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熊倉献『ブランクスペース』1巻

ブランクスペース(1)

ブランクスペース(1)

 

誰かを好きになること、考えること、それは世界を創造できてしまうくらいに素晴らしいことなのかもしれない、という熊倉献の前作『春と盆暗』で描かれたボーイミーツガールのイマジネーションの力は、同じ想像力をモチーフにしながらも『ブランクスペース』で、その描き方が揺らぎ始める。私たちに備わった偉大なるパワーは、何かを創ることもできるのだけれど、そのために何かを壊すことだってできてしまうのだ!そして、その想像力のコントロールが“青春のままならなさ”や“現実の折り合いのつかなさ”と結びついてしまえば、学校という箱なんて簡単にペシャンコにできてしまうのかもしれない。最近でいえば、同様のモチーフを描いていたNetflix『ノット・オーケー』を思い出すことになるだろうけれども、この『ブランクスペース』でもまた青春をはみ出した少し不思議なSFの世界が緩やかにしかし大胆に広げられている。

「ハヤシくん!犬派?猫派?」と訊ねた狛江ショーコは相手の反応の渋さから、その想像力でもってして告白もしていないのに勝手に失恋してしまう。それだけでなんだかどーでもよくなってきて頭の中で巨大な星を降らせて学校をクシャッと潰してしまうというなんとも可愛いエピソードが物語のオープニングを寄せられている素晴らしさ!頭の中では自由自在だけれども現実ではそうもいかない。雨が降っていても傘を忘れてしまったらずぶ濡れで帰るしかなく、想像力ではこの世界の理(ことわり)に抗うことなんてできないのだ。しかし、ある雨の日、不思議な力を持った同級生・片桐スイと出会うことによって物語は動き始める。

まず、頭の中に部品を思い浮かべる…そして想像の中で組み立てる…うまくいけば現実に引っぱり出せる

と話すスイはショーコの目の前で、目には見えない透明な傘やハサミを現実に召喚し作って見せるのだ。この世界の理を簡単に裏切ってみせるスイの不思議なイマジネーションの力にムクムクと想像を掻き立てられるショーコは、いろんなことを考えていく。

何もないのに…空白なのに、でも…あるんだ。クッキーのくり抜いた生地の方とかドーナッツの穴みたい…

“何もないのにある”というドーナツの穴についての哲学的な話なども飛び出してきて、そう、だんだんと概念(見えないのに存在する)の話になってくるのだ。下駄箱を開けると上履きに誰かのゴミが入れられていること。クスクスという笑い声がどこからともなく向けられていること。普通に授業を受けているが、その机の下でハサミを膝に突き立てていること。これらは行為として見えることであり、それらがだんだんと“いじめ”というものを形作っていく。けれども、その“いじめ”は見えない。目に見える行為の積み重ねがゆっくりと目に見えない邪悪な概念を作り出していくのだ。見えないものであるからして、そのことに気づくことができていなければ、酷いことに先生はいじめられている方を怒ってしまったりもする。見えないけれども存在する。スイはどうにもならないこの現実のままならなさへ向けて見えないけれども存在するもので対抗する、この整理された筆致に魅了されてしまうことでしょう。錆びたハサミをくわえたジャッカル、餓えし犬(飢えた凶暴な犬)、空から落下する巨大な斧などなど、スイは頭の中で想像することで、概念から様々なものを具現化させていく。この世界はぶっ壊すために。ショーコはそれを食い止めようと、凶暴な物質ではなくて、イマジナリーフレンド≒彼氏をつくることをスイに勧める。なんでもわかり合える誰かと出会うことで、一転してその想像力は素敵な力へと変貌するのではないか、と。スイは目には見えないその人を存在させるために、その人のことをずーっと考える。誰かを想うことでその人を存在させる、そんな豊かなフィーリングはいつまでも持続されるのだろうか。

作ったときの…記憶が曖昧になってくると、いつの間にか消えちゃうんだ

と言っていたスイは“気持ち”という目に見えないものを作り出そうとし、自らの“気持ち”をも形作ろうとする。