるのだから、言い訳できないし、ホームでベンフィカに負けてもいいクラブじゃないのだよね。チャンピオンズリーグのベスト16賞金がないとユヴェントスは本当にダメになっちゃうよ、戦力的にも中堅クラブの仲間入りになっちゃうよ…という悲観的な展望しかなくなってしまってとても悲しい。キエーザとポグバが戻ってくるまでに耐えられるか。幸いワールドカップ 期間もあるし、希望はありますかね。f:id:You1999:20220915175701j:imageわたしのもう10年以上になるボールはチャンピオンズリーグモデル。この前、久しぶりにボールを触ったのだけれど、ものすごくボロボロになっていた。少し前まではこんなんじゃなかったのに。ユヴェントスも少し前まではこんなんじゃなかったのに……。アッレグリもむちゃくちゃだ。ベンタンクール、クルゼフスキ、デリフトどこいったの…もうなにもない。

木曜『ラヴィット』は第2回ロシアンシュークリームが開催されていた。楽しい。毎週、横田真悠ちゃんが前に出てくるとき、ひとりだけスタイルがエグすぎてビックリする。嶋佐ときむのバトルも楽しい。負けたきむは勝った嶋佐に敬語&接待ロケをするらしい。

オールナイトニッポン55周年記念 オールナイトニッポンMUSIC WEEK」『YUKIオールナイトニッポン』を聴く。かわいい…すぎますね。第一声の「みなさん、こんばんは、YUKIです」から声のオーラが凄まじい。老眼が始まったらしい。9〜12時間寝るらしい。山口智子とかもそうだけど、実際会ったらテンション高すぎてウザそうなのもいいですよね。YUKIが自ら選曲した「YUKIのプレイリスト」は、『星屑サンセット』『Cloudy Day/TONES AND I』『鳴り響く限り』『夢の中/BO GUMBOS』『断捨離でどんどんどん/Eryyy feat. Panda』『the end of shite』『雑感/柴田聡子』だった。

『thesignpodcast』聴いた。サウナからの予防治療、民間医療と医療の境目と、ジェンダー問題からの構造のスクラップアンドビルドはなぜできないのか。

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タナソーさんの問題意識よくわかる。次々に出てきたものを罰することだけでは何にも解決しないでしょうし罰することの快楽は人間とそしてインターネットにあいすぎているのでほんと良くない。起こったことを罰していくのじゃなくて、それが起こらないようにする予防治療はなんなんでしょうね。勉強するしかないよねってところで落ち着く感はある。構造をどう自浄していくのかわからんよね。柄谷行人の交換様式Dじゃないけれど、ある程度の時間は必要なんでしょうし、我慢して、向こうが来るのを待つほかないのですかね。

映画『沈黙のパレード』公開記念、完全新作SPドラマ ガリレオ『禁断の魔術』おもしろかった。権力とそれへの復讐と取れるものであって、なかなか現実とシンクロするものでありました。この感じの最近の系譜は、劉慈欣『三体』などからありますかね。ミクロとマクロによる接続によって、世界が揺るがされる。ドラマである。しかし、現実は意外と揺らがないのが残念なのかどうか。そろそろアーセナルのキックオフ。今シーズンリーグ初の冨安スタメン!かと思ったら、またベンチスタートだ。

adieu『adieu 3』

f:id:You1999:20220909014251j:image柳瀬二郎(betcover‼︎)、柴田聡子、クボタカイ、澤部渡(スカート)、塩入冬湖(FINLANDS)、小袋成彬といった常連組にして豪華にも程がある陣容が作り出したアーキテクトにしっかりと息を吹き込み生命を与えるadieuの美しき声。adieu3枚目のミニアルバム『adieu 3』が夏の終わりに配信された。全6曲、異なる作家による提供ではあるのだけれど、しっかりとテーマを共有するアンソロジーとなっていて、adieuが示そうとする世界観を壊していない製作陣の舵取りも信頼できますね。アルバム全体を通して歌われるのは、物寂しい喪失感であったり、諦念であったり、望みの薄い願望であったり、しかし、それでも…というものである。軽妙なリズムに身体を揺らし、日が沈むのが早くなった日々に“終わり”を感じ取りながら、旅するのをやめようとすることに『旅立ち』と名づけている。不安そうな瞳の輝きで夢の名残を追いかけることを打ち砕く言葉の区切り方にはなかなかしんどいものがあるのだけれど、美しく、気持ち良くもある。

