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行定勲『ナラタージュ』

f:id:You1999:20210704105353j:image通話を終えて、窓際へと向かう。雨が降っている窓外を見つめ、誰かから貰った時計を大切そうに触る。そして、いつかの記憶へと想いをめぐらせる。

あなたをちゃんと 思い出にできたよ

adieu『ナラタージュ

いくつものシーンで降る甘美な雨。髪や肩を濡らし、艶かしい印象を抱かせる雨だ。しかし、上から下に降り注ぐ雨の運動はやがて、プールサイドから、屋上から、歩道橋から落下運動する人間へとずらされることになる。そうなると、たちまち私たちは不安になってしまうのであって、本作が映し出すものに目を背けたくもなる。雨による下降の運動は止まることはないのであり、それが私たちを不安にさせるのは、私たちが止まらない雨粒だからである。生まれてしまえば死へと突き進むしかない人間の“生”に内包されている不安定な心持ちが下降の運動を通して描かれているのだ。本作の画面には不安や死の匂いが雨の匂いとともに漂っていて、葉山真司(松本潤)、小野怜二(坂口健太郎)という2人の男の間を行き来する工藤泉(有村架純)の不安定な佇まいや眼差しにもそれは引き継がれている。私たちはいつだって不安であり、それから逃れる術はほとんどないのだけれども、唯一あるとするならば、事故に内包されているその不安を認識することであった。しかし、自らが自らの不安を自覚するのはとても困難であって、では、それはいかにして可能になるのかというと、本作で重要になってくる他者を見つめるという視線の運動がゆるやかに自己へと向かうことにある。映画を観るということもそのことにつながっているのであるし、そうであるからして、葉山真司は妻がお気に入りのDVDである『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を手放せないのである。それは妻のことを理解したいからではなく、妻との繋がりを失ってしまうことへの自己の内側にある不安を見つめることによるのである。

病院の帰り道、工藤泉は小野怜二に別れを告げ、葉山真司のもとへと向かうことを決意する。それは、生徒の自殺という不安を、まさにその他者のなかにあった不安を見ることで、自分の中を不安に自覚的になることができたのであって、そうすることで、愛というかけがえない純粋なものを選択することに至ったのであった。死を間近に感じて不安を得るのではなく、そのことによって生の躍動が起こるのであって、工藤泉は葉山真司のもとへと向かうのだった。そのシーンにおける、要求された土下座を簡単にしてしまうことや、靴をも脱いで、裸足になってまでも、葉山真司へと向かうことができてしまう有村架純はベストパフォーマンスですし、「いや、マジかよ…」と狼狽える坂口健太郎も秀逸だ。葉山真司は妻からのDVD『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を、工藤泉は葉山真司から時計を、坂口健太郎は工藤泉から靴を受け取り、いつの日かそれを頼りにナラタージュするのである。雨は上から下に逆走することなく降り続けるのだけれども、ナラタージュした想いは自由自在にいつかのあの日にまで易々と遡ってしまうことができる。そして、いつかのメッセージを受け取り、時計の針は動き出し、やがて雨はあがるのである。私たちは何度でも思い返して、そして、進むのである。