昨日の今日

KINOUNOKYOU

お笑いとテレビと映画と本と音楽とサッカーと…

INA『牛乳配達DIARY』

f:id:You1999:20200617115753j:image

牛乳配達DIARY (torch comics)

牛乳配達DIARY (torch comics)

  • 作者:INA
  • 発売日: 2020/04/13
  • メディア: コミック
 

第1回トーチ漫画賞【大賞】作品である『牛乳配達DIARY』がとても面白い。26歳の牛乳配達員の日々を丁寧に描写したエッセイ漫画だ。およそ4〜10ページくらいの短いエピソードは、なんともなく始まり、なんともなく終わる。クスッと笑えるものもあれば、心の奥がギュッとなるような少し苦しいものもある。しかし、それらのエピソードは深く深く掘られていくわけではなく、さらっと終わる。もっと何かがありそうなのだけれど、潔く区切って次のエピソードへと移っていく、この空白の心地よさのようなものも本作の面白さの一つとしてあるだろう。空白が空白のままに存在し、誰もがこのストーリーに寄り添いあって共鳴していけるのである。リズムにのって読み進めるにつれて、物語に漂う優しさや愛おしさが心地よくじんわりと身体に浸透していく。「マンガみたいだな…全く……これ…まんがに出来ないかな…」と思い立ち、日々の牛乳配達生活を漫画に落とし込んでいく作者の画力が、この漫画中の時間経過と併せて、少しずつ上達していくという、成長していく過程とでもいうようなものを目撃できる面白さもひとつとしてあるだろう。同じような日々の繰り返しであっても、実際は少しずつ進んでいるんだ!という感動的な着地点なんかを勝手に作り出してしまいたくなるのである。

なによりも本作で優れている部分、特筆すべきところは、やはりなんといっても細かな視点であるだろう。どこにでもありそうで、でも見落としがちなものを掬い上げて、丹念に描いている。穏やかで誠実な姿勢が、一つひとつの線から現れていることは一読すればわかるでしょう。美しい日々、生活が丁寧に描写されている、と言っても、あまり伝わらないかもしれないので、ひとつだけ僕の好きな『記録的猛暑』*1というエピソードを取り出してみようか。

f:id:You1999:20200617150047j:imageエリアを手分けして、契約を取るための営業仕事が始まる。しかし、この日は42℃の記録的猛暑であり、太陽の下を歩けば歩くほど汗がポタポタと流れ落ちる。すると、前方にはエリア分担したはずなのに、S木さんがいるではないか。こっちからの視線とあっちからの視線が重なり、「あっ」と気づく。このような場面も優しい緩やかな線で描写されている。よくよく確認してみると、S木さんは地図を読み違えて、迷子になってしまっていたらしい。

S木「この地図ちょっと変じゃないですか?」

INA「変じゃないですよ」

と、とぼとぼ歩いていると、今度はBさんと出会す。下からのショットと上からのショット。カット割を丁寧に配置し、着実に人間の目線を勝ち取ってゆく。Bさんはそこのスーパーにお茶を買いに行くのだそうだ。結局、みんなで一緒になってスーパーで休憩することに。スーパーに設置されたテレビから「各所で猛暑となっております。外出は避け、こまめに水分補給を!」とアナウンサーが伝えている。

S木「外出避けろって言ってますよ」

INA「もう今日はやめましょう。TVが言ってるんだから」

Bさん「いやいや!ずっとここには居られないですよ⁉︎」

S木「いかん…頭イタくなってきた…熱中症かも…」

Bさん「いや、カキ氷だろ!」

f:id:You1999:20200617152358j:imageなんとも、まあ、平凡で、部活帰りの中高生みたいな、空気が漂っている。Bさんが立ち上がって、それを追いかけるS木さんの視線。椅子からズリ落ちそうなINA氏の座り方もとても親近感が湧いてくる。そう。本作はいろんな視線がストーリーを織りなしている作品である、と言ってもいいかもしれない。信号待ちをしている小学生の視線、路傍の猫の視線、訪れる家に住む人たちの視線、それらが織りなすものは温かいこともあれば、冷たいこともある。それで、ふっと消えてしまいたい気持ちになることもあるかもしれないが、その落ちていきそうな魂が、誰かの視線のネットに引っかかる。と同様に誰かの落下を助けているかもしれない。僕らの凡庸な生きるという旅は、同じことの繰り返しではなく、ちょっとずつであっても続いて、進んでいるのである。ラスト、視線はどこに向けられ、どんな表情をしているだろうか。INA『牛乳配達DIARY』*2は最後の最後まで必見である。

to-ti.in

 新連載として『つつがない生活』がトーチwebで公開されているようです。ぜひ。

*1:山田参助が“映画的”と褒めていたけれど、確かにそうかもしれない

*2:ドラゴンボール』での牛乳配達のシーンなんかも久しぶりに思い出しちゃったなあ