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FOOT×BRAIN『日本サッカーの未来を考える岡田武史の生き方』

f:id:You1999:20200518175639j:image5月3日、10日、17日と3週にわたって放送されたテレビ東京FOOT×BRAIN『岡田メソッド: 自立する選手、自律する組織をつくる16歳までのサッカー指導体系』特集が面白かった。岡田監督といえば本田圭佑をワントップに起用してベスト16入りをした2010年W杯南アフリカ大会が記憶に新しい*1

番組の1〜2週目は岡田武史のサッカーとの出会いから監督時代、そして現在までを振り返り、3週目にはこれから岡田監督が目指すものを教えてくれた。

(岡田)僕はね、中学校からサッカーを始めたんですよ。僕は野球をやってて、将来、絶対プロ野球選手になりたいと思ってたんですよ。で、ちょうどメキシコオリンピックが小学6年生で、サッカーブームがきたんですよね。で、中学校入ったときに野球部入ろうと見に行ったら、下級生は正座させられてバットで殴られてて、で、これは野球部あかんなあって。パッと上から見たらサッカー部が試合してて、ゲームやってんだけど、ゴーン!ってぶつかって転んだらプロレスごっこになるんですよ、1!2!3!なんやこれメチャクチャ面白そうだ!って思って

(名波)不純!笑

指導者もいなく、練習メニューなどは自分たちで考えていたという*2

僕がサッカー文庫って本を、ばあ〜買ってきて置いて、みんなも読め!って言ってサッカーの本読まして

やがて岡田監督はアマチュア選手として古河電工でプレーをしていたが、1990年の日本リーグ選抜vsバイエルン・ミュンヘンが転機となり引退を決意する。

俺が今からどんだけ努力してもコイツらに追いつかないって感じだったの、俺はプロになれないと。その瞬間に“辞めよう”と思ったんだよね。なにが違うじゃないんだけど、次元が違うっていうのかな、リフティングが上手い、キックが上手いじゃなくて、すべてのスピード、ディスタンスが違うんだよ、奪れないんだよ

1992年、岡田監督はドイツに留学しリーダーとしての哲学を学ぶ。

トップとしての強さ、孤独さに向き合わなければいけないっていうのを教えられたのがこの1年だったですね。

1993年、36歳となって日本に帰国するとジェフ市原のコーチに就任する。日本プロリーグのJリーグが開幕し、サッカー文化誕生の年でもあった。

ヴェルディマリノスの試合に行ったら、真っ二つにサポーターが分かれて満員で、俺がやってた頃って、スタンドから息子が「お〜い、お父さ〜ん!」って言ったら「お〜い!」って分かったもん!なんなんだこれは!ってビックリした印象がすごい残ってる

 

ジェフでコーチ始めて、サテライトチームの監督とかやってて、それでやっぱりドイツで学んで考え方を変えたことで、選手がどんどん伸びてきて、楽しくってしょうがない毎日が。どんどんウチからトップに上がってくんですよ、楽しくてしょうがないときに、トップのコーチやれって言われて、今度は日本代表に行けって言われて。僕は正直もうちょっとサテライトの監督やりたかった

日本代表・加茂周監督のもとでコーチを務めていたが、成績不振により加茂監督が解任されてしまう。そこで岡田武史に代表監督が託さたが、見事にワールドカップへ切符を手にする*3。代表監督を全うすると1999年にJ2コンサドーレ札幌の監督に。

コンサドーレ札幌の1年目は自分自身も元日本代表監督というのを背負っていって、「俺がやるからにはこういうサッカーをして」って「世界に通用するサッカーをするんだ」って言っちゃったんだよね、それは間違ってないんだけど、ここにパスをしてという場所に正確にパスがいかない。それなのに要求され続けた。これは本当にこの1年申し訳ないことしたと思って、2年目、身の丈にあった自分たちのサッカーをしようと思った。

コンサドーレでJ2優勝を果たし、1年休憩すると、2003年、世界と戦えるチームづくりを目指し、J1横浜F・マリノスの監督に就任する。スタジオではアンチフットボールなどの話へ*4

(名波)僕らは日韓W杯のときにJリーグ優勝してるんですけど、あの年を踏まえて、岡田さんが意識したマリノスは、ジュビロの良さを消すサッカーをやってた感じがして、だいぶやられたなって

(岡田)当時のジュビロはね、素晴らしいチームだった。圧倒的に強かったよ。彼らに勝つには良さを消すしかないというスタンスで入ったね。生意気な言い方になるかもしれないけど、勝つだけだったらそんなに難しくない。確率論だから。こういう勝つ確率の高い手を打っていったら。でも、それだと長続きしないんだよね。行き詰まるんですよ。サッカーって外から攻めろって言うじゃん、なんでかって言ったら、中いくと相手も1番怖いから固めてるからカウンター受けるわけですよね、で、サッカーの得点の60%くらいはカウンターアタックなんだよ、そうするとカウンターアタックを防いだら失点は減るんだよ。真ん中を開かなければカウンターアタックってそう受けない。でも選手ってのは真ん中行くってのは楽しいし行きたがるんだよね、真ん中でボール持った瞬間にベンチから叫ぶわけですよ、「外へ出せ!」。そうすると選手は「ちっ!」っと思いながら出すんですよ、そうやると勝つんですよ。

 

勝ち出したらどうなったかっていったら、選手は空いてたら行くべき真ん中を見もせずに外に出すようになった。それで僕はあのとき苦しんでた。俺は本当に指導者なのか?結果は残す自信はあるけど、これが指導者と言えるのか?

