PFFアワード2019グランプリ、第20回TAMA NEW WAVE特別賞を受賞した中尾広道『おばけ』は孤独を祝福する素晴らしい作品だ。たったひとりで映画を撮り続ける自分自身(中尾広道)を記録したセルフドキュメンタリーである本作が描こうとするものは途方もない“繋がり”を求める過程である。カメラを置いて、構図を確かめてから、そのフレームにインしてアウトする。それを繰り返して、繰り返して、映画を作り上げるためにカットを重ねていく。しかし、手間暇のかかる過程の中で、これは報われるのだろうか、ちゃんと誰かと“繋がっている”のだろうかと夢想してしまう。そんな悩みや映画を撮ることへの憧れが宇宙にまで届いていくのが、この映画の不思議であり、感動的なところでもある。
また、異様なまでのロングショットであったり、ストーリーの乏しさというのも本作の特徴ではあるけれど、この映画1番の特異性はなんといっても、“繋がり”の象徴として登場する“金属バット”にあるでしょう。ポレポレ東中野スタッフ・小原治のコメントの
「個」を深めていくことで大衆性とつながる場所が絶対にある
ということに集約されていくのだろうけど、まさに“個人”と“個人”の繋がりの相手として、中尾広道が金属バットを選んだことに胸が熱くなってしまった。不安な気持ちを宇宙から見届けてくれる星屑の声を金属バットが、良い意味で粗雑にアテレコしていて、この何にも縛られていないような、緩みまくった彼らの会話にいつだって支えられていたんだ!という監督自身の叫びが盛大に溢れているではないか*1。日々の積み重ねで深められた「個」が映画として結実し、映画館で多くの魂と共鳴するのだ*2。この金属バットが宇宙で喋るシーンは完全にフランク・キャプラ『素晴らしき哉、人生!』のオマージュと言ってしまっていいでしょう*3。とりあえず、この映画のあらすじを簡単に記すと、人生を諦めようとしたジョージ・ベイリーという男が、天使によって導かれ、自分の周りにはかけがえのない家族や友人がいたことを再確認し、素晴らしかった自分の人生をもう一度歩んでいく、というものである。
ジョージよ、覚えておけ。友ある者は決して失敗しない。翼をありがとう
そう、やはり『おばけ』もまた、見えていなかった“繋がり”を浮かび上がらせようとする作品であることが力強く、そして優しく示される。「そんな君は大丈夫だ」と叫んでくれるのである。好きなものと繋がっている感覚があるけれど、実際は意外と繋がっていなくて、でも全く繋がっていないかといわれると、ちょっとは繋がっている気がして。コップをいっぱいにしてくれたり、すこし気に障ったりしながら、それでも生活は続いていく。そんな関係を丁寧に描写していくのである。ラジオを聴いたり、音楽を聴いたり、テレビを観たり、Netflixを観たり、漫才で笑ったりなんていう独りで世界と繋がっている感覚を銀河鉄道に乗せて宇宙(映画館)へと向けて走らせて行く。そうして、“映画を観る”*4という同じ体験をした我々は映画館(宇宙)から現実へと一歩外に出れば、「大丈夫、独りじゃない」そんな気持ちさえ持って意気揚々と闊歩するのだ。BGMには優しい応援歌が。
世間体なんてまるで 気にしちゃいない
どんな生き方をしようが それでいいのだ
お楽しみはまだまだ これからじゃないか -Ah-Ah
そんなに真面目な顔して 何を考える?
そんなに深刻な顔で 何を思ってる?
くたばってしまうその前に ちょっと楽しもう
お楽しみはまだまだ これからじゃないか -Ah-Ah真島昌利『HAPPY SONG』
金属バットの漫才も聞こえてくる。
(小林)俺が昔やってた、あれと似てんな。トランペットダーツとな
(友保)なんやねん、おい、それ、トランペットダーツって。トランペットの中にダーツの矢を入れて、「ぷっ」って飛ばすの?お前
(小林)ふふっ、面白いね、きみ
(友保)なんやねん、おい、おい
(小林)「ぷっ」って、オナラの音やん
(友保)子どもかっ、おい、何で笑てんねん、おい、「うんこ!」
(小林)えっ?どうした?
(友保)ええ、ちょちょちょ
誰かの話は他の誰かの話でもあって、そんなことをあぶり出してくれる『おばけ』は紛れもなく映画である。自分の近くで誰かが生きている。その存在は家族、友達、テレビやラジオの声だっていいし、赤の他人だっていい、おばけだっていいのだ。その存在があれば、もう独りでも独りじゃないんだ。