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倉持裕『リムジン』

f:id:nayo422:20231104153224j:image物語は、小学校の統合により、子どもの通学が片道およそ40分になってしまうことを嘆く彩花(水川あさみ)と同じく小学生の子どもをもつ母親(青木さやか)の会話シーンから始まる。そんななか彩花の夫である康人(向井理)が、現在の町長である衣川(田口トモロヲ)から後継者として指名されることで、問題が解決するかもしれないという淡い期待が浮かび上がるのである。その解決方法としては、町長になった康人がスクールバスを運行させることを市長に直訴するというものである。さらに、もしかしたら子どもを私立の小学校に通わせることもできるかもしれないとまで彩花は夢想してしまう。

しかし、そんな夢物語は、ある事件が起こることによって暗礁に乗り上げる。衣川、康人、そして、康人の同僚であり友人でもある坂(小松和重)らを含んだ複数人のグループが、趣味である狩猟に出かけたのだが、何者かによる誤射で衣川が軽傷を負ってしまうのだ。衣川は坂が誤射した犯人なのではないかと疑うのだが、本当は康人が誤射した当人であった。「すべてを正直に話そう…」と何度も決心するのだが、その度に言葉は喉元でつまり、康人は真実をはぐらかしてしまう。言わなければ…言わなければ…と思いながらも、罪を抱え続けてしまうのである。銃を撃ったあとにでる空薬莢を見せ、「私は誤射していないのだが、これを見つけた。しかし、誰が犯人なのかはわからない…」と、咄嗟に真相を藪の中に隠そうとしてしまうシーンは胸がざわざわし、苦しい思いが劇場を包み込む。聖人君子を装いながらも罪を抱えた人物を演じる向井理のなんともいえない顔は見事であった。

鉛のような腫瘍は康人の身体を蝕み、彩花や東京からやってきた白水くん(田村健太郎)に八つ当たりしてしまうのだった。ぐちぐちと小言を言うその様は、まさに衣川が所有しているリムジンの運転手(宍戸美和公)へのそれであって、権力を握る者が陥る嫌なパターンへとゆっくりと足を踏み入れていく。康人が町長になれば、リムジンは康人のものになるのだ。

本作のテーマは、「大いなる力には、大いなる責任が伴う」というスパイダーマンのそれであるだろう。つまり、康人はリムジン(権力)を手に入れることができるが、しかし、それには何か大きなことを動かすという意思決定における責任をも手に入れることであるのだ。そして、それは甘い欲望との闘争をも強いるものである。スクールバスを走らせることができるかもしれないし、息子を私立の小学校に入れることができるかもしれない。また、罪を告白せずとも、その権力の行使によって、誤射の冤罪のために衣川と仲違いしている坂を助ける(彼のポジションを確保する)ことも可能になるかもしれない。すべては、康人が衣川に黙っておけばどうにかなる話である。しかし、それで良いのだろうか。権力を手にすることと引き換えに、罪を抱えたままにすること。ピーター・パーカーはスパイダーマンの力を手に入れたが、その能力を発揮しなかったことによってベンおじさんの死という不作為に起因する罪を抱えることになる。

数年後、桜の花びらが舞う。会社の外にはリムジンが止まっている。町長となった康人は、通学路にスクールバスを走らせるため、町の人々から集めた署名を届けに向かう。「大いなる力には、大いなる責任が伴う」。“みんな”のためなのだと自らを納得させ、責任を果たしにいく。告白できなかった罪を抱えたまま、彼は自分自身を裏切り続けることになる。もはや康人の罪は、誰もがうっすらと勘づいているし、もう無いものとしている。しかし、彼はその罪を抱え続けるだろう。なぜなら、その罪を引き受けることによって、リムジンを手に入れたからのだから。