そんな悩みの中、2007年にまたも突然の代表監督のオファーを受け*5南アフリカW杯でベスト16の成績を残す。その後、2014年に大きな出会いが。

俺の指示で動くんじゃなくて、自立してプレーができる選手が出ないと、世界では絶対に勝っていけないと。結局、小さな答えは出たんだけど、根本的な答えは見つからなかったの。当時、バルセロナのメソッド部長のジョアン・ビラってのが日本に来て「スペインにはプレーモデルというサッカーの型のようなものがあるんだけど、日本にはないのか?」って、スペインではその型を16歳までに落とし込んで、あとは自由にプレーするんだと言われたんだよね。この瞬間に、主体的に自立してプレーする選手が出るんじゃないかって、そのときピンときたんだよね。これが1番大きな出会いで、やっぱり日本ではそれまでは子供の頃までは楽しませとけ、教えんな、で、高校生から戦術という相対する策を教える。だから、そうじゃなくて16歳までに原則を教えて、あとは自由にする。守破離の世界。こういうものがサッカーにあってもいいんじゃないか、と。

サッカーっていうのは同じ状況なんかないし、あんまり原則とか重視してこなかったんですよ。でも、やっぱり原則ってのがあると、みんなの考えが同じ方向に向きやすい、と。今まで僕らが指導者やってたときは、状況で指導してたの、例えばサポート、「今のは寄るな!」「今のは寄れ!」これだと選手はどんどんこんがらがる。でもそれを原則をキチッと教えとくと、ものすごくスムーズに整理できると。だから僕らはサポートの原則を3つに作った。1のサポートか、2のサポートか、3のサポートか、そうやって原則で話したら、もう一瞬にしてわかるわけよ、そうサッカーを原則でまとめたものが岡田メソッドなんですよね

 

この前(2019年11月19日)、日本代表、ベネズエラに前半4-0でやられた試合あったよね。あのとき4点も前半に入れられてんだけど、誰ひとり「おい!何してんだ!」って誰もやらない。「どうしたらいいんですか?監督…」って感じなんだよ。去年、U17のブラジルであったW杯のビデオを観させてもらったら、フランスのU17がやっぱり1番強かったよ。で、案の定ブラジルと準決勝であたって、ブラジルが圧倒されて、前半15分で2点とられた。ところがハーフタイム、サブの選手からみんながグラウンドに集まって殴りかからんばかりに言い合いしてるわけよ。そこに監督、コーチ、ひとりもいないよ。後半、逆転しちゃったんだよ。日本人ありえないじゃん。そうしないとベスト16の壁を越えていけないんじゃないか、そのためには原則を教えといて、あとは自由にすることによって、主体的に自立した選手が育つのではないかと。

そして、現在、今治を主戦場に岡田メソッドを展開していき、どんどん成果として現れてきている。サッカーリテラシーを高めるための言葉の活用もさすがである。岡田監督はそのサッカーの成果を地方創生へと向けていきたいとも語った。サッカークラブを軸に食や人が集まる。とても素晴らしい未来であるように思う。

 

5レーンやハーフスペースなど現代サッカーはシステマチックになってきているが、これはとても面白いとやはり僕は思う。しかし、実際にはこんなシステムに当てはめられてしまうようなものはサッカーではない!と憤る人もいるし、まあその意見もわからなくはないのだけれど、でも面白いと思う試合には必ず戦術が関わっているんじゃないかと思う。ペップの試合を観れば誰もが情熱を傾けられるでしょう。それだからサッカーリテラシーを高めることは決して今までのサッカーを蔑ろにするわけではなく、より情熱を正しく理解できるのではないかとも思う。そしてそれらをほんの少しでも地上波で流してくれたFOOT×BRAIN岡田メソッド特集はとても良い企画だった。とはいえ、地上波においての日本サッカーはまだまだなので、これぐらいの話が普通になると楽しいだろうなあ、と思う。


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*1:松井大輔のずりさげたソックスも

*2:僕の中学のときだったらずっとゲーム(試合)とかしてそうだなあ

*3:カズ、北澤の代表落選はこすられすぎているので割愛します

*4:自分たちのサッカーをして勝つ!のではなくて、相手のサッカーをさせないことで勝つ!というもの。ハリル・ジャパンの戦い方も上手く伝わっていれば勝ちに徹するというW杯において、しっかりとしたアンチフットボールになりそうだったのにね

*5:ペップ・グアルディオラが監督を始めた時期でもありますね