届く/ことはないのにね

『旅立ち』

「届く…」と放たれた希望、しかしその少しの間を置いて、「…ことはないのにね」によってもたらされる喪失感が夏の終わりとともに沈んでゆく。残酷なこの言葉の区切り方、歌唱がいい。そういうところは柴田聡子が提供する『夏の限り』にもあって、「言葉少なかったり 多すぎたり」のうまいこと喉から言葉が出ていかなかったり、つんのめる感じもいい。パーカーの紐が抜け落ちてしまって空いた穴のような喪失感を抱えながらトボトボと歩いていたけれど、最後の最後で走り出す瞬間は音楽でありながらもとても映像的に頭に思い描かれる。

月の兎と地球にいる“わたし”が見つめ合うというリリックから始まる『穴空きの空』は『半妖の夜叉姫』の第2クールエンディングテーマとして使用されていて、ここではない世界を意識させる。

adieu [ 穴空きの空 ] - YouTube

ミュージックビデオでも、生命力溢れる緑を羽織ったadieuを上空の視点から捉えたり、逆さまのショット、絶えず誰かが見張っているようなショットによって構成されている。生とここではない場所の隣り合わせの空間が余白のあるショットによって映し出されている。ゴーストのようなものが映り込むのは、死後の世界からも愛の眼差しを向けるものでもあるかもしれないし、執着のような呪いのものであるかもしれない。羊文学『ghost』同様、デヴィッド・ロウリー『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』みがありますね。

愛かもしれないし呪いかもしれない、という危うい小さな差異は『景色/欄干』という絶妙なタイトルによって引き継がれていく。目の前で変化していく景色(わたし)を眺めながら、しかし、ただ眺めるだけしかできないのだと欄干が線引きをして、そこにもたれて夜明けを待つ親密性のなかで響くadieuの歌声に酔いしれてしまう。欄干の先は落下(死)が待っているかもしれない。3分ない曲なのもいい。そして、2022年のベストソングである『ひかりのはなし』へとバトンが渡される(2021年はカネコアヤノ『抱擁』)。ちょーいい曲。何も存在していないも同然な真っ暗闇に月明かりが落ちることによって、世界を認識することができる。ひかりの美しさとしかしそれによって見えてしまう悲しみとが判然とするのだ。結局は、私たちの認識する世界は“ひかりのはなし”にすぎないのだとでもいうようなタイトルがいい。それゆえにひかりの届かない世界も存在しうるかもしれないという『穴空きの空』のビデオがまたここで想起される。『ひかりのはなし』Youtubeのビデオのコメント欄に「お母さんと赤ちゃんの歌だと思った」とのコメントがあり、たしかにと思った。「途切れぬ思いの理由は/わたしだってわからない」という血縁や家族というものによる結びつきや選ぶことのできないという意味において、“運命”という言葉が歌われるのですね。なぜか愛おしくて生きていたいと思う、と。素敵です。この感動的なマスターピースによって閉じられてもいい物語なのだけれど、心地よくリズムを刻むドラムとパーカッション、ワインのように身体に染み渡るコーラス。「繰り返す」というadieuらしいワードを携えた『ワイン』が締めくくるのが、まだ“続き”を感じさせてくれる。夏は終わったけれど、また夏はくる。幾度も繰り返す夜の途中で私たちはadieuの歌声を聴いているにすぎないのだ。「繰り返す」というのは同じ場所の行き来ではない。季節を繰り返し、年月を経て、adieuは成長していく。きっともうすぐ『adieu 4』はやってくるのだし、その前に『adieu TOUR2022-coucou-』もあります。楽しみですね。

