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熊倉献『ブランクスペース』2巻

熊倉献『ブランクスペース』2巻である。傘やピストルを想像力によって作り出してしまえるスイは飢えた凶暴な犬や空から落下する巨大な斧を作り出そうとしていた。ショーコはもっと楽しくなるものを作ろうよと理想の彼氏を作り出そうと提案する。しかし、少し前まで凶暴な犬や空から落下する巨大な斧を作ろうとしていたスイが作り出す人間とはいったいどんな人になるのだろうか、と心配するショーコはあれこれと苦心する。スイも同様に人間を、彼氏を作るというのはどういったことなのだろうと苦心する。前脛腓靭帯、前距腓靭帯、足底筋膜…人体のしくみ…。悩んだ挙句、頭の中で彼氏を作るのなんて空しいとふと手にとった坂口安吾堕落論』の中に収録されている『青春論』の読むことによって、行き詰まっていた彼氏作りは軽々と悩みを飛び越えていく。

スタンダールと仲がいいような悪いようなメリメは、これは又変った作家で、生涯殆んどたった一人の女だけを書きつづけた。彼の紙の上以外には決して実在しない女である。コロンバでありカルメンであり、そうして、この女は彼の作品の中で次第に生育して、ヴィナス像になって、言いよる男を殺したりしている。
 だが、メリメやスタンダールばかりではない。人は誰しも自分一人の然し実在しない恋人を持っているのだ。この人間の精神の悲しむべき非現実性と、現実の家庭生活や恋愛生活との開きを、なんとかして合理化しようとする人があるけれども、これは理論ではどうにもならないことである。どちらか一方をとるより外には仕方がなかろう。p61

坂口安吾『青春論』

人体のしくみというものを意識することもなく、その非現実的な想像力のために、「テツヤ!」と声を発することによって目の前にゆっくりとその存在を現していく。体育の時間、走り高跳びのバーを飛び越えるという人間の動きを見ることによって、その非現実的な想像力は加速し、空からテツヤを降らせるのだった。

2巻では、前作『春と盆暗』のオムニバス形式を思わせるように、中道ゴロウ『わが空白』という小説から繋がった2人、『遺失物粉砕所』という読み切り作品をめぐるボーイミーツガールなどの複数のストーリーが紡がれていく。中道ゴロウと『わが空白』をめぐる物語はまさしく坂口安吾『青春論』にあるようなメリメのことからきているものであるだろうし、

私は空白を空虚な言葉だとは思わない。

という最後の文章は、そこには何もないのでなくて、そこに何かあるかを見ることができるのか、というような想像力の物語である『ブランクスペース』のテーマの輪郭線をしっかりと描いていく。空白にコーヒーを置くことによって、そこに人を存在させてあげる。いなくなってしまった人と空白のなかでダンスを踊る。しかし、人間の想像力は人々が見ている空白の先で暴走を始める。人間は身勝手にも想像するだけしておいて、結局そのまま作り上げたもののほとんどは見ることができないし、見向きもしない。きっと想像力なんていうものは大したことはなくて、誰かの想像力はまた他の誰かの想像力に依存するしかない。2巻で紡がれ始めた複数の物語が収斂していくとき、ゆっくりと空白がそのまま空白として現れるのかもしれない。『ブランクスペース』の想像力があなたの想像力を呼び起こす。その想像力はきっと誰かを救ってあげられるはずなのだ。