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黒沢清『スパイの妻』

監督 黒沢清 × 主演 蒼井優!映画『スパイの妻』予告編 - YouTube 満州から帰国した優作はスパイとなっていた。その土地で何かを知り、見たのだ。見てしまった優作はもはや正気ではいられなくて、いや、むしろ正気になったために、機密文書と草壁弘子を持ち帰ることになる。一方の聡子は何も知らず、見てもいない。そのために、彼女を動かすのは、夫が満州から知らない女を連れてきたという嫉妬心からだろう。この非対称性はあまりに酷く、全くの情報がないにもかかわらず、信じるのか、信じないのか、という二択を迫られてしまうなど、

君はなにも見ていない

という科白が一方的に響いてしまう。しかし、嫉妬心は知らなかった何かを知ることのきっかけとなり、見えていなかった何かをフィルムのなかで目撃することへの手掛かりとなった。さながらスパイの様相をみせる聡子はフィルムを盗み出すことに成功し、とうとう夫ともに映し出された国家機密を見ることになる。そのときになって、我々が見ているスクリーンにも全面に映し出されることとなって、私たちもまたそのフィルムのなかを覗き見てしまうのだ。この時間、劇場は静かになって、映像を見るという映画体験の居心地の悪さが、優作と聡子が窓、カーテンを閉める(風と光を排除する)というノイズを排除することで強調される。この居心地の悪さを共有した2人は共犯関係になったのかもしれないのだけれど、実際、やはり聡子は見ていなかったのだということが最後の優作の裏切りによって明らかとなる。聡子は映像を見ただけであって、結局のところ自分の目でそれを見ていない。その見ていないということは、国家機密だけでなく、夫との関係もまた見えていなかったということになり、それは船の箱の中で閉じこもっている状態となんら変わりなく、蓋を開けられ、銃を突きつけられ、自分がアメリカへと持っていこうとしていたフィルムの中身が、機密文書ではなく、映画だったということを目撃して、ようやく甘美な幻想を見ていたのだと自認するのだ。

聡子はフィルムを見たこと(なにも見ていなかったことに気づいたこと)よって、私と優作、社会との関係を正しく見られるようになり、そうなると周りには狂ったように見えてしまうのだけれど、その凛とした蒼井優の眼差しが映画という虚構のなかにあるからいい。それは、戦争という脅威がやってきても動じず、落ち着き払っていて、後半での白い衣装とともに、まるでふわふわと揺れる幽霊のように佇んでいる。

自分自身の死を生身の人間が知ることはできません。また、通常の人生を送っている場合、人の死を目撃することは少ないでしょう。人間の経験の中で、物語にできないことについての本質的な不安が、幽霊という形をとって映画に表れているという印象があります。

黒沢清黒沢清の映画術』

正しく不安に陥った幽霊を演じる蒼井優の叫びがことさら美しく轟くのは、軽くて空虚である幽霊を体現しているからに他ならないのだ。そして、海のシーン。濱口竜介寝ても覚めても』、黒沢清トウキョウソナタ』(『フェデリコ・フェリーニ』)などからくるモチーフも忘れられないシークエンスだ(伊藤聡さんnote参照)。


La Strada. Fellini. Final Scene.

本作をとても魅力にしている東出昌大が最高!というのも忘れてはならない。空虚さをそのままに佇んでいるだけで不気味で、気持ちの悪い視線を向けることができる東出昌大の才能は本作にとって最大の魅力なのだ。頭身の整っているということはこれほどまでに不気味であるのだということを改めて痛感させられる。特徴的な科白の言い方も本作と抜群にマッチしていて、『寄生獣』や『あなたのことはそれほど』での視線の気持ち悪さを、本作でも発揮していて、あの艶かしい眼差しと発話はまさしく東出印だ、と言いたい。本作の脚本もつとめている濱口竜介寝ても覚めても』でのような悔しさを噛み締めた視線の運動なんてのも東出昌大が1番。濱口竜介三宅唱なんかにはぜひとも東出昌大で撮りまくって欲しい。