昨日の今日

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五十嵐大介× STUDIO4℃『海獣の子供』

f:id:You1999:20200906125625j:image五十嵐大介の世界がスクリーンに大きく映し出されている。その圧倒的な映像表現を観るということは、流花(芦田愛菜*1)が海(石橋陽彩)とガラス越しに出逢ったことと共鳴し、観客の心を鷲掴みにする。誰かと出逢う、それはそのまま世界と出逢うことなんだという熱情が、カメラワークやアングル、走る、泳ぐという運動でもって駆動されている。家族とか学校とか会社とか、もっといってしまうと国民であるとか、そんなものは本当はちっぽけなもので、もっともっと大きくて、壮大で、大切なものがあるはずなのに、なかなかそれを私たちは意識することはできない。でも、この世界を一瞬でも垣間見て帰ってきたならば、そんな小さなコミュニティをきっとさらに大切に思うことができるのではないか。本作でも学校からはじき出されてしまった流花が世界と出逢い、そしてまた、学校へ戻っていくという一夏の冒険が描かれている。ここに世界との対話、そして個人との対話が展開されている。

鯨の歌は複雑な情報の波なんだ。

我々人間はうまく言葉にできなければ、思っていることの半分も伝えることができない。けれど、鯨たちは見たことや感じたことをそのままの形で伝え合っているかもしれない。

ハンドボールでシュートを打とうとしたら足を引っ掛けられた。その報復として今度は肘打ちでお返しをして怪我をさせてしまった。そこには、足を引っ掛けられてムカついた、だからやり返した。これでいいのだ。でも相手の怪我は大丈夫だったのかな。でも自分の膝にあるこの擦傷はあっちが先にやってきたものだ。痛い。でも大丈夫かな。謝ろうかな。いや、謝らない…。なんてことが、そしてもっと多くのことで頭の中は満たされている。それはまた、相手も同様であって、きっとたくさんのことを考えている。しかし、そのほとんどは言葉にしなければ誰にも伝わらないし、相手が何も言わなければそれもそれで本当のところはほとんどわからない。それは海や空、宇宙のことのようであると結ばれていく。

つまり、宇宙の総質量90%は暗黒物質で占められていることになる。

僕たちは何も見えていないのと同じだ。

この世界は見えないもので満たされていて、宇宙は僕たちに見えているよりずっと広いんだよ。

俺は宇宙は人間と似ていると思う。

人間の中にはたくさんの記憶の小さな断片がバラバラに漂っていて、何かのきっかけで、いくつかの記憶が結びつく。

そのちょっと大きくなった記憶に、さらにいろいろな記憶が吸い寄せられて、結びついて、大きくなっていく。

それが考えるとか、思うということでしょ。

それはまるで、星の誕生、銀河の誕生する姿にそっくり…。宇宙と人…。

宇宙の存在に人間を感じる。ほとんどわかっていないその余白が、誰かと誰かがわかりあえるかもしれない希望として描かれているのが美しい。『崖の上のポニョ*2や『夜明け告げるルーのうた』にも似たどうやって通じ合おうかというモチーフを『海獣の子供』でも発揮している。大切なことは五感以上の何かできっともうすでに受け取っているんだということが、水しぶきの一粒にまで煌めいて、言葉ではない、言葉にならないといったほうが適切な、また本当に大切なものは言葉になんてならないという類い稀ない映像表現によって、感覚の物語が我々の心にダイレクトに入ってくる。それは、流花が輝く石を飲み込んだように。

見つけてもらいたいから光る

誰もが光を放っているという“生”の美しさを描きながらも、突然やってくる“死”はあまりにも儚い。あまりにも大きなその事象に、だからこそ美しいという願いをどれだけもっていられるだろうか。ねじ曲がり渦を巻く水、真っ直ぐに放たれ宇宙とつながる光、色鮮やかな魚たちも円を描く、そして見つめ合う魂と魂。大きな世界と個人を目の当たりにして戸惑ってしまう流花に優しい言葉が寄り添う。

あんたでいいんだよ。

信じておやり、海と空を、そして、自分自身を。

生命の輪廻の中で、今日を生きる我々への力強いメッセージだ。何もわからないし、何も伝えられないかもしれない。でも、その光の美しさは見ただけで簡単に理解できてしまう。みんな見つけてもらいたくて光っていて、それは途方もなく眩いものなのだ。そして、その光は誰とも違う、あなたが放っているからこそ美しいのだという結実に涙してしまう。そして、そんな光は絶対に言葉になんかならなくて、そうであるから素晴らしい。誰かと出逢うことは世界と出逢うことだ。そうであるから、きっとお別れなんてことはない。絶対にまた会える。

星が降る夜にあなたにあえた
あのときを忘れはしない
大切なことは言葉にならない
夏の日に起きた全て
思いがけず光るのは海の幽霊
風薫る砂浜で また会いましょう

米津玄師『海獣の子供

 

*1:芦田愛菜は天才だ!というバカみたいなことを全力で叫びたい想いに駆られている。声があまりにもいいのだ。少年でも少女でもなくて、ひとりの人間をそこに立たせているような透明で真っ直ぐなそれは海の中でも陸の上でも美しく伸びている。この映画が宇宙と個人をつなぐものであるのにして、大森立嗣『星の子』という映画の制作が決定したことはあまりにも正しく、そしてその映画の成功を予感せずにはいられないのである。アングラードの森崎ウィンや空の浦上晟周(窪塚愛流変声期のため降板という、まさに成長の物語!)の声も美しい。空の声は美しい白い肌に似合った細くそして優しい声だ。遠くを見つめるその視線の先に言葉がついていくということを体現してしまっている

*2:もしくは『風の谷のナウシカ』、ポニョは『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』と共鳴しあったりしている