居眠りしたり

𝗙𝗼𝗼𝗟 𝗼𝗻 𝗖𝗼𝗼𝗟 - YouTube 最近、久しぶりにわたしのアニメ欲が戻ってきているなあ、と感じる。『魔法使いの嫁』2期の放送が発表されたり、もうすぐ『チェンソーマン 』アニメ化も始まる。うれしい。『魔法使いの嫁』と同クールに放送していた『クジラの子らは砂上に歌う』もそろそろ2期制作して欲しいのだけれど…と期待してしまう。2018年のアニメたちが最高だったのです。新しいのばっかり観ていないで、トレンドに迎合せず過去のアニメアーカイブから探し出してひっそりと個人で楽しむことも大切だ。なんとなくこの前『フリクリ』を再生してみたのだけど、やっぱり無茶苦茶で楽しい。映像っていうのは動いてなんぼだよなあと思わされる。『チェンソーマン』アニメも動きまくって、結局のところなんなのだっけ?と無茶苦茶なアニメにしてほしいですね。海外でのアニメ需要も、リアクション動画などを観ているとすごく増えているように感じるし、コロナ禍でかなり広がった感はありますね。音楽について発信していた人がいつのまにかアニメリアクション動画の発信者になったりしていて、アニメの扉を開ける外国人が増えています。しかし、アニメ欲が戻ってきたとはいえ今季は『リコリコ』と『オバロ』とかしかちゃんと観ていないし、クールに10本以上観ていたそれには戻れなさそう。アニメ観ていると言えない…

ユヴェントスはスペツィア戦を観た。ミレッティによるアシストのミリクの振り向きざまのシュートはなんとなくイグアインを想起してしまった。こういったゴールができるのなら結構期待できるのではないか、と思える。ミリクってもっとゴツいのかと思っていたけれど、意外とシュッとしていた。兎にも角にもわたしはミレッティに釘つげ。ミレッティLOVE。キエーザとポグバは1月の復帰になりそう。キエーザはもうちょっと早く復活できると思っていたので、少しだけ残念だ、というかかなり残念。1月の補強だと思おう。

『NEWニューヨーク』「~第2回 なつかしー展覧会1986~」を観たら高橋愛が出演していて、朝井リョウとの対談を思い出してしまった。最近のわたしは2016〜2018年くらいの記憶で生きています…虚しい…とか思いながら対談を読んで、

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朝井リョウ加藤千恵オールナイトニッポン0』2015年8月14日放送回の録音を聴き返しました(すべて録音してあるなんて過去のわたしまっっじで優秀!褒めてあげたい)。柚木麻子にプレゼントした明宝のケチャップをひとつだけ強奪し、マシュー南のように喋りまくり、しっかりとケチャップを渡し終え、しかし、その帰りのタクシーですっごく怖い思いをする朝井リョウ

バズリズム』の櫻坂46出演、偏食ランキングを観た。森田ひかるはスッパイマンが好きなんだそうで、宮脇咲良といっしょですね。天ちゃんは何にでもポン酢をかけてしまうらしい。ポン酢美味しいもんね。わたしはラー油めっちゃ使ってしまう。カップ麺とかラー油ドバドバ入れてしまう。餃子もほとんどラー油で食べてる。櫻坂は金曜日の『Mステ』にも出ていて、そこにはKep1erもいた。Kep1erは回転寿司に行った話をしていて、ヨンウンはとびっこが好きらしい。とびっこねー、わたしはとびっこダメなのだ。

土曜日。ジョーダン・ピール『NOPE/ノープ』観た。結構楽しみにしていたのだけれど、なんか全然面白くなかった。世間で考察されているような人種と映画史の文脈で語られている構造はまあそうなのだろうけれども、なんかなあという感じだった。一本の映画としての気持ちよさみたいなものがあんまりなくて、ストーリーの構成なども微妙でとにかく長く感じた。「見る/見られる」とかまあそうなのだろうけれど、わたしは「見る」ことに集中できませんでした。映画の需要のされ方も批評的な眼差しではなくて、解説的なものであって、あんまりノれない。これでは外側に波及していかないでしょうと思いました。映画の外側にある文脈をみんなで目配せし合いながら読んでいるようで、なんだかなあって感じだ。わたしには今はちゃんとした勉強が必要。今更『ゲーム・オブ・スローンズ』という最強コンテンツを観てしまっているからかもしれないし、IMAXで観ていないのもあるのかもしれない。

