Homecomingsと羊文学のツーマンに行ってきた。世界が変わってからは初めてのライブで、入り口で体温を測られ、四角く区切られたマスにおさまって十分な距離を取りつつ、マスクを着用し歓声をあげてはならないというものになっていた。ワーワーギャーギャー騒ぐことが苦手な私にはむしろありがたいような気もするけれど。何はともあれ久しぶりのライブでして、目の前で行われる、その音の発生を聴くという営みはとてつもなく幸福なんだということを改めて思い知らされました。優しさ、天使、ゴーストというモチーフを共鳴、共有した、羊文学×Homecomingsはじめてのツーマンめちゃ良かったです。
〈Homecomings〉
Homecomingsは久しぶりで、今回で3回目(ココナッツディスク吉祥寺で開催された平賀さち枝と畳野彩加のインストア・ライヴも合わせると4回目かもしれない)だと思うのだけど、やっぱりHomecomingsをライブで見るときにまずはじめに思うのは畳野彩加さんのジーンズがカッコいいなということ。すっと伸びたジーンズに魅せられていると
優しいことは忘れないでいる
と『Cakes』でオープニングを飾ってくれる。このコロナ禍になって耳で音楽を聴くということしかできなくなっていたわけであるのだけれど、ライブで音楽を聴くというのはこれだ!と即座に思い出しました。耳ではなく身体の真ん中で聴いている。
君を待ってたのさ
という歌声には思わず感涙しそうになりました。今はちょっとしんどいけどさ、きっと大丈夫だと思うな。そんなポジティヴなフィーリングに溢れていた。けれども、そんな光を灯すほどにゴーストはありありと見え隠れし、ちょっぴり不安にもなるし、
Somehow, Somewhere
The light already starting to mold
And the smores is a ghost that scares up ahead『LIGHTS』
ずっと何かを言わなくちゃ
『Blue Hour』
そんな感情は言葉にするのも難しいし、どうにもがんじがらめの今の空気感をも音で描いていた。でも私たちが音楽を奏でて、それを今あなたがここ(here)で聴いている。久しぶりですね、ほら大丈夫だよ、まだきっと会おうね、と*1爽やかなメロディに勇気づけられる。
The ghosts banished from my diary,
Which I burnt in early summer.『Songbirds』
さあ君に会わなくちゃ 少し照れるな
『Hull Down』
〈羊文学〉
羊文学はHomecomingsからのモチーフを受け取って、より力強く演奏していた。初めての羊文学だったのだけど、こりゃあライブで聴かなくちゃダメだなあと思いました。耳で聴いていると、少なからず繊細さとか落ち着くとかなんかを感じてしまうのだけれど、そんなものはいらん!というくらいに、まずもってドラムが心臓を刺激してくるのにビックリした。ドン、ドン、ドン。羊文学ってライブで聴くとドラムがいいのだなあと思った。そして、歪んだギターのリヴァーブのなかで塩塚モエカの透き通った歌声が浮遊するのだけど、Homecomingsとは違ってなかなか乱暴な部分もあって、そこでグイッと引っ張られる感じがライブ中幾度もあり、そこにライブの説得力みたいなものがあった。
どこまでも行くんだゆくんだ
『ハイウェイ』
そう始まったライブは、Homecomingsのモチーフを引き継ぎながらも、
夢のなかで わたしみたの
『ラッキー』
とすぐさま夢の中の話へと連行させられる。「理屈じゃないところで しあわせが訪れる」と歌われ、宣言される。そのあとに『mother』とつづいていき、その中では“曖昧であること”を歌っていて、けれどもはっきりと断定した意思が垣間見えるのになんだか不思議な気持ちにさせられる。歪んだギターの残響によって輪郭を失くしていくことで、より強く“曖昧さ”を意識させられるままに、羊文学の世界を体験することになる。あやふやで不確かな夢であるのかもしれない世界で誰かが話しかけてくるように。
僕らの存在はいつだって曖昧なの
『mother』
きこえるかい きこえるかい
『人間だった』
未来は変わるかもね
『powers』
見えないものの声を信じる
『ghost』
天使たちも羽をたたんで心を守る日が来るのね
瞼を閉じてキャンドルの灯りが消えるまで歌うわ
おやすみ
『優しさについて』
そうして、『優しさについて』までくると、さらにグッと深い眠りに誘われて、深部へと侵入していく。
ぼくはどうしたらいい?
『1999』
そこでは変容していく世界で「どうしたらいい?」と悩み、戸惑っている誰かがいる。脚を抱えて丸くなり、暗い部屋の隅っこでしゃがみ込んでいる。私たちはその様子を見ている。見ている。見ている。見ている。見られている。私たちの存在を形づくる境界はいとま簡単に融解し、その暗闇でしゃがみ込んでいるのは、私たちであるのかもしれない、と思う。様々なものが曖昧に、あやふやに、何もかもの輪郭が失くなり、ただ歪んだ音の中で漂い、浮遊する。
あいまいでいいよ
本当のことは後回しで
忘れちゃおうよ
夢のようだ
夢のようだ
『あいまいでいいよ』
夢の“ようだ”と締め括られ、ライブが終わったときに*2、私たちはもうすでに夢から覚めていた、正確にいえばこの時間が夢でなかったことを理解する。しかし、どこからが夢のようになったのか、夢のようでなくなったのか、それはわからないし、そもそも夢と夢でないときの区別もがわからなくもなる。確かなことなど存在せず、世界はどうにも不確かである、それでも、「僕はハイウェイにのって、どこまでも行くんだ行くんだ」という歌声は確かに身体の内で反響していた。
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