昨日の今日

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「WWW presents dots」 柴田聡子inFIRE / 羊文学

f:id:You1999:20210619143626j:imageWWWXにて柴田聡子と羊文学を見てきたよ!聴いてきたよ!めちゃ楽しいライブでしたよ!開場時間と開演時間を間違えて認識していたために後ろの方になってしまったのだけども(早めに着いたから余裕じゃーん、特集上映されているジム・ジャームッシュのパンフレットでも買って行っちゃおうかなあとか呑気にしていた)、背の高い人などが視線を遮ることもなく奇跡的にも真っ直ぐに道筋ができて、後方からでも歌う姿をしっかりと目撃することができました。嬉しい。柴田聡子はオープニングに『ぼくめつ』を選んで、“今”を歌ってくれた。『シャムゴッド・トーク・ドリル』通りの楽しいMCもあって、「同姓同名の砲丸投げ選手がいるんですよ〜」という話をライブ前にみんなでしました、という報告などをしてくれた。砲丸投げ選手の柴田聡子さん、調べてみると福岡大学で活躍した選手っぽい。それで今は中学校の先生をやっているようです。「オリンピックなんてなくなったらいいのにね」と歌う音楽家と同姓同名の元・砲丸投げ選手。柴田聡子はとても楽しそうに演奏しながらもより深いなにかへと眼差しを向けているのだ。私はライブを見ながらまったく関係のないことを考えていることがよくあって、今回もそれがあったし、そういうことが起きるときはなんだか良い気がしていて、おそらく『結婚しました』とから連関して考えてしまったのだろうけれども、パートナーして選ぶひとが同性であるということもそりゃあるかもしれないよなあとかなんとか考えたりしていた。友情とか愛とか性愛とかそういうところじゃなくて、これから何十年も生きるのしんどくてそれでも一緒にいる人がいて、それは何物でも良いと思った。「だますよりはだまされるほうが まだいい まだいい いいよ」という信頼関係に、そして、「離されない手をただ離さないように」という切実な願いをのせて、柴田聡子の自由奔放な魅力とポップネスにどうしようもなく魅了されてしまう。ぼやぼやしていたら、「ああ、きた、あの曲がきた」とラストの『後悔』に。

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軽やかに飛び跳ねるように楽しげに歌う柴田聡子。いくつもの後悔を、悲しみを、明るさで飛び越えてしまうおうという柴田聡子。私たちはいつだって、その楽しげなリズムにのって希望を持つことができる。きっとできる。BIGLOVEです!

羊文学もとっても最高でした。轟音のなかで伸びやかに美しい歌声を真っ直ぐに響かせるステージは『mother』から始まった。「崩れやすい夢をスケッチブックに描く」ことを繰り返して何度も絶望してきた私たちは今日を諦めて眠ってしまいたくて、いつまでもどこまでいっても、「どうせいつになっても 自由なんかになれやしない」ことに気づいている。それでも羊文学は歌っていて、それを私たちは聴いている。『オレンジチョコレートハウスまでの道のり』に収録されている『ブレーメン』を歌い上げ、WWWXを轟音でかき混ぜたあと、だんだんと「見えないものの声が聞こえてくる」。歳を重ねていろいろなことがわかってくる。それは自由になれないことかもしれないし、スケッチブックに夢を描くことが無駄であることかもしれない。本当にいろんなことをわかりたくもないのにどうしようもないほどにわかってしまう。でも、それと同時にたくさんのことも忘れていってしまっているのかもしれない。何もわからなくなっていく。

私たちは泣くことを忘れてしまう

見えないものの声を信じる

たとえあなたがもういなくても

『ghost』

いろんなことを経験して、わかって、だいたいのことはそれなりにやり過ごせるし、視界の端っこに映るものを見て見ぬ振りすることも覚えていく。もう泣くこともない。心は潤っていない。涙は流れない。「力の限りで胸をふるわせ 心の限り求めるならば 未来は変わるかもね」と羊文学が囁く。私たちは砂漠の真ん中にいる。

きみは砂漠の真ん中

ユーモアじゃ雨はふらない

余裕ないぜ オアシスは程遠い

『砂漠のきみへ』

セットリストの次には『トンネルを抜けたら』にある『Step』が選ばれる。

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これを聴けたのは嬉しかったなあ。めちゃ好きな曲だ。砂漠にいたところから戻ってこようと階段を駆け上がるのは大変であって、でも「すこしくらいは優しくなりたい」と願わずにはいられないくて、でも苦しいことも塩塚モエカはわかっているのだと思う。それでも「きこえるかい、きこえるかい」と『人間だった』で、階段を駆け上がってきた人間に対して力強く宣告する。私たちには平等に責任があり、それを背負っていること。あいまいなままながらも、私たちはいろんなことをかき集めて、悩んで、ゆっくりと進んでいくしかないのだ。ゆめのなかで、ゆらりと揺れながら、絶望し、少し楽になったりしながら、肯定的な瞬間を待ち望んでいる。「理屈じゃないところで しあわせが訪れる」。そんなときを待っている。ライブを終えてステージを去った羊文学は、手拍子に応えてすぐさま戻ってきてくれた。突然、各種配信サービスにドロップされたのに、みんな気づいてくれてありがとうと言い、

やるつもりなかったけど、恐る恐るやります…

と『マヨイガ』を初披露してくれた。


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ゆめはまだ続く。東北の地を舞台に明日を生きることの尊さと帰って来れる場所を描き出した今夏公開される『岬のマヨイガ』という映画の主題歌は、明日を生きることの苦しみと、それでも確かに眼前に見ることができる“光”を描く。

祈っている、たとえどんなに遠く離れても
君の今、君のすべてが、喜びで溢れますように

おかえり ずっとまっていたよ
もう大丈夫だから
おやすみ きみの明日はどうしたってやってくる

マヨイガ

苦しい。つらい。でも、私たちは生きることの喜びを確かに知っていて、どうしたってやってくる明日を続けていく。涙はしっかりと流れる。もう砂漠にはいない。砂漠の君へ。