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グレタ・ガーウィグ『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』

『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』6月12日(金)全国順次ロードショー - YouTube 8月の最初に滑り込みで観たグレタ・ガーウィグ『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』が素晴らしかった。シアーシャ・ローナン、フローレンス・ピュー、エマ・ワトソン、エリザ・スキャンレンがそれぞれの魅力を視線や仕草でもって表現していてグッとくるし、その隙間をティモシー・シャラメ*1がふらふらと通り抜ける脱力感もいい。窓の外を覗くこと、扉を開くこと、新しい良き未来を想像することが生き生きと力強く描かれていて、シアーシャ・ローナンの視線から他へとつながる運動や走る運動から始まるのもいいし、トリュフォー味がある演出の数々もいい(『恋のエチュード』味)。そして、なによりも現在と過去を行き来しながら紡がれるストーリーラインがスリリングであり、とても良いのだ。ジョー(シアーシャ・ローナン)がこれまでの4姉妹の過去を物語ること、その結実として小説ができて、現在に放たれるその美しさ。それはグレタ・ガーウィグが1868年に発表された『若草物語』を現代に映画化したことと共鳴する。それはもう一本の真っ直ぐなラインが引かれるように美しい。歩くこと、織ること、観察すること、物語ること、歌うこと、描くこと、書くことに、共通するのは、すべてが線に沿って進むということだと定義したティム・インゴルド『ラインズ: 線の文化史』から引用してみる。

物語を語ることは、語りの中で過去の出来事を〈関係づけて語る(リレイト)〉ことであり、他者が過去の生のさまざまな糸を何度も手繰りながら自分自身の生の糸を紡ぎ出そうとするときに従う、世界の貫く一本の小道を辿り直すことである。だがさらに言えば、ルーピングや編み物の場合のように、いま紡がれつつある糸と過去から手繰られた糸は、両方とも同じ織り糸である。物語が終了する地点、生が始まる地点は存在しない。

ティム・インゴルド『ラインズ: 線の文化史』

現在と過去を織りなしながら、書くという運動へと向かうその姿が印象的だ。届かなかった手紙を破くという線が途切れるシーンや編集者によってページを削られたり、ラストを変更するように命じられたり、生き方を一方向に規定されてしまうことだったり、現在と過去で織り成される個人から生じる一本のラインを分断しようとする身勝手な力に抗おうと書き続けるのだ。

手書きで[西洋]の文字を書く者は、比較的限られた動きを反復させて、とぎれることのない文字のラインを描く。その揺れやループや筆跡はひとつの織地=文章(テクスチュア)を生み出し、記述が進行するにつれて織り出された模様が出現する。ここでテクストの比喩として持ち出されるのは織物である。ラインに沿ってそれぞれの文字は隣の文字にもたれかかり、接触し、腕を伸ばして前の人の肩に手を置いて一列に並ぶ人々のラインのようにみえる。つまり読者は、列をなす人々が通り過ぎるのを眺めるように文字を横から眺めているようにな印象を抱く。

ティム・インゴルド『ラインズ: 線の文化史』

ジョーが小説を書くこと、ベスがピアノを弾くこと、エイミーが絵を描くこと、メグが編んだり、高価な生地を買いそして売ることなど、それぞれの運動が固有性を紡いでいく。そして、自身の現在と過去から織物ができあがる。映画後半の家族が家に集まるなか、エイミーやローリーが背中を押し、ジョーがフレデリックのもとへと向かおうとするシーン。そこにはまさしく、「ラインに沿ってそれぞれの文字は隣の文字にもたれかかり、接触し、腕を伸ばして前の人の肩に手を置いて一列に並ぶ人々のラインのようにみえる」というように、みんなが並んでいるあのショットがあり、それは書くことと共鳴しながら、走るという運動でもって物語を駆動させる。

ティム・インゴルド『ラインズ: 線の文化史』を日本語訳した工藤晋の訳者あとがきには、こんな言葉が残されている。

そう、この本はきみのこの世界におけるwayfaringを励ましてくれる本だ。きみだけがもつ数々の線の並びと、それぞれの線の延長を。その線が、きみのまったく知らない誰かの線とつながるとき、何かが始まる。その何かが、世界を変える。そうした変わった世界を、見たいと思う。

ラスト、物語ることへの希望やたくましさを内包しながら、赤いカバーの本を抱きしめるジョーの姿が感動的であり、窓への目線は映画としてのメッセージをより強固にする。視線のラインが交わったりそうでなかったり、そんなことをくり返して、映画が紡いだラインと僕らのラインがつながったとき、『わたしの若草物語』がそれぞれの腕の中にあるのだ。

 

*1:ティモシー・シャラメってもうひとつのジャンルになりそうですよね、というかもうなっているかも