昨日の今日

KINOUNOKYOU

お笑いとテレビと映画と本と音楽とサッカーと…

木皿泉『これっきりサマー』

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ーどうしたら助かる?

ー自分の星へ帰らせるんだ。いま迎えを呼んでる。でもまだ来ないんだ。家に帰さなきゃ

ー何かの間違いで取り残されたんだ。今まで生きてたのが奇跡だ。奇跡なんだ

スティーヴン・スピルバーグE.T.

甲子園もフェスもなくなった地球に取り残されてしまった2020年の夏。そんな地球で生きることができている奇跡を10分というショートムービーで優しく描いている。『すいか』では天井に、『Q10』では誰かがいなくなり、『野ブタ。をプロデュース』では柳を引っこ抜かれて、ポッカリ空いてしまった穴。そして、『これっきりサマー』では、甲子園だったり、夏フェスがなくなってしまって夏の空洞ができた。そこから何が起こるかというと、木皿泉がこれまで描いてきたように、その穴を通して誰かと出会うということだ。穴っぽこを見て感じる、無くなってしまったことへの悲しみだけではなく、そこを通って目の前に現れる希望を描くのだ。藤井薫(岡田健史)がインカメにすると水守香(南沙良)がいるのもいい。誰かと出会うのは思いがけなくて、あっけなくて、前を向いているんだけれど、後ろを見ていてそこには誰かがいる。そんないつもと違う夏という質感を持って放っている。甲子園もフェスもなくなってしまったけれど、そこには何もない夏があるわけではなく、甲子園もフェスもなくなってしまった夏があるのだ。無くなってしまったという空洞があり、その空洞を持っているのは自分だけではない。それだから誰かに優しくできるのではないか、と分断しようとする線を取り除こうとする。

あんたと私はさ。異星人だよ。わたし野球のどこがいいか全然理解できない。そっちもロックのこと全然でしょ?

でもさ、あんたは知ってるんだよね?ロックがわたしの帰る場所だってこと。そこへ帰そうとしてくれたんだよね?

指と指が触れ合う。それは『E.T.』では傷を癒すことだった。この夏に大切なものを失った彼らが、誰かと出会い、触れ合うことで傷を癒そうとするのが素敵だ。そして、そのあとすぐに除菌をする。なんか面倒くさいけどクスッと笑える。相手に触れて、除菌する。この繰り返しで互いを理解していく面倒くささがいいのだ。リモートで簡略化されていくコミュニケーションでは生まれない面倒くさい個人と個人の関係が、青い空と緑の芝、それを隠す暗闇のなかで育まれていく。

カオルフェスTシャツを作って、イヤホンをして、サイリウムを振るとそこには夏フェスがある。無人阪神甲子園球場に実況をあてると、吹奏楽部の応援が聞こえてきて、ボールを投げるとバットの金属音が鳴る。三塁から走り込んできたスライディングのズザァという音、ワァー!という歓声も聞こえてくる。そこに本当はないものを、あるものとしようとする木皿泉の筆致が感動的だ。イマジネーションを働かせて無くなってしまったものを存在させようとする高校生を鼓舞するようにTHE BLUE HEARTS『終わらない歌』が流れる。

今は見えなくても、自分を信じろ。いつか目の前に、お前が信じたものが、形をもって現れる。その日まで。

木皿泉Q10

こんな夏はもう無いだろう。

これに代わる夏なんて、あるわけない。

しかし、10分というのはやっぱり短すぎる。そして、関東圏ではカットされてしまった2分も含めて再放送してほしい。