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山田智和『街の子ら』

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 水曜日のカンパネラサカナクションBase Ball Bear*1、米津玄師、KID FRESINO、あいみょん、などのMVを手掛けている映像作家・山田智和が撮った乃木坂シネマズ#10『街の子ら』という作品が良かった。暗闇に光るネオンという山田智和のフィルモグラフィーの作家性を残しながらも、現代的なメッセージが付与されていた。

30分という短い時間によくまとめたな、と感心するわけですが、今作のテーマと照らし合わせて今年公開されたラジ・リ『レ・ミゼラブル』が思い出される。

この映画が社会で育つ子どもというものをテーマにしながら、パリの街の話であったように、『街の子ら』も東京という街の物語である。暗闇に光るネオンサインの明かり、走る車、街を往来する沢山の人々の喧騒といった東京をMVと同様に美しく描いていく。が、そんな東京は1人の少女を無視し続ける。これまでの山田智和の映像では、そこで歌うことによって、光を見出していくわけなのだが、今作では、少女は口をつぐんで、歌う以前に、話そうともしない。東京という街の変化に際して、あくまでも“今”を捉えているのが山田智和だと認識していたのですが、今作では違った。その人を撮るということは、その人の過去を撮ることであり、未来を撮ることであるというのが、割とわかりやすく示されていたために、驚いてしまったし、はっとさせられた。それだから、現代の東京の街を映すことも、その過去と未来を同時に映すことでもある。そして、少女を救ったのは自分だった、という配置に、ラジ・リ『レ・ミゼラブル』のようにしっかりと向き合う必要性を訴える。CINRA.NETで

今は、憂鬱な空気が街にも表現にも過剰に美化されてしまっていて、本当にそれでいいのかって自分は思う。向き合うっていうことは、「私、こんなに傷ついてます」ということじゃなくて、「それでも進んでいく」っていう姿勢なんじゃないかと。

 と話していたように、物語ラストの子どもの笑顔や、白石麻衣が考え、「あの…」と発した言葉から見えるのは何の停滞もなく、それでも進んでいくという姿である。社会が悪いよねというのではなく、その社会で生きる個人にピントを合わせるというのは、山田智和がMVでやっていたことであるし、それが過去にも未来にも向くというのは、山田智和がPART2に突入してるんじゃないだろうか*2。オリンピックが延期となった今、東京の街を撮ると一体どんな未来が撮れるんだろう、と言うことも気になりますが、なによりも『街の子ら』を観てしまったために、山田智和が次回作にどんなものを選ぶのかが気になってしまう。楽しみに待ちたいと思う。

 

*1:『すべては君のせいで』『それって、for誰?』はかなり好き。またベボベの撮って欲しい

*2:もしかしたら今までもそうだったのかもしれないけれど、