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根本ノンジ『監察医 朝顔』第2シリーズ 1話

f:id:You1999:20201104021139p:image『監察医 朝顔』第2シリーズが始まった。なんと年を跨いでの2クール放送!素晴らしい!脚本、役者、劇伴など、隅々まで作り手の意識が行き届いた作品を堪能できる、その半年間に浸りましょう。2019年の放送から1年。始まってみて、すぐにわかる「あ、最終回の続きからだ!」ということがこのドラマのなんたるかを物語っている。第1シリーズ最終回で朝顔たちが発表会へと向かうところで終わり、第2シリーズの初回でその発表会を観るところから始まる。この連綿と続いていく“生”の物語である。発表会、つぐみが自転車に乗れるようになる、クリスマス、七五三、雪だるまをつくる、つぐみの誕生日、お花見などいろいろな生活の断片にビデオを回す。忙しい朝のシーンも実に魅力的だ。ピーマン、ハムを切り、パンの上にのせてオーブンに。フライパンの上で目玉焼きをひっくり返す。

朝顔「おはよー」

平「おはよー。朝顔、ストライプのネクタイ知らない?」

朝顔「えっ?お父さんのネクタイだいたいストライプじゃん」

平「微妙に違うんだよ」

つぐみ「あーっ、ピーマンだ…」

朝顔「つぐみ、食べようね」

つぐみ「えー…」

平「おいしいよー」

つぐみ「苦いもん…」

桑原「つぐみさん、ピーマン食べると大きくなれるよ」

こういった小さな生活の積み重ねが命を紡いでいくのだ、というささやかな下地がこのドラマを魅力的にしている。死体を解剖し、事件の謎に迫ることがすべてではない。であるから、現場調査の隙間に娘の送り迎えを代わってくれないかと夫・桑原からのメールが差し込まれたり、父親・平からも「夕飯買って帰る?」といったメールが届く。仕事をしているだけでない、仕事をしながら生活をしている、その丁寧な描き方に好ましい印象を覚えるのだ。

第1話の群衆雪崩事故。そのなかで描かれたのは孤独なひとりの男と集団心理のもとに惑わされてしまう人間の心だった。男はひとり寂しく家の中であまり動かずに生活をしていた。そのことが持病と絡み合い、エコノミークラス症候群による脳梗塞を引き起こしてしまう。その症状を見た人々のパニックが伝播していき、群衆の動きを惑わせる。ときとして誰かの生活は誰かの生活なかに浸食していく。平が孫の発表会ではしゃぎすぎて劇に鑑賞したことに苛立った他の子供の親もいたであろうし、桑原が自分のネクタイだと思ってつけようとしていたものが平が探していたネクタイだったり、茶子先生が飛行機で同乗していた乗客の症状に気づいて助けてあげたり、私たちの生活は常に別の誰かの生活と隣り合って、関係し合っているのだ。つぐみが転んで頭を打ちそうになり、それを防ぐために平が怪我をする。いなくなってしまった妻を探すために東北へ行こうとしていた平だったが、怪我をしてしまったために断念し、その代わりに、朝顔が有給を取って東北へと行くことになる。“生”の運動の連なりがストーリーを形作っていく。

もうすぐ沼の埋め立て工事が始まる。あそこは逃げ遅れた人たちがたくさん亡くなった場所だ。

常に私たちの生は誰かの生と影響しあいながら、その線を伸ばしている。しかし、反対に互いに干渉し合うことで、その線を途切れさせてしまうこともある。危機的な状況ならば、それはより複雑になって、誰かの生活に入り込むことで安心したり、境界線を融解させてしまいながらも生活を保ち続けようとする。

人間は危機的な状態になると、正しい判断ができなくなるの。パニックを起こすひと、冷静に考えれば、明らかに危険だと思うのに、逆の行動をとってしまう人。逃げ遅れる人。間違った方向に逃げてしまったり、自分だけは助かる、自分だけは危険な目に合うはずがないと思い込んで、逃げ遅れてしまう。そして集まるの。隣に人がいれば、安心だから。

このドラマは本当に美しくささやかな日常の生活を巧みに掬い上げ、描いている。しかし、その生活というのは、ひいては他者と共に生きるということでもある。輝く美しい生活が誰かの生活と混じり合うとき、全く異なった他者性をはらんだ光を放って、目の前を見えなくさせてしまう。そんなときに現れる大きな他者と向かい合ったとき、どうすればいいのか、という不安をナレーションがそこはかとなく暗示しているようなしていないようなことに、観ている側もなかなか安心できない。こういった筆致が第2シリーズの通奏低音となるのなら、この半年間の2クールは心して見届けなければならないのだけれど、しかし継承の物語をより意識させることにもなるために、その“生”のキラメキは力強く映し出されるのだ。

今日、普通に生活していることが、どれだけ幸せなことか。そのことを私はちゃんと分かっていると思っていた。それなのに、このときの私はまだ気づいていなかった。私たち家族に残された時間がそう長くはないことを。

 

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