昨日の今日

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マット・ジョンソン『ブラックベリー』

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In many ways, they’ll miss the good old days
Someday, someday

Yeah, it hurts to say, but I want you to stay
Sometimes, sometimes

When we was young, oh man, did we have fun
Always, always

The Strokes『Someday』

サーバーを介した通信技術によって、メール送受信機能を備えた50万台もの携帯電話を同時に使うことができる、とマイク(ジェイ・バルシェル)がプレゼンする。「メール送受信可能なキーボード付きの携帯電話」。魅力的なその響きと目の前にあるプロトタイプの操作性は、今後の成功を確信できるだけのものがあり、実際そのように未来は描かれていく。しかしながら、希望しかないはずのその瞬間を描くにあたって、未来における眼差しから、「懐かしいあの日々は楽しかったね…」とThe Strokes『Someday』*1が楽しげでありながらも切なく鳴り響くとき、これから始まる物語がもう過去の出来事、つまりすべてが終わったものであることが暗に示唆されるのだった。

マイク・ラザリディスとダグ・フレイギン(グレン・ハワートン)が中心となって設立されたRIM社はオタク集団のベンチャーIT企業。大学の仲間とつくったその会社は、映画を観たり(ムービーナイト!)、ゲームをしたりしながら、ときたま制作したITツールを売って金にすることができれば万々歳だろうという感じであって、ビジネス的な展望というものはほとんどないと言っていいほどであった。そんなところに、ITベンダーをクビになった実業家であるジム・バルシリー(マット・ジョンソン)がやってくるのだけれど、こいつが相当に厄介。クビになった理由は明確にされないが、物語を通して描かれる私利私欲の権化と見まごうほどのアクションを観れば大体の予想はつく。罵声に次ぐ罵声。ジムの強烈な野心は、資金繰りに頭を悩ませていたRIM社の弱点をうまく補完することになり、強引に成功へと導いていくのだった。開発スキルと売り込み力。この見事なハッピーマリッジによって、RIM社は業績を急速に拡大させていく。そして、その中心にあったのが、「ブラックベリー」。メール送受信機能を備えたキーボード付きの携帯電話だ。

本作のタイトルにもなっている「ブラックベリー」は、スティーヴ・ジョブズ率いるApple社のiPhoneが発表されるまでは、世界シェア1位を誇る携帯電話であった。しかし、機能性とデザイン性における最適解を叩き出したiPhoneの登場によって、ブラックベリーのシェアは急速に低下していくこととなる。本作は、「マイクとジムの結託によるブラックベリーの成功」「敵対的買収に対抗するための業績向上」「iPhone登場によるブラックベリーの没落」というおよそ3つの章で構成されているのだけれど、物語を貫くテーマは「コミュニケーションの阻害」である。1章から2章におけるブラックベリーの成功とその後の企業成長は、マイクとダグのコミュニケーションを阻害するし、2章からクライマックスにおける不正取引による業績拡大はマイクとジムのコミュニケーションの切断によって引き起こされるものである。

ブラックベリーはコミュニケーションを向上させることができる。誰もが携帯電話でメッセージをやり取りできる未来を期待している」と物語前半でジムは言った。しかし、Googleのエンジニアを引き抜きに行った物語中盤、「誰もがブラックベリーを手にして、仕事に集中していない。だからブラックベリーを禁止にしようとさえ考えている」と言われるのであった。そう、誰もが遠い他者との会話に夢中になり、今ここにある空間の問題に関わらなくなっている、と。このシーンはコミュニケーションを円滑にするはずの機器が一方でコミュニケーションを阻害していること端的に示しているものであり(またそれは今日の愚かな現実でもある)、その構図はマイクとジム、マイクとダグの関係においても言えるだろう。ブラックベリーの誕生に起因して膨張を避けられなったRIM社は、ムービーナイトやゲームを楽しんでいたかつての牧歌的な空間を排除していき、マイクとダグの穏やかな友情関係に溝を生む。また、iPhone発表後も自己の開発したプロダクトに拘泥し、あまつさえ趣味的と言っていいほどに新型ブラックベリー開発に躍起になるマイクと、こちらはまさに趣味のアイスホッケーのプロチームを買収することを画策するジムという視野狭窄に陥った2人は“共同”CEOとは言えなくなっていく。そして、発覚する不正取引。簡単にメッセージを送受信を可能にしたはずのブラックベリーであったけれど、マイクとジムはお互いのことを全く知らないのだった。司法取引を行なったマイクがジムに宣告するシーンには、電子メッセージでは表すことのできないエモーショナルなそれがある。

ラスト、中国に移転した開発工場から新型ブラックベリーが大量に送られてくる。マイクはそれを段ボールから取り出し、起動するが、異国からやってきたブラックベリーは彼の求めていたクリック音を鳴らさないのであった。彼の呼びかけに一向に応答しないブラックベリーの背中を開け、ハードウェアを確かめる。しかし映画冒頭のように、その隣にダグはもういない。

*1:The Strokesというバンドもまた、本作のマイクとダグのように、学生時代からの旧友たちによって結成されたバンドである