『初恋の悪魔』6話をTVerで観て、22時から7話を観る。6話からとても面白くなってきた。トール・フロイデンタール『僕と頭の中の落書きたち』

を観た。主役のチャーリー・プラマーくん、雰囲気がKis-My-Ft2千賀ぽい。テイラー・ラッセルさんは本当どの映画でも魅力的ですね。精神科との対話の場面では、主人公自ら『グッド・ウィル・ハンティング』のタイトルを明示していたのよかった。頭の中にはものすごい落書きがあるけれど、それはただの落書きであって、天才なんかじゃないし、愛も何も解決しないけれど、でも、少しだけ軌道修正してくれたりするんじゃないかなあ、という市井のラストは美しかった。

『カナメちゃん村』S9-第12回「後ろは坊主、前髪はオン眉(シーズン9完)」

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が神回すぎて、3日連続で聴いた。わたしが小学生の時、たまに対戦するチームで、選手たちのほとんどがソフトモヒカンというクラブチームがあったのを思い出した。ヤーチーの「そんな奴らも恋をするんだよ」では、『ゲーム・オブ・スローンズ』のグレイワームが恋をするシーンを思い浮かべてしまった。カナメストーンほんと好き。小学生のときのカナメふたり見たい。いっしょにサッカーしたいと考えていたら、『しゃれカナ』の「コンビでPK対決」がUPされていた。鹿島中サッカー部で出会った二人。20年ぶりのPK対決【カナメストーン】 - YouTube 年齢は10なんこも上だけれど、インサイド、アウトサイド、腿、胸…とかやるウォーミングアップはずっといっしょなんだね。ふたりともスタイル良いですよね。素敵です。中学サッカー部時代のふたりでいれるの良い。わたしたまに同級生とかと会うと酒飲むのとか必要になったたりするじゃないですか、マジでなんなの、と思う。あと、サッカーやるのにも場所使うためのお金がかかったりするのもクソですねえと思います。

ちびまる子ちゃん』を久しぶりに観たのだけれど、一本目が「野口さん、お笑いノートを失くす」だった。元気を出してもらおうと、まるちゃんがたまちゃんと一緒にお笑いをやって見せたり、お笑い芸人にサインをもらってあげようかと考えたりするのだけれど、それは無理だから将来ビッグになりそうな、はまじと山田のサインをあげたら野口さんは喜んでいた。結局、野口さんのお笑いノートは学校のロッカーにあって、ふふふふふ…と笑っていた。野口さんが大人になったら、若手芸人のライブに通ったりする人になるんだろうか。それとも、そんな時代もあったわね、という感じになるんでしょうか。はたまた芸人になったりするのかな。 

ゲーム・オブ・スローンズ』は佳境も佳境。シーズン8-2、サムの科白が素晴らしかった。

それが“死”だろ?忘れて…忘れられること…今までの居場所やしてきたことを忘れたら、俺らはもう人間じゃない

人間として生きること、それは歴史を語り継ぎながら、未来に託していくこと、というのは『進撃の巨人』のラストにも繋がるところだ。無理ゲーなアンデッドとの闘いや絶対的な強者との戦争は『オーバーロード』みもある。津波のように雪崩れ込んでくるアンデッドに観ながら、こりゃあ戦うなんてもんじゃないよ、と絶望しました。ほんとに絶望。怖すぎた。暴力の人類史と戦うのはしんどいことですね。『ゲースロ』の感想は全体的に『進撃』と同じ感じかな。

AKB48『久しぶりのリップグロス』好き。千葉恵里は二次元がすぎる。大西桃香も推していきます。しかし、縦画面の必要性をあんまり感じないビデオですね。縦に長いダンスフォーメーションを見せたかったのだろうか。窮屈だ。久しぶりのリップグロス Music Video SNS ver./ AKB48 60th Single【公式】 - YouTube

