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安克昌×安和隆『心の傷を癒すということ』

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人間は傷つきやすい。

今後、日本の社会は、この人間の傷つきやすさをどう受け入れていくんだろうか。

傷ついた人が、心を癒すことのできる社会を選ぶのか。

それとも、傷ついた人を切り捨てていく厳しい社会を選ぶのか。

夜の街には数えきれないいくつもの灯があり、その数だけの暮らしがあり、またそれ以上の命がある。明日へと向かうために灯をつけて今日を生きている。しかし、夜の暗闇に同化して見えなくなってしまうこともある。ひとりぼっちの真っ暗な片隅で身体を小さくしている人がいる。精神科医の安和隆(柄本佑)はそんな人たちに灯をつけようと話を聴き、自らに癌が見つかっても懸命に誰かに寄り添い続け、本を書く。一文字一文字を灯していく。入院をせずに、癌の治療について勉強し、子供に一輪車の乗り方、チェスの仕方を教えて、生まれてくる子の名前を考え、患者さんの診察をすることに時間を使う。そして、7ヶ月が経ち、和隆はもうすぐ生まれる3人目の我が子に「灯」と名付ける。

赤ちゃんの名前、決めたわ。

「灯」にしよう。

ともしび、と書いて、あかり

きっとこの子は、僕と終子の世界を明るくしてくれる。

僕のこの7ヶ月を明るくしてくれたみたいに。

どんな怖い映画も、悲しい映画も、最後には絶対、「終」っていう字が出て、自分の世界に帰ってこられる。

そうわかってるから、耐えられるやろ?

僕もそうやった。仕事大変でも、きっつい話いっぱい聞いても、家に帰ったら終子がいて、笑って迎えてくれるとわかってるから、耐えられたんや。

ありがとう。

そして、人間は傷つきやすい、傷つきやすいのだけれど、生きようとする力強さを持っていることも決して忘れてはならない。傷つきやすいもので溢れているこの世界で、生きているだけで十分強いのだ。その力強さを柄本佑が立って、歩いて、話して、聞いて、泣いて、笑うことで体現してみせる。第三話で「心のケアは、ひとりひとりが尊重される社会をつくることかもしれない」という和隆の発した言葉は、第四話で妻が落ち葉を拾っているときに、はっきりと目の前に現れる。

心のケアって何かわかった。

誰もひとりぼっちにさせへんってことや。

子供の夜泣きを大丈夫だよと言ってくれる声が、ジャズピアノが、一冊の本が、お隣さんのお裾分けが、誰かの笑顔が、話を聞いてくれる人が、ささやかな支えになるものが、傷つきやすい人間に生きる力を与えてくれる。社会を変えることはできなくても、となりにいるその人に寄り添うことはできる。それでもこぼれ落ちてしまう人の苦しみに和隆は耳を傾け、救いあげる。優しくて強い和隆に恩師が言葉をかける。

つらいときは、言葉にした方がええ。

悲しみや苦しみを表現するのは、はしたないことやない。

きみ、本にそう書いてた。

癌の痛みがひどくなっても和隆は弱音を吐かずにいつも「心の傷を癒すということ」を考えている。終子(尾野真千子)が「さみしいわ」と言う。その横には照れくさそうな和隆がいる。残された光が寄り添い続けている。そして命を残した。

ペテルギウス、今も存在するんやろか。

星の光が地球に届くまで、時間がかかるやろ?

今あそこに見えてんのは、何百年も前のペテルギウスやねん。

実物はすでに爆発して、消滅してるかもしれへん。

この世界は、傷つきやすいもので溢れている。しかし、それよりも多くの美しいもので溢れている。傷つきやすい人間に寄り添うこともそうである。世武裕子の音楽が広がる。カメラがゆっくりと上を向く。みんなが上を向いて写真におさめる。笑い声が聞こえる。「復興神戸に明かりを灯そう」という光がみんなを照らす。

 

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