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今村夏子『とんこつQ&A』

f:id:You1999:20220919125635j:image文学ムック『たべるのがおそい』vol.1に掲載され、第155回芥川賞候補となった今村夏子の2作目『あひる』は、あひるを2代、3代と代替しながら、“あひるのいる家”を作り続ける両親のことを困惑しながら観察する主人公についての興味深い物語であった。代替物を眺めながら、もしかしたら私も代替可能な存在であるのかもしれない、と不安に駆られるのだった。今年の7月に単行本として刊行された『とんこつQ&A』はある意味、あひるを観察する立場ではなく、あひるとしてその内側に入っていく対象となった者の物語であると言えるのかもしれない。そして、それを目撃する私たちという構図にもなるのだ。

中華料理屋「とんこつ」を営む大将とぼっちゃんは、4年前に心臓の病気で死んでしまった母親という存在の欠落を埋めようと、アルバイト募集の張り紙をだす。そして、それを見た今川さんがやってくる。「いらっしゃいませ」も「お待たせしました」も言うことができず、ただ佇んでしまう今川さんは、メモ用紙に「いらっしゃいませ」や「お待たせしました」と書き、それを読むことによって業務をなんとかこなしていく。そのメモの束を1冊のノートにまとめたものが「とんこつQ&A」なのであった。

Q15.メニューにとんこつラーメンがないのに、どうしてお店の名前は“とんこつ”なの?
A15.この店、元々の名前は“敦煌”っていうんです。店をオープンさせる時に大将が〜

しかし、メモを見ながら何度も何度も文字として書かれた言葉を発話していた今川さんは、もはやその「とんこつQ&A」を必要としていなかったことにふと気がつくことになる。何度も何度もテクストを口に出すことによって、しだいによそよそしさがなくなり、自らの音声を獲得していく(自らのなかでテクストを落とし込むことで、その音声を自分のものとして醸成していくプロセスは映画監督・濱口竜介のメソッドのようである)。自分自身の音声を獲得した今川さんには、ぼっちゃんからの「大阪のイントネーションで話してほしい」という願いは受け付けられず、「わたしらしい」応対を心がけるようになる。音声を獲得し、自分らしく仕事をこなせるようになってしまった今川さんは徐々に中華料理屋「とんこつ」の独自ルールに疑問を持ち始めたりもしてしまう。

しかし、大将とぼっちゃんが求めていたのは母親という存在の代替であって、“おかみさん”という存在であった。そうであるから、“おかみさんのいるお店”を続けるために、またもうひとりこの中華料理屋「とんこつ」に招かなければならなかった。そして、新しく雇われた丘崎たま美をおかみさんにするために、ぼっちゃんと大将は今川さんに「とんこつQ&A ~大阪ver.~」の作成を依頼し、異物となり居場所をなくした今川さんはそれをしぶしぶ承諾するほかない。3代目おかみさんが現れた今、「とんこつQ&A」作成者としての居場所を見出すことしかできないのだった。

今川さんが作成した「とんこつQ&A ~大阪ver.~」「~家族ver.~」を読むことによって、どんどんおかみさんとしての輪郭を手にしていく丘崎たま美にぼっちゃんは自分のことを「しゅん」と呼ばせ、大将は「お父さん」と呼ばせる。姿形も“おかみさん”となるのに伴って、「とんこつQ&A」のQ&Aの数も加速度的に増えていき、それを書き足す今川さんの膨張していくイマジネーションと混在していくシーンはあまりにも不気味である。ここにきて、今川さんに居場所が存在しているのか、していないのか、ということはもう問題ではなくなってしまうのだ。本作で最も重要なのは、自らの音声を獲得し「とんこつQ&A」を手放し自由を得たはずの今川さんが、「とんこつQ&A」を手放せなくなり、その世界の中でしか生きることができなくなったことが示唆されることであるだろう。このラストがあまりに悲劇なのであり、しかし、なにかハッピーエンドのように書いてしまえる今村夏子の筆致が恐ろしくもあるのだ。

わたしは過去エントリーにおいて、最近の今村夏子作品には「代替可能な存在である人間への讃歌」が描かれるようになってきたと言及したのだけれど、本作ではテクストが放つ魔術に飲み込まれてしまった先の、自己創出した世界での祝福であった。いやはや今村夏子は予想の枠に収まらない不気味さで裏切ってみせてくれる。もう自作が待ち遠しいではないか。

本作には表題のほかに『嘘の道』『良夫婦』『冷たい大根の煮物』の3本が収録されている。『嘘の道』は今村夏子らしい、対象として見ていたものが、しだいに自分と重なっていき、世界の有り様を変えてしまうといったものである。らしい物語であって、徐々に反転していく美しい不気味さもあるのだけれど、最後、消えていることについてはわざわざ言及しないでも良かったように思えてしまう。『良夫婦』は飼っている老犬の死、主人公の女性とどこかからやってくる子どもとの対話、サクランボの木からの落下と高層マンションへの引っ越し、2組の夫婦の接続などが重なりそうで重ならない物語となって表出されている。最後に収録されている『冷たい大根の煮物』は、労働と対価による交換が交感を伴った結びつきにまで発展する様子を切なげに描かれている。あれが戻ってこない、あれが返されない、という不満な声を聞き、自宅へ帰って自炊するシーンはあたたかくもある。だけれど、「冷たい」というワードでもって、すこし気持ちの晴れなさが残るのが今村夏子の作品でありますね。おすすめ!