AKB48 千葉恵里 初センターまでの軌跡 / AKB48 치바 에리이, 첫 센터까지의 궤적/ History of Chiba Erii - YouTube 「初センターまでの軌跡」という動画も発見した。この投稿主の方は「無理です」を観てファンになった韓国人であるらしい。わかる。「無理です」観たらファンになりますよね。だって、あんなの無理じゃんね。ひどいよ、あんなの。わたしは無理なときに「無理です」と言えるひとが好きです。無理じゃなくても「無理です」と言っても良いです。

サイモン・シン『数学者たちの楽園』と河合隼雄『家族関係を考える』と川北稔『砂糖の世界史』を並行読みし始めた。図書館閉館時間ギリギリに受付してしまい、もう帰り支度をしていたような司書さんにとても迷惑をかけてしまった。申し訳なかった。警備員のおじいちゃんに「お前、なんだ、なにしてんだ」というふうに館内から追い出された。強い語気のおじいちゃんは少し怖い。けっこう怖い。

わたしは世界史のことをちゃんと勉強しなくちゃいけないのに、その周縁を泳ぎ回っていてなかなか腰を据えて世界史のスタートラインに立てない。わたしにも若林正恭の東大先生みたいなひとがいてほしい。やさしい先生。若林はどれくらい報酬をあげていたのだろう。

NHK ドキュメント20min.『タイトルだけは決まってる』をNHKプラスで観た。芸人のバカリズム、ヒコロヒー、構成作家の矢野了平、ラッパーのTaitan*1、漫画家の大橋裕之の5人がタイトルだけ決まっている番組の中身を考えていく、というもの。ルーレットで出た「ズレてるテレビ」について作戦会議をし、「インターネットでバズらない」ものにしようとの結論を出に至り、わけわからん番組を制作、放送していたのだけど、ほとんどニューヨークの『すてきに帯らいふ』でした。

『初恋の悪魔』第8話を観る。松岡茉優が泣きながらカレーを食べているシーンがあった。坂元裕二坂元裕二やりすぎていた。先週でシーズンに一区切りついていたけれど、今週も『カナメちゃん村』はあった。聴いたら、『NOPE』を大絶賛していたので、もう一回観てみようかなと思う。わたしも「NOPEすぎない?」と言いたい。『ゴッドタン 』はアンジェと小宮が仲直りしていた。アンジェとニューヨークでまた番組やってほしい。『FNSラフ&ミュージック2022』にニューヨークが出る。こんな状況になっているの本当に信じられない。すごい。最近、GAMEBOYZさんの「一般人一万字インタビュー」

gameboyz.hatenablog.com

というものを見つけたのだけれど、すっごく面白くてあっという間に全6回読んでしまった。なんならわたしもインタビューされたいな、とすら思えてしまうほど。聞きにくそうな質問も聞けてしまうのは、ほとんど初対面だからなのか、大人だからなのでしょうかね。定期的に開催してほしい。

*1:わたしはTaitanの「〜〜〜だあねっっ」みたいな喋り方がうまいこと馴染まなくて、『奇奇怪怪明解事典』をしっかりとは聴けないのだよな。

東京女子流『ノクターナル』

f:id:You1999:20220901151700j:image東京女子流の7年ぶりとなる6thオリジナルフルアルバム『ノクターナル』は、しっとりと街を包む夜の帳に少しずつ煌めく星々や電飾の明かりを浮かべたようなIntroを抜け、雨降る夜に「グッドモーニング」と新井ひとみが囁く『Viva la 恋心』によって、12年の時を刻んだ星時計の物語の始まりを告げる。小さな星たちの(東京女子流のシンボルでもあるアスタリスクは、彼女たちを小さな星に見立てたもの)、大人になった今を映し出す物語は、単純な「きみ」と「わたし」のストーリーを乗り越えて、「Good bye sweet days」と宣言し、その円環の外側にある誰かの存在を意識させる。2人だけの間で共有される“かけがえのなさ”に対する諦念のようなものがありながら、しかし、諦めきれない…という心の動きが、何度も上下する運動によって表現されている。

東京は鳴り止まない雨

空にだってゆけるのでは?

