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Netflix ジョナサン・エントウィッスル『ノット・オーケー』

f:id:You1999:20220419024647j:image鬱屈した思いはうまく言葉にならず、頭の中をグルグルと駆け回りながら雪だるま式に膨れ上がっていき、やがてスケールの大きな超能力となって現実に放たれる。シドニーはこの制御がままならない力(=思い)をどこに向ければ良いのか、どうのように付き合っていけば良いのかと悪戦苦闘する、という実に青春ドラマらしい構成である本作は友達、家族、教室というコミュニティにおいての、向ける/られる視線、思う/思わない、壊す/壊さない、言う/言わない、といったことの反復や懐かしさを多分に含んだ美術など、細部への充実も抜群である。それもそのはず制作総指揮は『ストレンジャー・シングス 未知の世界』のショーン・レヴィ、監督はNetflix『このサイテーな世界の終わり』のジョナサン・エントウィッスルであるからして、全7話(1話がおよそ20分)というテンポの良い物語の進行と適度なバイオレンス描写でもってして推進力そのままに完走してくれるのも有り難い(しかし、シーズン2制作を予定していたからこそのシーズン1ラストのフックは、新型コロナウイルスによる打ち切りで無為になってしまった。どうにもならないこの現状へ中指を立てよう)。物語は真っ赤な血を浴びた少女が逃げ走るシーンから始まり、そして、父親の不在、超能力を持っているということから、それはその通り『キャリー』を下敷きにしていて、『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』のソフィア・リリスとワイアット・オレフという出演陣からも、スティーヴン・キングへの明確なオマージュが掲げられているのもいい。

本作の主人公シドニーはなかなか擦れていて、世界へ中指を立てているティーンエイジャーだ。スクラッチを硬貨で削り続けるしかない人生と揶揄し、頭の中で独りごちる。

我が家は裕福にはほど遠い。しょっちゅう引っ越すけど、いつもこんな田舎だ。宝くじと同じ。生まれながら大当たりの子もいる。残りの子はスクラッチを硬貨で削り続ける人生だ

そんな心模様を引き継いでいるかのように、アメリカの錆びついた工業地帯であるラストベルト・ペンシルベニアで暮らしている。そんな彼女にも心強い友達がいる。同じ時期に引っ越してきたディナはシドニーにとって唯一で絶対の親友なのだ。愛想が良く、スポーツ万能、それまで孤独であったシドニーが持っていないものを多分に持っている憧れの存在。しかし、そのディナは彼女の恋人であるブラッドに取られてしまうし、話が通じる良き理解者であったはずの父親は自ら命を絶つという行為で一方的に離れていってしまうということのために、また以前のような孤独なフィーリングをなんとなく抱いてしまう。孤独はゆっくりしてゆっくりと足音をたてずに近づいてくる。すると、そこに現れるスタンリーというなんとも呑気でキュートな男の子!スタンリーは好きな音楽を頼りにシドニーを誘い、「音楽を聴いて一緒にハイにならない?」とBloodwitch(血の魔女)という名前のバンド楽曲のリンクを送る。

My life’s shame and sorrow falling back

Bloodwitch『Fly』

いろんなことを曝け出せわかり合える誰かと出会うこと、それは人生の恥と悲しみを後退させるほどのパワーを持っているのかもしれない。身体にできたニキビをお互いに見せ合い笑いあうという実にヘンテコなシーンや、スタンリーのVHSへの傾倒がそのことを雄弁に語ってくれている。

確かに品質は低い。けどチープな質感が逆に良さを引き出す。

音(=思い)を高品質で届けることはできないかもしれない。でも、そのオリジナリティある音の質感からは何か素晴らしいものが引き出されていて、きっと誰かの心を感動的に振るわせることができる魅力を持っている。そして、そのオリジナルの思いというものは確かに繋がっていた!という父親からシドニーへの不安定な心の伝達という脚本の妙。さてシーズン2打ち切りということは決定しているようですが、熱心なファンが打ち切り撤回求める署名活動をしているそうな。この純粋であるが故に歪な願いは届くのでしょうか。