海底 深く沈むように…

落下する雨粒、空に上昇していくような昂り、でもすぐに海底に深く沈んでいく。「今夜フォーエバー/でも止まらない viva 問えば」。AORっぽい要素を入れたというメロの上で心地よく韻を踏みながらもアップダウンの激しい心模様が巧みに表現されていて*1、物語の結末がハッピーエンドを向かえないだろうと示唆されるのも切ない。しかし、タイトルには『Viva la 恋心』と冠されているのだ(「Viva la」は「〜万歳」という意味)。この楽曲の密度が複雑な表現を等身大で可能にしてみせる今の東京女子流であることのアナウンスであり、7年ぶりのフルアルバムということの意味を揺るぎないものとしているでしょう。

アルバムのタイトル『ノクターナル』が星時計を意味することから、時計の針の回転を思わせるような円環を描く表現が随所に表れているのにも注目だ。

東京女子流 - Viva La 恋心 (Official Music Video) - YouTube

『Viva la 恋心』のMVでは4人が背中を合わせて踊る姿をぐるぐる回るカメラワークで撮らえられている。もはや結論は出ているのに何度も2人の未来を考えてしまうこと、まだ一緒の未来を描くことは可能なんじゃないかと『ストロベリーフロート』をかき混ぜる仕草によって、円を描く。

(アイスクリーム…)かき混ぜる

前の席には恋人が座っているのだろうけれど、「こぼれ落ちてく/ぐちゃぐちゃに」とあるから、そのかき混ぜ方はなかなかに高速なのか、雑なのか、とにかくもう修復不可能なのであろうと推測できるし、なによりもめちゃくちゃ気まずい空間になっているのでしょう。「甘いだけじゃ…No way」。ガタッと席を立ち去るものの『この雨が上がっても』(めちゃ好き!)にあるように、あのとき…ああしていればもしかしたら…というネガティブなイマジネーションが止まらないのが、この雨が上がっても…という悲観的なものを連想させるタイトルである*2。そんな艶やかながらもしんどいムーブを救うのが「出会い?」であるのが笑ってしまうくらいに最高だし、かわいい。

気分次第の日々が
終わりに向かう…出会い?

単純に人との出会いということではなく、ポップカルチャーとの出会いということであって、レコードを回して救いを得るという美しい衝動が派手な照明の下で踊るビデオからも楽しく伝わってくる。なんで私たちは歌うのか、といったこの7年の試行錯誤した葛藤への清々しいアンサーである。「出会い?」というのは東京女子流と新しい作家陣との出会いでもあって、『Viva la 恋心』と『コーナーカット・メモリーズ』は、きなみうみという東京女子流と同世代の作家が担当だ。

東京女子流 - コーナーカット・メモリーズ (Official Music Video) - YouTube

中江友梨の「…予感⁉︎」の楽しさは尋常じゃないですね。めちゃキュートだ。そのまま『夢の中に連れてって』と逃避していくのだけれど、「目が覚めれば/ブレブレな理想と現実」などのように少しずつしっかりと刺しにくるのもこの『ノクターナル』の特徴と言えるかもしれない。そんな傷心した心を癒すかのように歌われるとんでもなくエモい『Dear mama』*3や、喋りまくって治癒を促す『ガールズトーク』、回復したのなら踊り出そうぜ!とミラーボールに照らされる『フライデーナイト』も最高だ。『ストロベリーフロート』へのアンサーソングだという『僕は嘘つき』をアルバムのこのタイミングに配置して、「きみ」という存在の輪郭を重層的に描いていく。『days ~キミだけがいない街〜』、『ワ.ガ.マ.マ. - MURO’s  KG Remix album ver.』という夜を闊歩するにふさわしい楽曲でアルバムを締めくくり、次の朝を迎えようとしている。東京女子流はたった今、始まったばかりなのだ、とさえ思わせてくれる6thオリジナルフルアルバム『ノクターナル』の針はこれからも時を刻んでいくのだ。

 

*1:東京女子流インタビュー|結成12年でたどり着いた等身大でフレッシュな充実作「ノクターナル」はどのように生まれたのか - 音楽ナタリー 特集・インタビュー (natalie.mu)

*2:「つっき、あかり〜」とか「あっま、もよう〜」とかのアクセント口ずさんでしまいますよね

*3:Spotify再生画面では幼少期の写真が背景画面でそれがもう…